第43話 二つ目の悪魔妙薬
「けっ、納得なんて今になってはして欲しくもないね。俺のこの考えは俺のもんだから。弱者たるてめぇらにはわからねぇ理屈だからよぉ」
そういうとハンニャは再び懐に手を入れた。
再び?
ビルデは思い返す。今みたいに懐を入れた時、奴は一体何を取り出しただろうか。
そして奴のセリフを思い出す。
『殺されそうになった時にこの飴玉を一つ食えと言われた』
(一つ? この飴玉を食えじゃなく、この飴玉を一つ食えだと。その指示を誰が出したのかは知らねぇが、わざわざ数の指定をしたってことは、まさか――)
そのまさかだった。
果然、懐から取り出したのは本日二回目のお披露目となる真っ黒に輝いた悪魔妙薬だった。
「待て!」
ビルデのそんな制止にも耳を貸さず、ハンニャは副作用極まりないそのドラッグをはばかることなく口へと放り込んだ。
ゴクリ、という音は飴玉を飲み込んだ音かそれともビルデが唾をのんだ音か。
一瞬の間。それは文字通り、瞬きほどの時間しかなかった。
ハンニャの大きな手がビルデの視界を覆った。
この一瞬でハンニャは目にも止まらぬほどのロケットスタートを行使して二人との距離を詰めたのだ。
顔をつかまれる。ビルデはそう思った。
だがその予想は大きく裏切られた。
いつまで経ってもその手がビルデの顔をつかむことはなく、それはその場に静止していた。いや、時間にすれば一秒も経っていなかったのだろうが戦闘の上でその時間は生と死を分けるほどに膨大なものだ。
なぜかはすぐにわかった。
ビルデと神二の顔面に両の手を伸ばしているハンニャの体はピンク色の真円状の壁、クレストによってその進行を妨げられていた。
ハンニャは一歩後ずさる。
そしてその壁の製造者、神二は顔を上げる。
「ざけてんじゃねぇよ」
とげとげしい視線をハンニャに向ける。
「自分の欲求のためだけに、罪のない人を殺したってのか」
「ああん?」怪訝な顔でハンニャは答える。「だからなんなんだよ。正義の味方みたいなセリフ吐きやがって。恥ずかしいな」
「ああ、恥ずかしいよ。だがなそんな恥ずかしいことを言う奴がいなけりゃこの世はてめえみたいな奴ばっかになっちまうからな」
神二はゆっくりと歩み寄りハンニャとの間合いを詰める。
「ああそうかよ。だがてめえみたいな口だけ野郎は早死にするのが常なんだぜ」
「へー、じゃあやってみろ」
神二の言葉の終わりを聞かぬうちにハンニャはノーモーションで蹴りを放った。しかしそれが腰の高さに到達するのを待たずして再びピンクのクレストがそれを止める。
そしてハンニャが蹴りを止められたと気付くよりも先に神二は一メートル大のクレストを発生させる。
ハンニャの左右と後ろと真上の四方向に。
囲まれた。ハンニャは逃げ場を失う。
「なっ!?」
そんな間抜けな声を出した喉を神二は掻っ切るぐらいの勢いでつかみ、そのまま真下への方向へと力を加えた。
ハンニャの体は抵抗なくリノリウム材質の廊下へと押し付けられ、二人は階下へと消えていき、三階から一階まで落ちていった。その一部始終を見ていたビルデは二人の後を追う。
「ざけてんじゃねえぞ、クソが!」
以外にも激昂していたのは神二だった。どうやら先ほどの生きる死ぬの話は地雷だったらしい。
北校舎の最下層では顔をゆがませるハンニャと鬼の形相を貼り付けた神二が相見えていた。
はやい。さっきよりも数段。こんな時には速いというよりも疾いという字を当てればよいのかとビルデは少し迷った。
そんな無意味なことに脳細胞の活動を移行させていても心配がないくらいに神二の力はハンニャとほぼ互角と言ってよかった。
(悪魔妙薬の持続時間はおよそ十分。しかし後半の五分は右肩下がりに力が衰えていくので、実質のゴールデンタイムは力が発現してからの最初の五分と言える。つまりはこのまま神二がハンニャを五分食い止めていてくれればこちらの勝利はほぼ確定だ。もし奴が三つめの悪魔妙薬を持っていたとしても、おそらくそれに手を伸ばすことはない。いや伸ばせないと言った方が語弊がないか。悪魔妙薬。ただの人間が手を出してはいけない禁断の果実。そのタブーに二度も踏み入った代償は大きい。ハンニャと呼ばれているあの男はそれを知っていたのか? いや奴は知らなかった。だからこそ二つ目を食ったんだ。俺たちを完全に制圧するために。あいつは指示されて動いている。大門鈴鹿を殺そうとしているところを見るとその指示を出している者は俺らと敵対する神の野郎だろうが。ではなぜその神側の存在である天谷神二がいま奴と闘っているんだ。その指示している者は新しい第三の勢力とでもいうのか。くそっ、わけがわからん)
神二とハンニャの戦闘は苛烈さを増す。やはりビルデが入る余地など一縷ほどもない。今は二人の間に水を差さないのが最高善とビルデは考えた。
耳を聾するほどの大きな音が辺りに響く。
このままいけば北校舎が崩れるのも時間の問題だとビルデが思った矢先、渦中の二人は中庭へと戦闘範囲を移行させた。
神二が緑茂る中庭にまろび出たところを見るとややハンニャが優勢といったようにビルデには思えた。
(悪魔妙薬は言わば身体の疲労を騙す増強剤。ゴールデンタイムの五分くらいならそこまで体力が大幅に削られることはない。だがその後の衰弱のスピードはさらに増す。この五分で決めるつもりってことか)
ハンニャは少しビルデの方に視線をやる。その目には『この五分でお前も殺してやる』といったものが付帯しているように感じられた。しかしその視線も神二のハンニャへの一撃で中断される。
ビルデは二人の延長線上にあり、先ほどまで校舎の形をしていたであろう部室棟の残骸を目に入れる。
(あそこまででかい建物が崩れたんだ。その崩れた音は千人ほどの生徒が整列してるだろう裏手のグラウンドまで聞こえていたはず。だがなぜか誰一人としてこちら側に様子を見に来ようという教員がいない。不審者やこんな不測の事態に対して学校側がどういう処置を取るのかは俺の知ることじゃないが、普通は体育教師辺りが対応したり状況把握に乗り出したりするものではないのか。いやそれ以前に最初の爆発から今まで何分経った? ハンニャが一つ目の妙薬が切れるまでおよそ十分。その前に大門鈴鹿と崎本麗華が部室棟前に来るまでは爆発から同じく十分ほど。事件が起こってからもう二十分強は経っている。おそらくはもう警察という治安部隊が招集されてもいい頃合いだ。なんならもう突入してもおかしくはない。だが誰も来ない。どうなってる。俺たちが知らない何かが裏で工作しているのか。やはりこれも神の――)
ドンッ!
ハンニャの攻撃により西校舎に神二が突っ込んだ。中庭にいるハンニャはゆっくりとビルデに視線を移す。
(天谷神二、よくやったが、二分も持たなかったか)
ビルデは翼を現出させ、戦闘態勢に入る。刹那の間を置くことなく二人は激突した。
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