第3話
無限に続くようにすら思える膨大な量の書類仕事に取り組んでいると、時折変な空想が頭をよぎることがある。果たして昔の人は、22世紀の日本人がいまだに下らない書類仕事から解放されず、一日の大半を事務所に引きこもって、書類をかきかきしているという、悲しい現実を想像していたのだろうかって。
ふぃー、と小さくため息をはいて、手を動かすのを止めて。諸々の記入を進めていた書類を、僕は眺める。「F200722812」さん……じゃなかった、鈴木さんの『死亡報告書』は、大体7割位埋まっていた。
公営団地の居住者が亡くなった場合、施設管理者は48時間以内に対象者の『死亡報告書』を本部に提出しなければならない、という規則がある。埋める必要がある項目は結構あって、居住者の生年月日や身長・体重みたいな基本的な個人情報から、公営団地に住んでいた時の交友関係や趣味、死亡直前の行動なんてのを一々詳らかにつづる必要がある。しかも、この作業を僕は手書きでやっているので、余計に手間がかかっている。ああ、めんどい。
くぅ。と、小さくおなかが鳴った。眼前の掛け時計を見ると、14時を回っていた。ひと段落がついたことだし、ちょっと遅めの昼休憩を取るとしよう。手元の《端末》を起動する。5時間前とちょっとたりとも違わない、いつもと同じ立ち絵、同じ声のアバターの立体光学映像が立ち上がった。
《お仕事お疲れさまです、坂井様。始業時間から3時間以上経過していますため、そろそろ昼休憩はいかがでしょうか?》
「ん、ちょうどそうしようと思っていたところだよ。この時間にデリバリーしている店ってあったっけ?」
《恐れ入りますが、坂井さんが外食されるのは今月に入ってから五回目です。高頻度の外食は過剰な塩分や脂質につながりかねません。本施設の食堂であれば、「坂井」様の年齢と体格、性別に合わせたオーダメイドの健康優良食を提供できますが、いかがでしょうか》
「君は僕の母親かよ」
苛立ち2割、あきれ8割で、僕は苦笑する。旅行から戻ってきて以来使うから、いろいろと仕様を忘れていた。
「いいから言う通りにやってちょーだい。空いてる店がなかったら食堂に行くからさ」
《かしこまりました。検索しますので、少々お待ちくださいませ》
「よろしくね」
だらーん、と体をワーキィングチェアに投げ出して。《端末》が検索結果を返してくれるのをぬぼーっと待つ。
そう、《端末》。だらっと崩れた体勢のまま、右腕にピッタリと装着されたデバイスを、ぼんやりと見つめる。
《端末》は凡そ半世紀前、「国民の能力を最大限に引き出し、より豊かで便利な生活を実現するための、パートナーです」という触れ込みで、日本政府が国民全員へと配布したスマートデバイスだ。1世紀ほど前に存在した「スマートフォン」なる機械に、立体光学映像の投射機能と、補助人格生成AI機能を搭載した上で、さらに住民台帳上の個人情報番号を紐付けた代物だ。
西暦2102年にもなった現代日本において、《端末》は生活のあらゆる局面に普及している。家族や友人との通話、日個人情報の照会、今のようにお店を予約するのだって、大体みんな《端末》を使っている。もはや《端末》なしでの生活は想像すら出来ない、というぐらい、便利で優秀な代物なのだ、こいつは。
と、巷では言われているらしい。
《坂井様、検索が完了しました。残念ながら、この近辺で現在営業している飲食店はありませんでした》
「そっか。分かったよ、ありがとう」
《食堂からデリバリーを取ることも可能ですが、いかがでしょうか?》
「いや、自分で歩いて行くよ。君が口すっぱく言うように、たまには僕も運動した方がいいだろうしね」
ぐっと伸びをして、僕は立ち上がる。
「あ、そうだ。食べ終わったら、「F200722812」さん……じゃなかった、鈴木さんの部屋に寄って行くよ。彼の《端末》を回収しないと」
所有者のいなくなった《端末》は国に返却する取り決めになっている。鈴木さんはどうやら天涯孤独の身だったらしいので、その役目は管理人の僕が果たさなければならない。
《承知しました》
「それじゃ、また後で」
手を伸ばして、僕は《端末》の電源を落とした。ちゃんと電源が切れていることを目で確認してから、僕は事務所の電話を取る。
「もしもし。……はい、そちらは今営業されてますでしょうか?……そうですか、では今から1名で伺うことは可能でしょうか?」
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