第42話 死は生の実感

「ああああああああああああああ!」

 人と人がぶつかったとは思えない轟音が何度も、何度も辺りを包みこむ。

 特別教室がひしめく北校舎に大きな風穴が開けられたと同時に赤黒い液体が校舎内を彩った。校舎内のそれはプロの絵描きがデザインしたと素人に言えばすぐに信じてしまうほどに荒々しく躍動感あふれるものだった。そしてその三人の絵描きは今もなおキャンバスに色を付ける。

 ガンッ! 

 建物に鉄球がぶつかったかのような音を出してビルデの拳とハンニャの拳は衝突した。

 双方の力のベクトルは真逆、だがその力の強さはほぼ同じだったようでお互いに逆方向に同じ分の距離だけ飛ばされる。

 それを見計らっていた神二は待ってましたとばかりに飛ばされた瞬間のハンニャの後方にクレストを発生させ、ハンニャは当然のごとくそれにぶつかる。ハンニャは後方に発生した壁に不意を衝かれた。そして重力に従い頭をもたげたところに神二のアッパーがそいつの顎下にクリーンヒット。

 ボクサー顔負けのアッパーを受けたその物体は上へと舞い上がりそのまま廊下の天井に突き刺さるものだと神二は思った。しかしハンニャは天井に両手を突いて突き刺さるのを避けたかと思うと反撃とばかりに両の足を神二の顔面に突き刺した。

 上からの反撃を受けた神二は廊下に突っ伏し、ハンニャは追撃しようと右手を手刀の形にして、遠慮のないとどめを見舞おうとする。しかしそれは視界の端から飛び出してきたビルデのタックルによって阻止された。

 横からの衝撃を受けたハンニャは廊下を転がった。

「ったくよぉ」ビルデは剣呑な目を向ける。「勝手に手ぇだしてんじゃねぇ。お前もこの天谷神二も俺の獲物なんだからよ」

「って、おい」神二は余裕の笑みで立ち上がりビルデと並ぶ。なぜか傷はふさがっていた。「まだお前は俺を敵としてみてんのか。いやそりゃ、神と悪魔って立場じゃあ敵同士だが、今は協力しなきゃいけない場面だ。そんなこと言ってる場合でもないだろ?」

「いや、そんなことを言ってる場合でもあるみたいだぜ。見ろよ、あれ」

 ビルデは顎でハンニャの方を指す。見るとそこには血だらけになりながらもけなげに立ち上がろうとするハンニャの姿があった。

「そろそろ薬が切れる」

「薬?」

「さっきの黒い塊だ。あの薬の効力が切れるんだよ」

「ふーん」

 何が何だかはわからなかっただろうが神二は一応わかった風に取り繕う。

 ハンニャは時間をかけながらも立ち上がった。が、すぐに膝を折り、四つん這いになったかと思うと大量の血を口から吐き出した。

「ほら、もう終わりだ。普通の人間が悪魔妙薬を食べても力はもって十分ほど。その後のリスクは程度の問題はあるが今みたく吐血したり、ひどい筋肉痛が何日も続いたりする。一瞬人間離れした力を手に入れる代わりに相応のリスクが伴うのは当たり前だ。ハンニャとか言ったな、大人しく投降しろ。ただしその薬を誰からもらったかを告白したうえでな」

 すでに勝ち誇った表情を張り付けてビルデはハンニャをなだめようとする。だがハンニャはひざまずきながらも不敵な笑みを浮かべる。

「は、ははははははははははっ!」

 耳をふさぎたくなるほどの高笑いだった。

「そうか、そうなのか。この飴玉はそんなローリスクハイリターンな薬だったとはね?」

「ローリスクだと?」

 ハンニャのその言葉にビルデは怪訝な顔を浮かべる。

「ローリスクだよ! こんな風に血を吐いたり、何日も体中が痛くなるくらいなんてこととはないだろ」

 ハンニャのその顔はどことなく嬉々としたものにビルデには感じられた。

「お前」ビルデは訊く。「その薬が何なのか知らずに食ったのか?」

「ああ、そうだな。捕まりそうになったり、殺されそうになった時にこの飴玉を一つ食えと言われただけだったからな。グエッ――」

 ハンニャは再び吐血する。

 ビルデは鼻を鳴らした。

「けっ、今にも死にそうじゃねぇか。そんな汚ねぇ血じゃなくて、早くその薬をくれた奴の名前を吐けよ」

「ははは、誰がばらすかよ。ぜってえ言わねえよ。それに死にそうだからなんだってんだ。死にそうってことは生きてるって証拠じゃねぇか」

「なんじゃそりゃ」今まで観察者に徹していた神二が口をはさむ。「随分なドM発言じゃねぇか。今まで何人も殺してきたドS野郎が言う言葉とは思えねぇな」

「まあ、確かに殺人はSMプレイの延長戦だと思うぜ。だがな俺はそういうのを求めて何人も殺してきたわけじゃねぇ」

「じゃあなぜ?」

「『生』を実感するためだ!」

 言うことをあらかじめ決めていたかのようにハンニャは迷うことなくそう言い放った。

「『生』だと?」

「そうだよ、生きるというその感覚だ。人は生きてる、そんなのは当たり前だ。だがそれを実感する時はいつだ? 生まれたその瞬間か? 飯を喰らうその時か? 最高の女とヤった時か? そこに答えなんてない。それは人それぞれだろ。それがたまたま俺は『人を殺す時』だったってことだ!」

 ハンニャはなおも口弁を垂れる。その間、神二は何かを言い返すこともなくただ拳を強く握るだけで、それをビルデは横目で見ていた。

 『生』と真逆の『死』は、同時に『生』を連想させる起爆剤。

 他人に『死』を啓蒙することで自分が相手よりも優れた存在であることを示す。

 なぜ女性ばかりを襲ったのかは男よりも非力でいい声でなくから。

 なぜ白い服を着た女性だけを襲ったかというとそれは真っ赤な鮮血がより映えるから。

 ハンニャはそんな持論を語った。まるで自分しか知らない理論を博識者に教える新人学者のような顔で。

 一通りの持論をのたまったハンニャは肩で息をしながら二人を見据えた。

「どうだ? 何か間違ってるか?」

 神二は答えない。

 代わりにビルデが答える。

「いかれてんな」

「いかれてる?」ハンニャが苦悶の表情を浮かべながらビルデを睨む。「俺からしたら俺以外のすべてがいかれてるぜ。街を歩いていて、通りすがるこいつをいきなり殴ったらどうなるだろう。今俺に話しかけたこいつにナイフを突きつけたらどんな反応をするだろう。なんで俺の近くを歩くこいつらは、俺に殺されないと思えるのだろうか。それはみんな思うことだと俺は思ってた。この世界は不条理だ、殺らなきゃ殺られる。強さとはすべてだ。弱者で終わるてめえらが全くもって分からねぇ」

 大きくひん剥き充血した目を二人に向ける。

「俺は人間じゃねぇからよくは分からねぇがそういうのは多分非常識とか言うんだろうな。悪魔の俺でも理解はできても納得はできなかったよ」

「けっ、納得なんて今になってはして欲しくもないね。俺のこの考えは俺のもんだから。弱者たるてめぇらにはわからねぇ理屈だからよぉ」

 そういうとハンニャは再び懐に手を入れた。

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