仮面を着けられたら終わり

常世田健人

仮面を着けられたら終わり

「仮面を着けられたら終わりなんだってー」

 通勤電車の中で、とある学生二人が話している内容が聞こえてきてしまった。

 朝七時半に電車に揺られている新卒一年目の傍で、スーツではなく制服に身を包む女学生二人がこんな朝早くから電車に揺られなければならないというのも、我が国のブラック加減を暗じているなと思ってしまう。そんなことが脳裏に走ってしまったので、普段は女学生二人の声なんかに耳を傾けないのだが、今日この時だけはやけに耳に入ってしまった。女学生二人は電車の扉の前にいて、僕は椅子の前で吊り革を握っている。

「何それ? どういう話?」女学生Bが反応する。

「私もSNSでチラッと見たんだけどね、所謂怖い話っぽいよ」女学生Aが若干楽しそうに話を続ける。

「仮面を着けた子どもが夜に見掛けられるんだってー。その子どもを見るだけならまだ大丈夫なんだけどね、その子どもの仮面を見てしまったらもうおしまい。目をつけられてしまって、仮面を着けられてしまうらしいの」

「……着けられたらどうなるの?」

「そこで終わりになるらしいの」

「どう終わるの?」

「わかんない。そこまでは書いてなかった」

「抽象的過ぎるわねー」

 女学生Bの相槌に、僕も心の中で同様の相槌を打っていた。

 大体、終わりになるならば、何でその話がSNSに載っているんだ。

「大体、終わりになるなら、何でその話がSNSに載っているのよ」

 表現を変えただけで同じことを聞いてくれた女学生Bに感謝する。

女学生Aは「それがね」と反応した。「仮面を真正面から見なければ大丈夫らしいの。その終わった様子を見た人が、SNSに書いているみたい。でも、詳細が書けないから、みんながみんな、『終わった』っていう表現をするんだって」

「うーん、怖がろうにも抽象度高過ぎるわね……。その子どもの写真はSNSにあがってるの?」

「それが、どこ探しても無いんだよねー」

「じゃあ作り話でしょう」

「にしてはそんなに面白くなくない?」

「抽象度高過ぎるしね」

「それなのに、なんでこんなに広まっているんだろう」

「今のところあんたにしか広まっていないかもよ」

「そうなのかなぁ……」

 女学生Aはしゅんとしょげながらスマホをいじり始めた。仮面を着けた子どもの写真を探しているのだろうか。試しに僕も検索をしてみるが、写真が出てこない。

――だが、仮面を着けた子どもというキーワードは確かにちらほら出てきた。

仮面を着けられたら、終わる。

「……終わらせてくれるなら、終わらせてくれよ」

 僕の呟きは小さすぎたおかげで、電車内の誰にも伝わらなかった。


 *


 営業という仕事は、一言でまとめると『地獄』だった。

 月曜日に出社をした後、すぐさま社用車に乗り、二つ隣の県まで移動する。僕がその県の営業担当で、複数の県を束ねる支社は一つしかない。つまりはその県を担当する以上、月曜日から金曜日まではその県にずっといなければならなくなる。支社は前述の通りその県には無いため、一週間をホテルで暮らさないといけなくなる。その状態下で取引先にアポを撮りまくり訪問をしまくらなければならないため、ホテルに着くのは毎日午後七時は必ず過ぎる。その上で営業日報を書き、営業準備もしなければならず、寝付くのは当然日を跨いでしまう。仕事のオンオフが利かず、加えてみなし残業制度のため、ホテルでの残業はサービス扱いになる。

 平日は毎日訪問をしているため、月曜日に向けての準備は当然のことながら土日で行わなければならない。それも、残業をサービスしなければならない。

 誰に?

 もちろん、弊社に。

 食事も固定の時間に取れず、夜も遅い。サービスな残業が終わった後に、酒とカップラーメンを食らっていたら新卒五ヶ月目にも関わらず、大学卒業時より十キロ体重が増えた。

 その上、取り扱っている商材の特性上、結果が出るのに一年かかる。

 この頑張りの結果が出るのはまだまだ先で、それにも関わらずサービス残業を繰り返し、ありえないほど太ってしまっている。平日も土日もあったもんじゃない。訪問先では拙い営業技術のために叱責を繰り返される。誰も僕の訪問を嬉しがってくれない。弊社の社員だから会ってやろうという感じだ。それがずっと繰り返されている。エリア担当が故に担当変更が出来ないから、しょうがなしに僕の訪問を受け入れられている。そして叱責される。

「やってらんないっての……」

 五件目の訪問が終わり、午後八時を超えていた。辺りは当然のことながら真っ暗になっており、今からホテルまで一時間運転しないといけない。一時間も運転をしなければならないホテルを何故予約しているのかという指摘もあるかもしれないが、そのホテルに今日中に行かないと、翌日朝八時の訪問に到底間に合わない。

 もっとうまいやり方があるのかもしれないが、新卒一年目――入社五年目の自分にはこれが精一杯だった。

 それが故に、もうどうにでも良くなってしまう。

「終わらせてくれ……何だよこの生活……」

 転職をすれば良いとも何度も思った。

 だが、この生活をしていると平日も土日もサービスを弊社に献上しなければならないため、転職活動の余裕がない。

 それに、転職をするとしても、どこに行けば良いかがわからない。

 あらゆる感情が麻痺していて、何がしたいかという感情すら沸かない。

 だからこそ、終わらせてほしい。

「終わるって……何なんだろうな……」

 田舎道故街灯があまり無い中、車のライトを頼りに運転をし続けながら考える。

 僕自身の命が終わるなら、もう終わっても良いかもしれないとも思い始めている。この生活に未来は無いと思う。いつかは慣れて何かが出来るのかもしれないが、その未来は現状見えていない。今僕自身の命が終わって悲しむのは、両親と数少ない友人くらいだろうか。友人――と言いつつも、この生活になってから一度も会えていない。彼らは僕を友人と言ってくれているのだろうか――わからない。何もわからない。

「じゃあもう、終わって良いっての」

 車を壁にぶつけてやろうと思ったことは何回もある。

 それでも、僕の弱さが――恐怖が――それを許さない。

 感情は麻痺しているのに、怖いという感情は未だ残っている。

 こんな状態でも、人間ではまだあるようだった。

 だからこそ、終わらしてくれるなら、それは救いになるだろう――

 そう、思った瞬間だった――

 車のライトが、子どもを照らした。

 仮面をかぶっている子どもが、車道の中央に居る。

片道だけではなく、反対車線を含めて二人。

背丈からして小学校一年生くらいだろうか。

二人とも、禍々しい悪魔を模した仮面を被っている。

「…………ッ!」

 急ブレーキをかけつつも停止が間に合わない。

 右に曲がったら反対車線の子どもにぶつかってしまうため、左に曲がるしかない。

 左には、街灯がある。

 当然、街頭にぶつかるしかなかった。

 ブレーキで消しきれなかった衝撃が身を包む。

「うぅ……」

 エアバックが作動した。一瞬気を失った感覚が包んだ後、瞬時に意識が戻る。薄く目を開けることができる時点でどうやら致命傷にはならなかったものの、体が思うように動かせない。頭が何か熱いと思い手を触れてみると、血が手に付いてしまている。エアバックにぶつかった衝撃なら良いのだが、フロントガラスが割れた破片でこの傷になっているのならば命の終わりに繋がるだろう。

 その瞬間、女学生Aの言葉が脳裏に浮かんだ。

 ――仮面を着けた子どもが夜に見掛けられるんだってー。

 ――仮面を着けられたら終わりなんだってー。

 ゆっくりと顔をあげて、右を見る。

 そこには子どもが二人居た。

 仮面ではなく後頭部が見えている。

背中にリュックを背負っている。

 ――何故仮面を僕に見せていないんだ?

 そう思った刹那――反対車線に軽自動車が現れた。

 僕と同様に子どもに気づいて急ブレーキを勢いよくかける。それほどスピードを出していなかったのか、子どもにぶつかる前に止まった。

 事故が起きなくてよかったと思ったのだろう――軽自動車の運転手が、扉を開けて子どもの前に出てきた。

 ――出てきてしまった。

「だ、大丈夫? 怪我は無い――」

 僕と同じくスーツに身を包んだ男性が声をかけた。子どもに寄り添って何事もないかどうかを確認する辺り、優しい方なのだろう。

 そんな方に、反対車線にいる子どもは、何の前触れもなくリュックを開けた。

リュックから、悪魔の仮面が出てくる。

「へ?」

男性の素っ頓狂な声など気にもかけず、子どもは男性に仮面を着けた。

 僕の側にいる子どもは何もせず、後頭部を僕に見せ続けている。

「何っガ、あ、ア、あぅ、あっ」

 その男性は唐突に呻き始めた。

 仮面を外そうとしているのだが、手がどうしても届かない。

「あぐ、がア、あ、あ、あぁ、っあ、あ、あぁあアっぅぁぇああぇあえいえああぁ」

 徐々に人語と思えない声を発し、全身が痙攣しきった後――両腕の力が一気に失われた。だらんと垂らされた両腕の反面、しっかり立っている。

「……………………」

 沈黙が続いた後、男性はふらつきながら動き始めた。

 足は、何故か車に伸びている。

 車に乗り込み、椅子に座り、シートベルトを付けて――

「待っ」

 アクセルを勢いよく踏んだ。

 車が発進する。

 前方には、仮面を着けた子どもが一人。

 車と子どもが、ぶつかった。

「嘘だろ」

 呟きは、無情にも空を切る。

 子どもは空を飛び、頭から地面に落ちた。僕の車の真横に居る。見えてしまう。頭から血が出ている。もしかしたら綺麗に割れてているのかもしれない。

「……………………」

 仮面を着けた運転手は車から降りた。

 そのまま子どもに向かっていき、何を思ったか、勢いよく殴り始める。顔だけではなく、喉、胸、腹、腰、太もも、膝、足と――丁寧に、一つずつ。子どもと床が接する衝撃音が何度も響く。何度も、何度も、何度も。止めようにも、もう、遅い。血塗れになった子どもは、最初は衝撃の度に体が反応していたものの、腰に届く頃には何も反応しなくなっていた。

 足まで殴った後、何を思ったか、両足を掴んで子どもの体を浮かばせた。

「待って、やめて」

 何を言っても、もう遅い。

 頭から地面に、叩き落とす。

 その行動を、繰り返し続ける。

 子どもは、間違いなく、助からない。これまでの人生で見たことがない何かが頭からはみ出している。その物体ごと、何度も叩きつける。その行動を、つい先ほどまで優しさを持ち合わせていた男性から繰り出され続ける。

「グェ、げェ」

 いつの間にか吐いてしまっていた。車内に吐瀉物の匂いが籠り始める。その匂いでようやく我に帰った僕は、すぐさま思った。

 ここから一刻も早く立ち去らなければならない。

 そうしないと、僕もどうなるかわからない。

 僕自身の命が終わるならまだ良かった。これは、違う。子どもをあんな状態にしてしまったあと、どうなるんだ。それが終わりというのならば、もう、人生がどうにもならない。覆すことができない。子どもを無惨な状態にしてしまった事実が、一生を付きまとう。そんなことには絶対にしてはならない。駄目だ、早く逃げないと!

 エアバックと椅子に挟まれてしまいうまく身動きが取れない。ぼうっとする頭に鞭を打ち、それでも何とかシートベルトを外すことが出来た。

 あとはドアを開ければ、逃げられる――

「あ」

 ドアを開いた先に、悪魔が居た。

 その仮面の下は、どんな表情をしているのだろう。

 相変わらず身動きは取れない状態のまま、その悪魔は、すでに仮面を両手に持っている。

 悪魔の仮面の裏側は、闇だった。

 一切の穢れもない、黒。

「やめっ」

 仮面を着けられた。

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