第20話

 土曜日になり、唯華は蒼人を伴って駅に向かった。父はどうしても帰ってくることができなかったが、母は約束どおりに帰ってきてくれることになったのだ。どうやら母は父に自分の仕事を押しつけたらしい。

 飛行機を降りたら新幹線で駅まで来る予定だ。

 唯華は新幹線の改札口で、胸をどきどきさせて待っていた。蒼人はその横で、笑顔で売店のチョコレートを眺め、店員さんにお金を払っていた。

「ねぇ、私がこんなに緊張しているっていうのに、横でなにしてんの」

「唯華も食べたかった?」

 かじりかけの板チョコを突き出される。

「いらないよ」

 そんなやり取りをしているうちに、母の新幹線が到着する時間となった。

 やがて人の波が押し寄せる。

 そのなかに、白いスーツの女性を見つけ出した。唯華と同じく少し色素の薄い髪の女性。唯華の三十年後を想像させるひとだ。

 母が唯華に気がついた。大きく腕を振って、こちらに向かってくる。

「お母さん!」

 唯華はたまらず駆け出した。普段なら絶対にしないのに、思わず母の胸にしがみついた。母は飛びついた唯華の頭をよしよしと撫でてくれる。

「ただいま、唯華」

「うん、おかえりなさい」

 涙が出そうになったが、次の母の一言で引っ込んだ。

「ところで唯華、あの超絶美形はどこにいるの」

「え?」

 母は肩に下げたバッグから携帯電話を取り出すと、液晶画面を開いた。

 そこには蒼人がピースつきで笑っている。ちょっと上目線の表情はどうすれば自分がかっこよく映るか計算されつくしている。

「なんでお母さんのスマホに…」

「家にあったアドレス帳見て送ったそうよ。んもう、かっこいいーっ。お母さん思わず待ち受けにしちゃったわ」

「思わず待ち受けにしちゃわないでよ!」

 そういえば、母はずいぶんな面食いだった。

「どうもー、蒼人でーす」

 後ろからのんびりやって来た蒼人が自己紹介をする。母が叫んだ。

「きゃあぁぁっ! 本物―っ!」

「はい、偽物じゃないですよ。しかも天然物です」

 限りなくかっこつけた馬鹿っぽい表情で蒼人が受け答える。

「お母さん、目立ってるから」

 唯華は常識的に言ってみる。しかし蒼人と母は外見が目立つ人たちなので、それだけでも注目を浴びてしまう。

「これ本当だったのね。雑誌のグラビアかと思ってたのに。あなた、今日本で人気沸騰中の若手俳優とかアイドルとかじゃないの?」

「あはは、まだ一般人ですよ。唯子さんだって美人ですね~しかも若い~」

「あんたも馬鹿っぽい受け答えするんじゃないの!」

 唯華はすっかり蚊帳の外だ。しかし泣き出したら止まらなくなってしまったかもしれない。感動の再会とはならなかったが、これはこれでよかったのかもしれなかった。


 もうすぐお昼になる時間、唯子のおなかも空いてきたことで、三人でファミレスに移動した。移動中も母と蒼人は仲良しこよしで、唯華としては置いてゆかれた気分だった。

 休日のお昼時で店内は混雑していた。禁煙席に通されると、母は蒼人の向かいに腰を下ろした。唯華は、なんとなく蒼人の隣に座る。

「さ、蒼人君、なんでも食べてちょうだい。奢りだからね。唯華もちゃんと食べなさい。貧相なのはよくないわ。肉を頼みなさい、肉を」

「お母さん…」

「唯華って胸はあるけど手足は細いんだよねー。なんでかなー」

 蒼人は頭の軽いふりをやめない。

「知るか! 私の身体に聞け!」

「聞いていいの?」

「うふ、蒼人君、冗談でもぶっ飛ばすわよ」

 母がにっこりと微笑んだ。蒼人は怯えた子猫みたいになってメニューに目を落とす。調子に乗るから怒られるんだ。

 食事を終え、母がノリで頼んだ唯華のバースデーケーキも食べ終えて一息つくと、母は財布から一万円札を二枚取り出した。

「…もう会計?」

 唯華は少し寂しい気持ちで呟いた。母はあまり長い時間ここにはいられないという。夕方にはまた飛行機に乗らなければならないのだ。

「唯華、これでお父さんのお土産買ってきて」

「え?」

「お父さんの大好物、ままどおるとエキソンパイを買えるだけね。お父さんの地元のアンテナショップが近くにあるのよ」

「えぇっ、どうして今?」

「いっくんたら、じゃんけんで負けた腹いせにそんなことを私に頼んできたのよ。それを持って帰る私の身にもなってほしいわよね。自分がじゃんけんの最初は必ずパーだってことに気づきもしないくせに」

 唯華と一緒にいたくはないのだろうか。

 そんな不安を察知したのか、母は明るく言った。

「それにお母さん、ちょーっと蒼人君と話をしなくちゃいけないのよ」

 したいじゃなくて、しなくちゃいけない。ぐふっ、と変な音がした。隣の蒼人がクリームののったアイスカフェモカでむせていた。

 母は先ほど美形に黄色い声を上げていた人とは思えないほど、厳しい目をしていた。微笑んでいるだけに、ぞっとするほどの迫力があった。我が母とは思えない、すさまじい目力。

「…じゃあ、いって来るよ」

「うん、お願いね」

 唯華はテーブルの上の二万円を握りしめ、逃げ出すように外に出た。蒼人に、目線でエールを送ると、ちょっと泣きそうになっていた。今になって、馬鹿なふりをしていたことを後悔しているようだった。

 ☆

 唯華の母、唯子はじれったいほど優雅にグラスの中の氷をかき混ぜ、ゆっくりとウーロン茶を一口飲んだ。

「さて蒼人君」

「はいっ」

 唯子が繰り出そうとしている質問には、大体の予想がついている。さっきのおっぱい発言はちょっと余計だったと心の中で猛省した。唯子に警戒させたことが容易にわかるほどに、彼女は笑っているのにとても怒っているようにも見えた。

 こんなところに残してゆくなんて、唯華の薄情者。

「まずはありがとう。唯華が寂しがっていることを、私たちにわからせてくれて。唯華は今までとってもいい子で、文句ひとつ言わなくて、だから私たちは唯華に甘えていたのね。親の責任を果たしていなかった。とても反省させられたわ」

「そうですか」

 唯子は首を傾げて、蒼人を覗き込むように顔を近づけてきた。

「でもねぇ蒼人君、どうして私たちの家に住みついているの? 唯華とは、本当はどんな関係?」

「…やっぱりそこですよね」

「私たちは親として、唯華の幸せに責任があるの。蒼人君が唯華にとって好ましくない存在なら、唯華がなんと言おうと二人の関係を許すわけにはいかないわね」

 唯子は真剣だった。なんと説明していいものか、蒼人の脳みそはすぐに回転し回答を導き出した。我ながら、都合のいい頭だ。

「ある理由で兄と喧嘩しまして、家を飛び出したところちょうど唯華に会ってしまって、拾ってもらいました」

「喧嘩の理由って?」

「言いたくないので言えません」

 言ったら病気のことまで説明しなければならなくなる。口をはさませないようにすかさず続けた。

「でも、唯華とは決してやましい関係ではありませんから。俺は唯華が好きですけれど、唯華はきっと俺のことはただの友達だと思っているはずです」

 好きな人の母親に先に告白してしまうのもどうなんだ。恥ずかしくなったが、唯子はそれをばらさずに経過を楽しむタイプだと信じたい。

「だから俺は、唯華になにもしません」

「言い切れるのかしら。私は男の子のことは基本的に信じていないのよ。どんなにきれいな男の子だって、エッチな動画だの雑誌だの、絶対に見てるでしょ」

「たしかに男はそんなイキモノです。でも、誰とでもエッチしたいわけじゃない。好きな人とだけです」

 どうだ。

 胸を張ってみたが、唯子は口をひん曲げた。

「つまり、唯華が危ないってことよね」

 しまった。全ての男性の代弁者にはなれたが、自分を弁護できていなかった。

「俺は大丈夫ですから!」

「なぜ?」

「だって…唯華が不幸になる。唯華が傷つく。そんなのは嫌なんです。俺は唯華が好きだからこそ、ひどいことなんてできません。でも、それってきっと唯華のためではないんですよね。唯華に嫌われるのはすごく辛いから、俺は俺のために唯華を傷つけたりしたくないんです」

 唯子はきょとんとし、ため息をはいた。

「意外と、しっかりした考え方ね。初めて声を聞いたときは、頭と下半身の軽そうな子だと思ったのに」

 蒼人は思わず苦笑してしまった。

「みんなそう言うんですよね。神田蒼人の第一印象は、顔だけの馬鹿って言ってるようなもんですよ。けっこう失礼だと思いませんか」

 唯子は可笑しそうにクスクスと笑った。

「そう見せてるのは蒼人君じゃないの」

「まあ、そうですけど」

 馬鹿なふりをしているのに馬鹿だと思われるのは少しむかっとくる。自分に関わりのない人にそう思われるのはかまわないが。複雑な気持ちだ。

「蒼人君、あなたを信じて大丈夫かしら。信用しても、いいかしら」

「できれば信頼してほしいところですけど、裏切らないように努力します。自分を裏切らないように、ですけれど」

「自分の信じるところを裏切らない、か。蒼人君って、信頼できそうね」

 唯子は氷が溶けて薄くなったウーロン茶を一気に飲み干した。

「話もしたし、出ましょうか」

 席を立とうとした唯子を慌てて制止する。

「唯華、まだ戻ってないですよ」

 戻ってきたときに母がいなくなっていたら、きっと唯華が寂しくなる。

 唯子が人の悪い笑みを見せた。

「なに言ってるの。唯華なら後ろにいるじゃない」

「え?」

 振り返ると、いつからいたのか両手に紙袋を下げた唯華が突っ立っていた。視線が合った瞬間、反らされた。あまりに不自然な挙動だった。

「いつ戻って来たの?」

「…つ、い、さっき」

 唯華は言いよどんだ。様子が明らかにおかしい。

「どこから聞いてたの?」

「…なにも、聞いてませんけど」

 話し方までおかしい。唯子と蒼人の会話をどこかからか聞いたのは確実のようだった。

「ちょっと唯子さん! なんで教えてくれないんですか! 唯華はいつからいたんですか!」

 うふふ、と口紅を刷いた唇が三日月形に歪んだ。

「少年よ、悩みなさい。あら、なんだか楽しくなってきたわ、私ったら。このくらいの意地悪は許されるわよね」

 唯子が席を立った。唯華は蒼人の方を見もしないで、そのあとに続いた。

「ゆ、唯華、荷物持つよ」

 肩に触れると、唯華はビクッと体を震わせた。警戒されている。

「唯子さん、どうするんですかこの状況を!」

「頑張って蒼人君。応援してるわ」

 心にもないことを言って、唯子は極上の笑みを浮かべた。

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