第29話

 夕方、蒼人に呼び出された聡一郎は、急いでカラオケ店に向かった。

 深刻そうな声で電話をかけてきた蒼人は、やかましいロックを歌っているところだった。

「よう、聡一郎」

 歌い終わった蒼人は、意外と元気そうな笑顔でマイクを置いた。

「なんだよ、死にそうな声で電話かけてきたから、なにかあったのかと思ったじゃん」

 電話をかけてきた時は、今にも泣きそうな声だったのに。

「心配して損した。呼び出したんだから、ドリンクバーくらい奢れよ」

「分かってるよ。ほら、聡一郎も何か歌えば?」

 蒼人がそう言うので、聡一郎は頷いて歌いたい曲を探し始める。

「俺、兄ちゃんのとこに戻ろうと思うんだよね」

 曲を予約しようとタブレットをいじっているところで、蒼人がそんなことを言った。なんともない調子で。「ふーん」と言ってしまえばそれでおしまいにできてしまうような言い方で。

「え、じゃあ、唯華ちゃんのとこから戻るってこと?」

「ん…そういうことになるね」

「ははーん、やっぱり好きな女の子がそばにいるのは辛いか~。蒼人も男の子だもんね」

 いつものように軽く返したが、蒼人は言葉を返さなかった。

「…蒼人?」

 蒼人は俯いて、唇を噛んでいた。青い瞳から涙がテーブルの上に落ち、ぱたっと音を立てた。

 蒼人の涙を見るのは、叔母、葵の葬儀の時以来だ。

「…母さんが、死んだの、俺のせいじゃなかったよ」

「いいことじゃないのか、それは」

「父さんの病気が、うつったんだって。俺がお腹に生まれた時に。だから母さんもヴァンピールだったんだ」

「そうなんだ。だから蒼人は俺のばあちゃんに嫌われてるってわけ?」

 蒼人が頷いた。聡一郎の蒼人嫌い、碧人嫌いは尋常ではない。祖母はきっと、碧人が葵を殺し、その命を食って生まれてきたのが蒼人だなど思っているのだろう。聡一郎が蒼人と仲がいいことも、良いとは思っていないはずだ。

「俺のせいで、唯華が死んだら…唯華だけじゃない、俺が好きになった人全部死ぬかもしれない」

「それは考え過ぎってもんじゃ…」

「母さんが死んだ同じ原因で、俺は唯華を殺してしまうかもしれないのに?」

 蒼人は苦しそうな顔で俯いた。

 そして顔を上げた時には何事もなかったかのように笑っていた。

 彼の苦しみを、聡一郎は何も分かってあげられない。聡一郎はまだ家族を亡くしたことはないし、愛する人を失ったこともない。蒼人のように、愛する人を自分のせいで死なせてしまう危険性も、今のところはもっていないからだ。

 聡一郎はヴァンピールではない。蒼人の気持ちを理解できても、共感してあげられない。

 赤血球捕食細菌による赤血球欠乏性貧血症は薬の開発で罹患率は大幅に減少したと言っても、感染することがなくなったわけではないのだ。

「俺は唯華から離れることにするよ。そうするのが、一番いい」

 蒼人の笑顔は、今にも崩れそうだ。

 曇り空の瞳で笑うなよ。

 泣きたいなら、思い切り泣いてしまえばいい。

 感情豊かなようで自分の中にため込むことが得意な友人のために、聡一郎ができることはただ一つ。

「お前が諦めるっていうなら、俺が唯華ちゃんにアタックしちゃおうかな。唯華ちゃん、美人だから俺には釣り合わないかもしれないけどさ」

 そんな風に、おどけた口調で言ってやるしかない。蒼人はぐっと言葉に詰まった。

 言ってしまえばいいのに。

 そんな薄っぺらい感情で唯華を好きだなんて言うな、くらいは思っているんだろう?

 まったく仕方のない親友だ。

 ☆

 十時になってカラオケ店を追い出されるまで聡一郎と歌い続け、ひりつく喉で唯華の家に帰った。

 外から見ると、家の中に明かりはついていなかった。不思議に思って中に入ると、唯華はリビングのソファで眠っていた。明かりがついていないということは、夕方近くから眠ってしまったのだろう。

 夜と言っても、真っ暗というわけではない。窓から入るほの明るい電灯の光の中、蒼人はソファのそばに膝をつき、唯華の髪の先にそっと触れた。いい匂いがする、柔らかい髪。頬に光と影が落ちかかり、白い肌を一層白く見せている。思わずその頬に触れようとして、怖くなった。

 触られても死なないと、唯華は言った。

 だけれど、母さんは父さんと触れ合って、死んだじゃないか。

 このままそばにいれば、蒼人は唯華にもっともっと触れたくなる。

 特別な名前がほしくなる。

 だから。

「ばいばい、唯華」

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