第24話
放課後になり、仕度を整えた唯華は蒼人に一緒に来てほしい所があると言われたので、軽い気持ちでつき合うことにした。
佳奈子と聡一郎とは違うバスに乗って、向かったのは華獄山英照寺。神田家のお墓があるお寺だ。途中でバスを降りて花屋に寄って、季節の花を数本購入し、そこからは歩いてゆくことになった。
朝から昼にかけて降った雨のせいで境内はローファーでは歩きづらく、唯華は何度か転びそうになってしまう。そのたびに傘と蒼人の手を頼った。こんな時に限ってなんのからかいもないので、彼が変に頼もしく見える。
「唯華、ここだよ」
二三歩先を行く蒼人が振り返って手招く。蒼人の前にあるのは、御影石の立派なお墓だった。
「立派なお墓だ」
「父さんが、母さんが死んだ時に新しくしたんだよ。将来は一緒にここで眠るんだって」
「えっ、お母さん、亡くなって…」
蒼人は墓石を見つめ、頷いた。
「俺が八歳の頃。原因は俺を産んだときに病気になったせいなんだ。なかなか言わなくてごめんね。唯華に変な遠慮をしてほしくなかったから」
「そんなこと、かまわないし、謝る必要ないよ」
唯華はそして、気がついた。
母親が亡くなっているから、彼は唯華が親と会えるように電話をしろとせかしたのだ。話せなくなってからでは遅い。蒼人はそれを知っている。彼はもう、母と会うことができないのだ。会えない苦しみを、強く感じたことがあるのだろう。
会話がなくなり、しんみりしそうな雰囲気になったので、二人は花を飾ってしまおうとしたが、それはなかなか難しい作業だった。
二人がお墓は来た時にはすでに誰かの手によってきれいに掃除がしてあったのだ。見事な花がどっさりと飾ってある。たくさんの花は、変わらぬ愛情の証のように見えた。
蒼人の買った花は、その隙間に差し込むような形でなんとか無理矢理収まった。蒼人はちょっと悔しそうに、父さんにはいつも負けるんだよなぁ、と呟いた。
「あ、母さんに唯華のこと紹介しなきゃ」
手を合わせた後、蒼人がそんなことを言って、墓前に語りかけた。
「母さん、この人が小野寺唯華さん。前に言った通り美人でしょ」
「…び、えっ?」
唯華は次の言葉が見つからなかった。美人? 私が? どういう意味? 頭の中で蒼人の言葉を反芻してもよくわからない。彼が振り返って面白そうに笑った。
「あれ? 照れる?」
「照れてない! お母さんにそんな紹介の仕方でいいのかって言いたいの」
「ほらね、ツンデレでしょ、母さん」
「だから私がツンデレとか言わないで!」
唯華がツンデレかどうかを議論しているうちに、重たい雲から雨粒がぱらぱらと落ちてきた。傘を開くまでもないと思われた弱い雨は徐々に激しくなってゆく。二人で本堂の屋根の下に逃げ込んだ。
「濡れたー。俺、濡れるの嫌いなんだよね」
蒼人は水滴のついた顔を拭いながらぼやいた。濡れるのが嫌いとは、本当に猫みたいだ。唯華は自分の顔を拭いてから、使っていない面に変えて蒼人にハンカチを貸してやる。
しばらくは黙って顔を拭いたり制服を叩いたりしていたが、やがて蒼人がぽつりと呟いた。
「会えるとき会わなくて、後悔するのって…嫌だよなぁ」
振り仰ぐと、彼は雨の景色をぼんやりと見つめていた。唯華に聞かせたい言葉ではなかったようだ。
なぜか、唯華は不安になった。思わず蒼人の手を握る。蒼人はすぐにそれに気がついて、冷たい指が握り返してくる。
優しい微笑み。
そんなふうに笑われても、不安は消え去ることはなかった。胸がざわざわする。
口では言い表せない、漠然とした不安。蒼人がどこかに行ってしまうような、またひとりになってしまうような、そんな予感。
きっとそんなことはない。だって蒼人は唯華と約束したのだ。
そばにいられなくなるまでそばにいると、約束してくれたのだから。
☆
墓参りを済ませ、唯華と一緒に家に帰り、蒼人は着替えを終えると深呼吸を三回する。
机について、置いてある封筒に目を落とした。父から届いた手紙である。
手を伸ばしたものの、それを手に取る勇気が出ず、机の引出しを開けたり閉めたりしてみる。唯華の兄のプライバシーなんて無に等しい。でも唯華がお兄さんに確認を取って「使っていいよ」と容認されていることで、蒼人は安心している。お兄さんは引っ越し先に大体の荷物を持って行ったらしく、部屋の中はがらんとしていて殺風景といってもいい。しかし机の引き出しには様々な物が残されており、鉱物の標本や自作と思われる可愛らしいテラリウムなど蒼人の心を落ち着けてくれる物がそろっている。四番目の引き出しだけは鍵がかかっていて開かないのだが、なにか大切な物が入っているのだろうと納得し気にしないことにした。
立ち上がって部屋の中をぐるぐる歩きまわり、本棚の難しい参考書を開いて戻して、また椅子に座る。数分間そわそわしたあと、ついに封筒をつまんで、はさみで封を切る。
一度深呼吸をして、中の便箋を取り出し、ゆっくりと開いた。
話したいことがある。
一度、帰って来てはくれないか。
蒼人には、まだ話していないことがある。
覚悟を決めて封を開いたのに、なんだか拍子抜けしてしまった。たったそれだけしか、便箋には書いていなかった。
父が話していないこととは、いったいなんだろう。母に関することだろうか。蒼人はそれについては全て知っているはずだ。
母は蒼人のせいで死んだ。父は息子を憎んでいる。そんな単純な話ではないというのだろうか?
まだ蒼人が知らないこととは、いったいなんなのだ。徐々に不安がつのる。知ってはいけない。そんな気がする。いや、知れば今のままではいられないような、そんな予感か。
すぐにでもその話とやらを聞きに行きたかったが、しかし、絶対に聞きたくないような、矛盾した気持ちがうまれる。
もう少し、このままでいてはいけないだろうか。なにも考えず、唯華のそばにいてはいけないだろうか。
☆
週末が近づくにつれて、明らかに蒼人の様子がおかしくなってゆくのがわかった。なにかを考え込んだかと思うとそわそわし始め、落ち着かないのだ。唯華が話しかけても、気持ちがどこかに飛んでしまっている。
珍しく二人きりになった帰りのバスの中で、唯華は思い切って理由を聞いてみることにした。
「蒼人、週末になにかあるの?」
「え? なにが?」
蒼人はわざとらしく、とぼけた。
「ふっ、その手にはのらないよ」
「…唯華、ときどき厳しいよね」
蒼人はツンと唇を尖らせる。
「父さんが、話したいことがあるから、家に帰ってきなさいって」
「行ってくればいいでしょう。それともおばあちゃんが恐いの?」
「おばあちゃんは恐いけど…俺、父さんには嫌われてると思うし…」
嫌われてる?
呟くと、蒼人は曖昧に笑った。
「詳しくは、バスを降りてから話すね」
「唯華には、言ったよね。俺の母さんは俺を産んだ時に体を悪くして、それがもとで死んじゃったって」
バスを降りると、蒼人は話し始めた。
「父さんは、母さんがとっても大切だった。死ぬ時は一緒に死ぬって言ってたくらい。運命的に出会って、恋をして、本当に愛し合っていたんだよ」
蒼人は前だけを見て、話していた。
「だからこそ、父さんは俺を憎んでる。はっきりそうと言われたことはないけれど、大切な人を奪った俺を、許せるわけがないよ。俺が生まれなければ、母さんは死ななかったんだから」
蒼人の沈んだ表情を見て、唯華は何故だか不思議な気持ちになった。
彼はいつも明るくて、優しくて、ときどきわざとらしい振る舞いを見せることもあるが、唯華はそれが蒼人の本当だと思っていた。穏やかで明るい彼には、悩みなんてあるはずがないと。
いつも笑っているからといって、その人が心に闇を抱えていないということにはならない。唯華が家族に会いたいと泣いたように、蒼人だって泣きたいくらいに深刻な悩みを抱えていたってなにも不思議ではないはずだ。
「蒼人のことを誤解していたよ。悩みがあるなんて、思ってなかった」
「そりゃあ俺だって生きてるし、悩むこともあるよ?」
「そういうの、今はやめなよ。深刻な話なんでしょ」
「…うん
蒼人が沈んだ返事をしたところで、家についた。玄関を入ると、彼はそっと唯華の指を握ってきた。気温のせいなのか、酷く冷たい指だ。
「…嫌な、予感がするんだ。母さんのことで父さんと決定的な確執ができるとか、そういうことじゃなくて。うまく言えないんだけど、どうしてこんなことを思うのかはわからないんだけど、唯華のそばにいられなくなるような気がして」
なにかが引っかかる。
そういえば唯華も、最近そんなことを考えなかっただろうか。
唯華は蒼人の手をぎゅっと握ってみた。そうすると、冷たい手が握り返してくる。
「父さんが俺に話していないことって、なんなんだろう。すごく恐い。今から泣きそう」
蒼人の顔がくっと歪む。普段の彼からは想像もできないような表情だ。
「行ってきなよ。泣いて帰ってくる予定なら、またハンバーグでも唐揚げでも作って待ってる」
「…じゃあ唐揚げ…」
「はいはい」
主張はしっかり主張した蒼人は、唯華の手をさらに強く握ってくる。彼がしてくれたように、少しでも暖かさを分けてあげられたらいい。その手をもう一度握りかえしてみると、蒼人はようやく笑みを浮かべた。
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