第21話
三人は駅の待合室で新幹線を待ち、ついに母が乗車する新幹線がホームに到着する五分前となった。
「ホームまで行く」
母は苦笑しながらバッグを肩にかけなおした。
「新幹線に引き離されるのは、けっこう辛いのよ。だから来なくていいわ」
「…うん、わかった」
「つぎ、お正月にはちゃんと帰ってくるからね。約束」
母が右の小指を突き出した。唯華はそれに自分の小指を絡めると、母は腕をぶんぶん振った。
「じゃあね、唯華、蒼人君」
母は唯華の頭をひとなでし、手を振って待合室から出て行こうとする。しかし、母は出入り口で一度止まり、方向転換して唯華の方に戻ってきた。
「お母さん?」
「ねぇ、唯華。お母さんは、唯華のこと、大好きだからね」
「え?」
「いつも思ってる。唯華は今なにをしてるかな、なにか問題が起こったりしてないかな、辛くないかなって。もちろん、お兄ちゃんのこともね。いつも待っていてくれて、ありがとう、唯華。私の一番大切な宝物」
意外な言葉に喉が詰まる。
「唯華ももう受験の年だし、私もお父さんも、もうちょっと色々考えてみるから」
母がそっと頭を撫でてくれる。目が熱くなったが、唯華は必死に涙がこぼれないようにこらえた。
「うん、お母さんの気持ちを知っていれれば、私は大丈夫」
顔を上げると、微笑む母の瞳が少し潤んでいることに気づく。こんなふうに想ってくれる母を疑う必要など無かったのだ。
「あっ! もう行かなくちゃ! じゃあね、唯華。蒼人君もありがとう!」
時計を見た母は慌ただしく駆け出した。出口で振り返って唯華に手を振り、去って行く。見送ることが寂しくないのは初めてかもしれない。唯華はガラス張りの待合室で母の姿がホームに消えてしまうまで、母の後ろ姿をずっと見ていた。
「ね、唯華」
蒼人が唐突に口を開いた。唯華はびっくりして、椅子から転がり落ちそうになる。心臓がいきなりバクバクと鳴り出した。
「俺、今回けっこう頑張ったと思わない?」
「う、うん、まあ、頑張ったんじゃないの」
「じゃあさ、この前ぶん殴ったほっぺにチューぐらいしてくれたっていいんじゃない?」
ゆっくりと蒼人の方を見ると、軽い口調とは裏腹に、彼はほんの少し不安そうにしていた。唯華の様子をうかがっているのがばればれだ。
ここで嫌と言えば、蒼人はきっとその理由を問いただしてくるだろう。そうやってどのくらい唯華が意識しているかを測ろうとしてくるはずだ。
言えない。
つまり唯華が危ないってことよね、くらいから話を聞いていたなんて。
母が指定したアンテナショップはファミレスの隣の隣で、お菓子を買うのに三分もかからなかったのだ。戻るまで五分くらいしか、かかっていない。
蒼人は問うような目で見つめてくる。彼の青い瞳に見つめられると、まるで心を見透かされているようだ。
待合室には他に誰もいない。意を決して、蒼人の頬に唇を寄せた。唇の先をちょっとだけくっつける。
顔を離すと、蒼人はきょとんとした。しかし、自分の企てがばれたことに気がついて、きゅうっと形のよい眉を歪めた。
「待ってよぉ! お願いだからどこまで知ってるのか教えて!」
「なんのこと?」
焦っている蒼人というのが珍しくて、困った顔を見ていたらつい笑ってしまった。いつもは計算高い彼が困り果てているというのはなんだかおかしかった。唯華はもうちょっとその様子を見ていたくて、蒼人に本当のことを教えないことにした。
「帰ろっか。ごはんの材料買わなくちゃ」
「もう、唯華、俺恥ずかしくて…穴があったら入りたい気分です」
「自分で掘って埋まってしまえ」
唯華は立ち上がり、振り返る。
「あれ、もしかして俺、もう穴掘っちゃったのかな? 名前は、墓穴? …うう、今の唯華ってば超悪女」
蒼人が悔しそうに顔を歪めたまま後ろについてきた。その様子はなんとも素直で、唯華はまた少し笑ってしまう。
買い物をして家に帰ると、郵便受けに封筒が入っていた。住所は書いておらず、ただ、蒼人へ、とだけ書いてある。直接、郵便受けに入れたもののようだ。裏を見ても、差出人は書いていない。
ビニール袋を下げた蒼人にそれを渡す。蒼人はもうやさぐれた表情を隠そうとしていない。
「開けてみたら」
促すと蒼人は封筒の文字を見なおして、硬直した。
「どうしたの?」
「な、なんでもないよ…」
蒼人は封筒唯華から遠ざけ、不自然な笑顔を見せた。唯華がドアの鍵を開けると、蒼人は親子丼の材料を唯華に押しつけて、与えられた部屋に駆け上がってしまった。
☆
休日があけると、また唯華と昼食を食べる仲間が増えた。大会が終わって練習が放課後だけになった佳奈子は少し前から一緒だが、さらに桑名聡一郎が蒼人にくっついてくるようになった。聡一郎は蒼人の事情を知っていて、なにか起きてしまわないように見張るためだとこっそり唯華に教えてくれたが、蒼人が言うには彼女とひどい喧嘩をして一緒にいるのが嫌になったらしい。
佳奈子は明らかに唯華と蒼人の関係について面白がっていた。蒼人の気持ちを知ってしまったことを教えたら、いったいどんな反応を返すだろう。
佳奈子と聡一郎は暇な時に小野寺宅に乗り込むようになった。一応受験勉強と言い張っているが、彼らがリビングで教科書を開いているところを見たことはない。賑やかにゲームなど持ち込んで、三人で楽しんでいる。唯華はゲームは見ているだけで楽しいほうなので参加せずに見守るだけだ。しかし佳奈子と聡一郎は夕方には帰ってしまうから、結局は蒼人と二人きりになってしまう。
蒼人はすっかり唯華の家に馴染んでいる。唯華の兄の部屋はもうすっかり蒼人の匂いに変わってしまった。雰囲気までがらりと変わってしまったようで、兄には申し訳ないような気がした。
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