第17話
月曜日、普段どおりに一日が過ぎ、唯華は大会が終わって一段落した佳奈子と蒼人と一緒に下校した。蒼人の親友聡一郎は相変わらずガールフレンドと一緒に下校しているそうだ。
蒼人と一緒に玄関をくぐるときには、ご近所に妙な噂が立ってはいないかと毎日心配事がつのる、いつもと変わらない一日のことだった。
六月の中旬、そろそろ梅雨に入るかというその頃に、唯華の誕生日がやってくる。海外にいる両親は唯華の誕生日と正月には帰ってくると、約束をしていた。もうすぐその日だ。
少しだけ、気分がいい。正月以来会っていない両親にもうすぐ会えるのだ。兄はきっと仕事が大変で来てはくれないだろうが、久しぶりに家族と合えるのは嬉しいことだった。
いつもと様子が違うのか、蒼人にからかわれる始末だ。早く家に帰れ、と返すとすぐに蒼人はシュンとしてしまうのでちょっと面白い。
夜、むしむしするリビングで、蒼人と数学の課題をやることになった。
「ねぇ、暑くないかな?」
尋ねると、蒼人は唯華に見せつけるようにして、手をこすり合わせた。
「ヴァンピールには冷え性が多いの。抹消の血行が悪いんだよ。いいじゃん、ヴァンピールって地球に優しいじゃん、ほら」
蒼人が唯華の手に手を重ねてきた。男子にしては体温が低い彼の手に触れられると、ひんやりと冷たい。
そんな蒼人はちょっと恥ずかしそうな表情を作り、空いている方の手で自分の肩を抱いた。
「暑かったら、俺に触って唯華」
唯華はクーラーのリモコンを探し、スイッチを入れた。
「え…無視?」
蒼人がショックを受けたところで、電話が鳴った。重なった手を軽く叩いてどけさせて、電話に出る。背中で蒼人が、冷たい、と呟くのは無視した。
「小野寺です」
『あ、唯華、お母さんです。久しぶり』
「お母さん? どうしたの、急に」
電話がかかってくるのは、三ヶ月ぶりくらいだった。唯華が高校に入学したあたりから、めっきり電話が減ったのだ。生活する時間が違いすぎるため、いつもはメッセージアプリでやりとりをしている。家族とはいえ両親にも兄にも、唯華自身にも生活がある。仕方のないことだ。
母の声を聞くのが久しぶりすぎて、なにを話せばいいのか思いつかなかった。
『うん…最近どう? 病気になったりしてない? ご飯もちゃんと食べてる?』
「今日は、スパゲティだったよ」
話をそらされたようだった。相手は母なのに、腹を探られているような感じがする。
しばらく他愛ないことを話し、ついに母がこらえきれなくなったのか、叫ぶように言った。
『唯華、ごめんなさい』
「え? なにが?」
『お母さんたち、どうしても都合がつかなくて…唯華の誕生日、十二日に帰れないの』
一瞬、なにを言われたのか理解したくないために、言葉が出なくなった。なにか、なにか言わなくちゃ。唯華は必死に言葉を探した。
「…大丈夫だよ。仕事なら、しょうがないでしょ」
『本当? 大丈夫?』
心配そうな母の声。
会えないのは、仕方がない。だって仕事なのだから。両親は唯華のために働いているようなもので、養われている子どもが文句を言える立場ではない。
だから、いいんだ。
「いいよ、大丈夫だから」
『そう、ごめんね、唯華』
「ううん。じゃあ、私、学校の課題があるから」
『うん、じゃあね。また電話するから』
「…じゃあ、また」
受話器を置いて振り返ると、蒼人がかすかに首を傾げ、唯華の顔を覗き込んできた。眉をひそめた心配そうな顔だった。フリではなく、本当の心配顔だ。
「ほら、課題やっちゃおうよ」
もとの場所に戻ると、蒼人はさらに心配を濃くした顔になった。
「電話、お母さんだったの?」
「そうだけど、ただ予定が変わったってだけ」
「なんの?」
急に子どものような無邪気な顔で、蒼人は首を傾げた。
「…仕事で帰ってこれなくなっただけ。頭悪いフリして人から情報引き出そうとしないでよ」
「そっか、唯華にはばれてるんだもんね。この手は使えないか」
しれっと知的な顔に戻っって、蒼人は次の手を考え始めたようだ。彼の基本はどこにあるのだろうか。さっきの心配顔が基本だと信じたいが、いろんなパターンを持っているところは少し羨ましかった。
☆
「唯華、今日どこかに寄り道していかない?」
お昼休み、蒼人は弁当を食べ終わった後に唯華に提案してみた。
「私さんせーい」
答えたのは佳奈子だった。
「かなちゃんには聞いてないでしょ」
「蒼人君、なにおごってくれるの?」
「え、それって決定なの…ね、唯華はなにか食べたい物とか欲しい物ないの?」
唯華はなにも答えず、ぼぅっとした表情で食べかけの弁当を見つめていた。蒼人も佳奈子も食べ終わっているのに、唯華は弁当を半分も食べていなかった。
「唯華ちゃん?」
佳奈子に肩を叩かれて、唯華ははっとして顔を上げた。
「ん? なに?」
「今日帰りにどこか寄って行かない? って話。蒼人君がなにかおごってくれるんだって」
「だからそれって決定なの? ねぇ決定なの?」
「いいじゃん、お金もってるんだからさ。大丈夫、蒼人君の魅力がお金だけとは思ってないから」
でも魅力のひとつではあるのか。
唯華がちょっと吹きだした。
「私、冬明堂のデビルズパフェがいい」
「えっ! あれって」
「蒼人君、私もー」
デビルズパフェは冬明堂の人気ナンバーワンのチョコレートパフェのことだ。美味しくて、満足できるボリュームで、一個一九八〇円(税込み)である。
「せめて二人で一個にして…」
「えー、ケチ」
佳奈子がぷくりとした小さな唇を尖らせる。
放課後になり両手に花の蒼人は結局、冬明堂では唯華ご所望のデビルズパフェを二人におごることになった。
冬明堂に入ってパフェを食べてしばらくたち唯華がトイレに立つと、佳奈子が内緒話をするときにように蒼人の方に顔を寄せてきた。ちょっと驚いてフォークを口にくわえたまま、蒼人は後ろに引いた。
「今日、唯華ちゃん変じゃない? 昨日なにかあったの?」
心配と少々疑惑の混じった視線。
蒼人は慌てて首を振った。
「俺はなんにもしてないよ。ただ…唯華のお母さんとお父さんが仕事の都合で予定どおりに帰って来られなくなったんだって」
それから唯華の様子は少し変だった。ぼうっとしているかと思うと、急に明るく笑って見せたりして。
その笑顔はまるでなにも辛いことはないと言っているようで、違和感がある。唯華はいつもニコニコと愛想良くしているタイプの女の子ではない。
「次に帰ってくる予定って、唯華ちゃんの誕生日の日でしょ」
「そうなんだ」
「唯華ちゃんのお父さんとお母さんはお正月と唯華ちゃんの誕生日しか帰って来ないの」
佳奈子は寂しそうに唇を歪めた。
「たまにしか会えないのに、唯華ちゃん、どうしてあんなふうに明るくして…いつもなんだよね。なにか辛いことがあっても絶対に言わなくて、私の方から大変なんでしょ、とか悲しいんでしょって言ってあげないとダメなんだ」
悔しそうに、佳奈子は歪めた唇を噛んだ。さすが親友と言うことだけはある。唯華は恐れ多くて佳奈子を親友だと言いきることができないようだが、佳奈子は唯華のことを本気で親友と思っているのだ。
なんでも相談してほしい。
親友ならそう思う。
蒼人だって聡一郎が困っているときはいつだって力になりたいと思うのだ。たとえ話を聞くことしかできなくても。
唯華は自分を心配してくれる人がいることを、もうちょっと考えなくてはいけないと思う。笑うなとは言えないが、いつもと違う顔で笑うことは、どれだけ佳奈子を心配させているかわからない。
「唯華はきっとわかってないんだよ。会えるときに会っておかないと、会えなくなってからじゃ遅いのに」
「え?」
年に何度も会えない家族と会える機会がなくなってしまったのに、悲しいとも、寂しいとも思わないなんてことはないはずだ。
「言ってくれれば、俺とかなちゃんがいくらでも慰めてあげるのにね」
「そうなんだよね。でも逆に落ち込ませちゃうかなって思うとできないんだよねぇ」
佳奈子がはぁと息をはいた。
「蒼人君、唯華ちゃんのこと頼んだよ。私がいっつもついてあげることはできないから」
「まっかせて!」
「当然。蒼人君が本当は役に立たないお馬鹿だったら、大事な親友と同棲みたいなことさせるわけないでしょ」
「なんだ、かなちゃんにもばれちゃったか」
「蒼人君が狸だなんて、少しちゃんと話せばわかるでしょ。どうして蒼人君がモテるのか、私はわかったよ。外面がいい八方美人だからでしょ」
「その通りすぎてぐうの音も出ない…」
そのとき唯華が戻ってくるのが見えた。佳奈子は慌てて体を引いて、なにごともなかったような顔でパフェをつつき始めた。彼女もずいぶんな狸なんじゃないかと、蒼人は思う。
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