第6話
後天性赤血球欠乏性貧血。
それは数多ある疾患のほとんどが一般の人々には知られていないのと同じく、周知などされていない感染症のひとつだ。後天性赤血球欠乏性貧血患者は世界共通でヴァンピールと呼ばれている。吸血鬼に似た人間という意味だ。
後天性赤血球欠乏性貧血の原因となる細菌は、赤血球捕食細菌と言う。赤血球捕食細菌は感染者の汗以外の体液中に存在し、性交渉や母子間で感染が拡大してゆく。
赤血球捕食細菌の活動にはもちろん酸素を必要とする。しかし体内の赤血球捕食細菌は自ら酸素を取り込むことができないため、宿主の赤血球を取り込み、ヘモグロビンと結合した酸素を吸収して活動する。そのために宿主の赤血球値ならびにヘモグロビン値が低下し、強い貧血を引き起こすのだ。
その症状は一般的な貧血とほとんど同じで、動悸や息切れ、めまい、頭痛、倦怠感などが挙げられる。
ただ、症状が悪化すると、感染者は血液を求めて人間を襲うこともある。それが、吸血鬼と呼ばれた所以だ。さらに、ヴァンピールが皆驚くべき身体能力を持っていることも怪物であるヴァンパイアを連想させる。赤血球捕食細菌は宿主の筋力を増大させて人とは思えぬ高い身体能力を与えるのだ。なぜ赤血球捕食細菌が宿主に大きな力を与えるのかは解明されていない。宿主を長く生かすためだというのが有力な仮説である。
現在は赤血球捕食細菌の活動を抑制する薬が作り出され、症状を抑さえることができるようになった。患者が優先的に輸血を受けられる制度も整えられた。
しかしそれ以前、ヴァンピールは人とは思えぬ身体能力を持ち、人間を襲って生き血を啜る吸血鬼だった。ヴァンピールが細菌による感染症患者で人間に間違いないと分かったのはここ百年、ようやく細菌というものが病の原因となると知られてきた頃の話で、それ以前、ヴァンピールは怪物として狩られる対象であった。
中世、ヴァンピールを悪魔とみなして神の名の下に吸血鬼を狩る組織「ヴァンパイア保護協会」がヨーロッパの聖局の中に設立された。保護と名はついているものの、行っていることは殺人だ。ヴァンピールではない者も多く殺されたという。神の名の下に、とはいえ協会が表に出てくることはなかった。
それゆえに、後天性赤血球欠乏性貧血という病気はそれに関わりのない人間には名が知られていない。協会がヴァンパイアどもが何故血を飲まねばならないのか、原因究明に乗り出したのはほんの百年ほど前からだ。
原因が分かってから協会はヴァンピールの人権の尊重を謳い、薬剤の開発や法律の整備、ヴァンピールの教育を行うようになった。
名称も「ヴァンパイア保護協会」から「ヴァンピール保護協会」に変わり、協会は完全に方向転換したのだが、ヴァンピールたちは狩られた歴史を覚えている。これからも忘れはしない。
もし協会が表に出てゆけば、今まで何も知らなかった人々にヴァンピールがかつて化け物として扱われていたことを知らしめ、ヴァンピールの誰しもが吸血鬼となる危険性を持っていることも知られてしまう。
そうなれば、人々は不安を抱き、今のように平和な生活は送れなくなってしまうだろう。
後天性赤血球欠乏性貧血患者は他の感染症患者とは違い、人間を襲うという恐さがある。
ヴァンピールということを隠せば普通の人間として生きてゆけるのに、再び狩られることになったら。殺されることはなくても、普通の生活は送れなくなるかもしれない。そんな不安は常にヴァンピールたちの胸の中にある。
ヴァンピールたちは自分の病気がばれたりしないかと怯えているのだ。ヴァンピールに関する法律は彼らの生活を厳しく制限することもあり、それに反発する過激な団体もあるが、ヴァンピールの大半は表に出ることを嫌い協会の定めた条例に従って生きている。
神田蒼人もその一人だ。
滝人や義姉の薫、父の神田碧人もヴァンピールである。
蒼人の祖父母の時代はまだまだ差別が残っていて、祖父は国にいることが辛くなって日本にやってきた。祖父は日本にやって来て、同じヴァンピールだった祖母と結婚した。
免疫を獲得してすぐに母子感染で赤血球捕食細菌に感染したヴァンピールは乳児期からの薬剤の投与により症状を容易に抑えることができるようになった。寿命も普通の人間と変わらない。
しかし、成人してから感染したヴァンピールは薬で症状を抑えたとしても、おおよそ十年ほどで死に至る例が多い。感染に気付いた時はすでに手遅れになっていることが多いため、薬も輸血もほとんど効果が出ない。
それはたとえ自分は無事でも愛する人を死なせてしまう、ということに繋がる。ヴァンピールたちはそれを恐れて同じ疾患を持つ者同士で結婚することが多いのだ。すでに感染している者ならば感染によって死なせることがないから。
ヴァンピールは感染者でない人間と関わり合いになることを嫌う。友達でも恋人でも、もし感染させてしまったらと考えるとどうしても一線を引くことになる。蒼人のように浅く軽くしか他人と付き合えず、同じ疾患を持つ者同士でいることが安心できるのだ。
蒼人はそのいい例だった。蒼人は、聡一郎はヴァンピールではないが、生まれたときからの親友ということで聡一朗にしか心を許していない。クラスメイトから軽い奴だと思われていることを知っていても、その誤解を解くことができずにいるのは、みんなが自分を理解してくれると思っていないからだ。
それならば演じるまでだ。馬鹿で明るくて軽い奴を。楽だし、みんなも蒼人を好きでいてくれる。それに後天性赤血球欠乏性貧血という病気を誰かに説明するためには協会に申請書を提出しなければならないのだ。
蒼人は夕方近くになってようやく出勤して行った兄を見送った後、スマートフォンで保護協会のサイトにログインした。そこにはヴァンピールだけが閲覧することのできる情報が掲載されている。
この病気は、とても厄介な病気だ。
だが、蒼人には心を開きたいと思う人が現れてしまった。まだ彼女が自分を受け入れてくれると決まったわけでもないし、未来のことなんて考えられない。でも病気のことを知らせずにこの想いは叶うものなのか。どうして自分は全くの健康な身体で生まれてくることができなかったのだろう。
生まれ持ったものだ、仕方がない。それはわかっていても、蒼人は自分の病をこれほど嫌悪したことはなかった。
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