第52話 再生能力
さすまたとホースの拘束を解かれたハンニャの体は仰向けに倒れていた。さっきまでは大口を開けて、白目を向いていていかにも死んでいるといった姿だったが、今は口も目も閉じられていて照りつける日光の下でいかにも昼寝をしていますよといった姿に見えた。安らか、という言葉がよく似合う。
神二の情の深さが見受けられた。
神二は左腕の切断面をハンニャの体にある切断面にまるでパズルをするかのように合わせた。
まさかそのまま血が固まるのを待ってくっついたように見せるのではないかとビルデは思ったが、それは違った。
神二は合わさった切断面に自分の手をかざした。
すると神二の手からピンク色の光が放たれたかと思うとその光は切断面に移り、まるで妖精のように患部の周りを飛び回った。
ほんの数秒、その異様な光景が続いて、はっきりとしたその光は徐々に淡いものとなりコーヒーの中の角砂糖が溶けるように形を失った。
あっけにとられたビルデはしばらくその光景に見入っていたが、光が消えたのを見計らい彼はハンニャの左腕に近寄った。
そこにはさっきまでの痛々しい切断面はおろか傷一つない腕があった。何事もなかったかのように左腕はくっついている。
人間離れした所業をやってのけた神二はその力を誇示することなく、ハンニャの両腕を胸の前で組ませた。あと白装束を着せれば、そのまま棺桶に入れても遺族から文句が出ることはないだろう綺麗な姿だった。
「これもお前の能力か?」
「ああ、そうだよ。再生能力ってやつかな。ただお前が思うものとは少し違うな」
「違う? 俺は再生能力ってやつはこんな風に怪我を治すものだと思っていたが、それが違うのか?」
「そうだよ、見てみな」
神二はくっついたばかりの左腕部分の衣服を引っ張った。
それを見たビルデは少し目を丸くした。
「服も……くっついてる」
「そういうことだ。普通再生能力ってのは、いや、能力の時点で普通もくそもないんだが、再生能力ってのは怪我だけを治せるってのが相場だ。しかし俺の場合は衣服をも直すことができる。まあ本人が怪我をしたその時に来ていた衣服だけに限るがな。だから洗濯なんかで濡れた衣服を乾かすのにはこの能力は使えねぇのさ」
例え話を一つ挙げるなら、神二は昨日ビルデと会った時ブレザーを脱いで物陰に置いていた。昨日は大雨だった。屋根のない屋外にそんなものを放置すれば雨によって濡れるのは自明の理。家に帰ってから自分が着ていた衣服は能力で乾かせても、身に着けていなかったそのブレザーは乾燥機で乾かす羽目になったと、そういうことだった。
しかしそれにも際限はある。能力を行使してもその衣服を原材料のポリエステルや綿に戻すことはできない。なぜ戻らないのかは説明しづらかったので、神二はその部分は割愛した。
神二はハンニャが寝ている地面に手を置いた。そこはビルデの真上からの衝撃で隕石と化したハンニャが落ちた場所、クレーターの部分だった。
しかしそのくぼみはハンニャの左腕同様にピンクの光の力によりみるみると直っていく。
「地面も直せるのか」
「ああ、身に着けていなかった衣服は直せないのになぜかこういうところは直せるんだよな。俺自身この能力がどこまで作用されるのかはまだわかってねぇんだよ。あんまり訊くな。無知な自分が悲しくなる」
そう言うと神二はさすまたをビルデに投げて、拘束具となっていた消火ホースを担いだ。
「そのさすまた、南校舎の職員室の中に適当に立てかけといてくれ。俺はこのホースを片してくるから多分同じ校舎か」
そう指示を出すと神二は南校舎へと飛んでいった。正確にはクレストを足場にして駆けていった。
手持無沙汰なのかさすまたをくるくると回しながらビルデは安らかに眠っているハンニャの遺体を見る。気持ちが良さそうな顔で眠っている彼はもう一生起き上がることはないだろう。
(天谷神二。演技とは思えない。いや演技だとしてもそれには何のメリットもない。素でこんな行動をとったということか。とてもあいつの手先とは思えないな)
神二の上に立つ神は酷薄な性格だ。いやそれを性格などという言葉でくくっていいものかさえ疑問に思う。奴は基盤からしておかしいのだ。
どこかの文献に神という存在は人間が理解できない存在と書かれていたことをビルデは思い出した。しかしそれは神が人間とは別世界の存在であり、超然すぎるがためにという意味合いが強い。それは金持ちになりすぎて感覚がおかしくなった大富豪がビルの屋上から金をばらまく精神を理解できないのと同じだ。
ビルデは人間ではない。だが神の概念を理解することはやはりできなかった。
しかし天谷神二がした行動はそれとは真逆と言っていい。少なくとも神は生き物を殺してもこんな風に追悼の意を込めるようなことはしない。何なら死してもなお人の形を成していることに苛立ちを覚え、動きもしないその肉塊をミンチのように細切れにすることすら想像できる。
天谷神二という存在をいくつか修正しなければいけないと思いながら、ビルデは職員室にさすまたを戻した。
校舎を出ると目の前で神二が部室棟を竣工させていた。ホースは元の場所に戻してきたらしい。
「やっぱり校舎も直せんだな。将来は大工さんか?」
「バーロー。もともとの姿を見てねぇと直すことはできねぇよ。それにその理屈ならさっきの俺には『将来はお医者さんか?』って訊かなきゃダメだろ」
「それもそうだな」上を見上げ、一度倒壊したとは思えない部室棟を見つめながらビルデは訊いた。「そういやなぜお前はそんなに自分の能力のことを惜しげもなく俺に教えるんだ? 敵であるこの俺に」
ビルデは神二に視線を移動させる。神二はその視線を真摯に受け止める。
「正々堂々といきたいだけだ」悪とは言い難いそんな正義の言葉を冗談で吐くほどに神二は嘘がうまくない。「お前はさっき俺と共闘した。そしてお前は俺の目の前で奥の手ってやつを見せてくれた。それは翼が変容するという意外なものだった。
もしそれを知らずに俺がお前と対決していたら遅かれ早かれその奥の手だった技に意表を突かれていた。だがお前は今回の件でその可能性を失くした。俺はまだ何も手の内を見せていないのに。
それはフェアじゃない。だから再生能力くらいは晒してやろうとそう思った。ただそれだけだ」
それがビルデを油断させるための言ではないことは神二の目を見れば明らかだった。もしこの目で嘘をついているというのならすぐさま助演男優賞を与えてやりたいとさえ思えるほどに神二の目は真剣だった。
「なるほどな」ビルデは何に対しての安堵か息を少し吐いて、「お前はもしかしたらいい奴なのかもしれないな」と偽りの笑みを浮かべる。そしてビルデは声のトーンを落として、「……だがお前がいい奴だとしても、俺の敵には変わらねぇ。それをよく覚えとけ」
と、強い視線を向けた。神二もまたその視線に答えるかのように、
「ああ、よく覚えとくよ」
と、言外には『お前には負けねぇよ』と語りかけるようなことを言って余裕の笑みを見せた。
二人の間に沈黙が流れたが、すぐに神二が口を開いた。
「というか麗華と鈴鹿はどこに行ったんだよ。もう列に戻したのか?」
「……そういやそうだな」
いないとは思いつつも辺りを見回す。
(あの状況下で大門鈴鹿を列に戻した場合、ハンニャが追って来た時に周りの者にも危険が及んでしまう。ならばサタン様はこの校舎内、もしくはどこか遠くに身を隠させるはずだ。とするとこの近くにはいない可能性もあるな)
思案にふけるようにビルデは頭を掻く。しかし三本指の右手では上手く掻くことができなかった。
彼はその手を睨みつける。
それに気づいた神二が、
「そういやお前も右手やられてたんだったな。貸せ、俺が治してやる」
神二はビルデの右手を取ろうとする。
だが敵に塩を送られることを好まないビルデは、ひょいっとそれを避ける。
その行動に神二はムッとした。続けざまに手を出す。だがそれもまた避けられる。
「おい、てめぇ、俺が治してやるって言ってんだよ。こっちだって野郎の手を握るような趣味はねぇんだよ。さっさとよこせ」
「お前の世話になる必要はない」
「……ああ、そうか。悪魔ってのは大怪我でも時間が経つと自然に治るような種族なのか。そりゃーいいね、野暮だったわ。すまん」
「いや、そんなことは決してない」
「だったらさっさとよこせやクソがああ!」
神二が出した手をビルデの左手が払いのける。次の手もまた払いのけるという異様な応酬が続いた。
およそ数秒、人外な速さで出される腕は数百にも見えたかもしれない。
爾来、軍配が上がったのは両手を使える神二の方で、ビルデは右手をつかまれた。そして神二は両手でその右手をつかみ自分の許へと引き寄せた。
その状況を校舎の影から見ていたものが三人。
サタンと鈴鹿と麗華はまるで見てはいけないものを見てしまったかのように目を丸くし、口を手で覆った。
それもそのはず、さっきまで敵対していた男二人が今は手を取り合い至近距離で見つめ合っていたのだ。そしてあろうことかビルデが神二の胸に飛び込んでいった様を見てしまえば、視細胞が気を利かせて背景を花柄に補正してしまうのは仕方のないことだった。
ビルデと神二も三人に気付く。
数瞬の沈黙は鈴鹿の、
「きゃー、BLよー!」
というあられもない叫びでかき消される。
「違う、何言ってんだ! てかBLってなんだ! あとサタン様はなんで携帯のカメラ機能を使おうとしてるんですか!」
咄嗟に内なるツッコミ精神を開花させたのはビルデだった。
「やっぱり共に共通の敵に立ち向かったらバトルマンガの主人公とライバルみたいに仲間になっちゃうっていうのはホントだったんだね」
「やめてください。こいつとは今でも敵同士なんですから」
「あらま、聞きました。サタンさん。未だ敵と見定めているにも拘らずこんなところで逢引きしてるだなんて背徳感極まりないですね」
「そうですね大門さん。まったく最近の若いもんはこれだから」
「二人とも変なテンションになってるよ」
観察者となっていた麗華が冷静に諭す。
神二はそいつらの始末はビルデに任せ治療に専念した。しかしなにぶんハンニャの左腕みたく切断された現物がないため時間がかかった。
ほんの一分ほどビで食いちぎられた指は再生した。
「これでいいな」
神二は固く握っていたビルデの手を離す。
「ああ」
矯めつ眇めつ見ながら右手の指を動かしてみて、ビルデは違和感がないことを確認する。継ぎはぎ跡もない、手ごたえもほかの指とは変わらず、なんの小細工もなしにちゃんと治してくれたんだなとビルデは思い、サタンを見る。
「それじゃあサタン様、その二人を生徒の列に戻してください。ちょうどこの裏にあるみたいです」
「じゃあこのまま歩いて行かせても?」
「それだとこの二人が何かしら事件に関係しているのではないかと警察に疑われます。大回りして死角を縫って後ろから入らせるようにしましょう」
「そっか、わかった」
そう言うとサタンは両脇に二人を抱え込もうとする。しかしそれを麗華が拒否した。
「ちょっとまってよ。まだ何にも聞けてないのよ」麗華はサタンとビルデに詰め寄る。「あんたたちが悪魔だとか、薬がどうとか、血がどうとか。全然わかんないのよ。こんなことに巻き込んどいて、はいそうですかって引き下がれると思ってんの?」
珍しく自分の意見を主張した麗華にビルデは、
「お前は確か崎本麗華とか言ったな」と、対照的な落ち着いたトーンで、「今回、お前が巻き込まれたのは運が悪かったからだ。それに関しては俺らに非はないと言えばそれまでだが謝罪文くらいは書いてやる気概は持っている。しかしその顔を見るに、それでは足りなさそうだな。どうすればいいんだ?」
ビルデは問いかける。そして一般人たる無知な少女ははっきりと澄んだ声で答えた。
「ちゃんと説明して! あんたたちのこと。そして、鈴鹿のことも」
まっすぐな視線。屈託のない目。澄んだ瞳。
翳らすことが許されないと思えるほどにそれらは絶対的なものだった。
その視線は折れることなくビルデを見据える。瞬きすることを忘れたのかその双眸が閉じられることはない。
そして天谷神二にあてられたビルデは、馬鹿真面目なその気持ちに応えたいと思ってしまった。
「いいだろう。大門鈴鹿にも同じ説明をするつもりだ。今さら傍聴人が増えたところでさしたる問題ではない。ただ、後悔することになる。それでもいいのか?」
「もちろん。それに、後悔はしない。だってそれは私が自分で選んだ道だから」
ハンニャに襲われ、恐怖におののいていた少女はそこにはいなかった。
何か事情の一端を知ったからか、悪魔という非現実なものを見て概念そのものを抜本させたか、それともただ頭がおかしくなっただけか。
いずれにせよこの少女が本気だということは伝わった。ビルデは少女をこちら側の世界に導くことを決意した。
それが神の定めた因果律とも知らずに。
「さて、とりあえず解散だ」
一丁締めなのかビルデはパンっと柏手を鳴らす。その音を聞いて、神二のクレストの妙技に目を奪われていた鈴鹿は我に返った。
「あ、もう列戻る感じ?」
「そうだ、いつ警察が突入してくるかわからないからな」
「え、でもその前にもう一回神二のスカイウォークが見たい」
鈴鹿は神二に懇願する。神二もまんざらではないような顔をした。
ビルデは自身の技に酔う神二と、それに子供の様なリアクションをする鈴鹿を見据える。。
(時たま人間界に降りてきていたからよくわかる。やっぱりこいつらはこうして見るとどこにでもいるただの高校生にしか見えない。とても神の力の伝承者や、悪魔の血の継承者とは思えない。それは自覚していないからか。
事情を知れば、真実を知ってしまったらこいつらは変わってしまうのか。だとしたら、それはすごく悲しいことなんだろうな……)
できることならビルデもこんなことはしたくなかった。だが事情を話さずに巻き込むわけにはいかない。ならば巻き込まなければいい話だが、それに関してはビルデの都合が悪い。神を倒すには大門鈴鹿の力が必要だからだ。その力に頼らなければいけないほどに悪魔族は追いつめられている。それは確定事項だ。
しかし今それを思案していても無為なことだと思ったビルデは鈴鹿の肩をたたく。まるで共に戦場へと赴く仲間を労うように。
「大門鈴鹿、帰るぞ」
「えー、でも神二がー」
「そんなのよりもっと面白いものを後で見せてやるからこっちに来い」
「え、まじで! 行く―」
「じゃあ列戻れ」
「列戻るー」
目をキラキラ輝かせながら寄ってくる鈴鹿をビルデは流れ作業のようにサタンへと送り出す。
サタンは鈴鹿と麗華を抱えて飛び立った。
それを見送るビルデの後ろでは自分の技がバカにされたからか神二がムスッとした表情を浮かべていた。
「お前も列に戻ったほうがいいぞ。警察の厄介にはなりたくないだろ」
ビルデの提案に神二は、
「いや俺はあと西校舎と北校舎を直さねぇと、あそこもいくらか壊しちまったからな」
そう言って神二はクレストを発生させてその上に足をのせ、もう片方の足をそれよりも高い位置に発生させたクレストに置いて、その繰り返しで階段状にして上に駆けあがっていく。
「ビルデ」三階くらいの高さに立った神二はビルデを見下ろし、「今度俺にもその面白い奴見せてくれよ。黒い翼のうねうね動く奴」
神二は挑発するように言った。
「お前とはいずれやり合うことになるんだ。その時には嫌でも見せてやるよ。まあ速すぎて見れないだろうがな」
これまたビルデも挑発するように返す。
「ああそうかよ、一生言ってろ。バーカ」
そう罵声を浴びせると神二は部室棟を飛び越してビルデの視界から消えた。
ビルデは一人になり、ひとたびの安寧をかみしめる。だがそんなものは戦争と戦争のほんのインターバルでしかない。すぐにそんな平和は偽りだったということがわかる、わかってしまう。
ビルデはさっき治療された自身の右手を見る。
何物をも掴めそうな強靭なその手をビルデは固く強く握りしめた。
まるでこれからやってくるすべてのものを力でねじ伏せると決意したかのように。
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