第2話
《おかえりなさいませ、坂井様。1年ぶりの長期休暇、楽しく過ごされましたでしょうか?》
「それはもう、本当に面白おかしく過ごせたよ。二度とここに戻りたくないと何十回も思うぐらいにはね」
《ふふ、そんなに楽しかったなんて、羨ましい限りです。管理室のデスクと椅子も、坂井様を再びお迎えできるのを楽しみにしておりましたよ》
「それはどうも。それで、何があったかを教えて?」
《かしこまりました》
バーチャルスクリーンが切り替わり、「F200722812」さんのプロファイル情報が壁一面に展開される。この施設に入居する時に撮られたであろう、気恥ずかしそうに笑う老年の男性の写真が映し出された。
《長期居住者「F200722812」。本名は鈴木康介さん、平成8年旧千葉県A市生まれ……》
「あー、入居者の経歴まで読み上げなくていいよ。何が起きただけを簡潔にまとめて教えて」
《かしこまりました》
バーチャルスクリーンが拡大し、「F200722812」さんの人体模式図が空中に展開される。頭部に当たる部位が、紅く発光していた。
《西暦2103年9月3日18時37分43秒。夕食を済ませて、自室の307号室へと戻る過程で「F200722812」さんは突然倒れました。「F200722812」さんの《端末》が緊急でバイタルスキャンをかけましたところ、脳卒中だということが分かりました》
画面が切り替わり、第307号室の映像が映し出される。ほこりり一つない真っ白な一室、その窓際に据えられた医療用ベッドに、さっきの写真で見た男性が、全身に管をつなげられた状態で横たえられていた。
《「F200722812」さんの《端末》が病院に起動通報し、駆けつけた緊急介護士複数名が「F200722812」さんの緊急処置を行いましたが、心臓含むバイタルサインが著しく低下。彼の《端末》によると、3日以内の生存確率を5割以下です》
室内に生成AIの声が無機質に響く。
《つきましては、施設管理規則第15条にのっとり「F200722812」の『安楽死』を裁可いただけますでしょうか》
「……うん、いいよ。やっちゃって」
《承知いたしました》
画面を見ていると、薄く上下していた老人の胸の動きが少しずつ緩やかになり、そのまま止まった。
《「F200722812」さんの心肺停止を確認しました。続きましては、本部への報告のため、「F200722812」さんの死亡報告書の提出をお願いします。様式はこちらに……》
「はいはい、わかっていますよ」
AIに応答するのが面倒臭くなって、僕は途中で《端末》の電源を落とした。は―っ、と、もう一回。深々とためいきをついて、僕はこめかみを抑える。後段の書類仕事のことを考えると、どうにも気がめいってしまう。
団地の管理棟に身を置くこと。そして、居住者の健康に取り返しのつかない異常が生じた場合、『安楽死』の承認を出すこと。
この二つが、「『東京都公営団地「春風」』」の管理人としての、僕の仕事だ。
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