第40話 待つ身はつらい


 待機。それは人類史上最も無駄な時間と揶揄しても誰からも文句は言われないだろう。そしてそれは蛍雪の功を求める学生にとっては最も避けなければならないものでもある。進学校を謳っている闇蔵高校としてはもどかしい時間だが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。

 陣貝徹は警戒心の強いミーアキャットのように人混みから顔を出して辺りを見回す。南校舎の入り口近くやグラウンドの周りには数十人の警察が周りに転々としていた。

 こんなにも治安員がいて、未だ校舎内への調査を渋っているのには徹だけでなく他の者も疑問に思うところだがこいつらも国に認められ正義を標榜する人間だ、何か考えあってのことなのだろう、と思う。しかし徹にとってはそれよりも重要な懸案事項がある。

鈴鹿と麗華の姿が見えない。

 グラウンドにはほぼ全員の生徒が避難してきていて、すでに整列し終えていた。

 前方の朝礼台では教師が何やら生徒に安心感を与えるような文句を垂れていたが徹の頭には入ってこず、地獄耳の持ち主がいればソワソワと聞こえてくるだろう挙動不審ぶりを見せていた。

 そしてそのソワソワを聞きつけた誰かが、

「やっぱ待つ身はつらいよね」

 と声を掛けてきた。徹がそっちを見ると冷やかしの表情を浮かべる三上初香が覗き込んでいた。他の生徒の大半は真面目に整列しているというのに初香は自分の立ち位置など無視して前進してきたらしい。

「なんだよ、こっちは今すぐにでも飛び出して探しに行きたいって言うのに。三上もちゃんと自分の位置に戻れ、生徒会長がそんな自由でいいのかよ」

「私は縛られるのが嫌なんでね。この学校の風紀ももう少し緩めに改変してやりたいと思っているくらいさ。その筆頭として今この場で自由を標榜するためにここから飛び出して徹は想い人を探しに行ってくれよ。私は止めないよ」

「お前が止めなくても屈強な教師陣に羽交い絞めにされて終わりだよ」

「あらま、非力な男だね」

「言ってろ」

 しばしの沈黙が流れた。しかしすぐさま、

「てかやっぱり鈴鹿のこと好きなんだね」

 と初香が徹の耳元でささやいた。

「なっ、」

「あ、そんな反応するってことはやっぱりそうなんだ。いやー、まだ疑いの段階だったんだけど。そうだったかー」

 徹は辺りを見回す。初香がわざわざ小声にしてくれたことで周りには気づかれていないようだった。

「ま、いいことだよ」初香があっけらかんと言う。「好きな人がいるってのはさ。人間はそういった好奇心を媒体にして成長する生き物なんだから。んで、鈴鹿もその好奇心に毒された口だろうね。おおかた爆破された理科室がどんな芸術的な壊れ方をしたか見たくなったって所かな。麗華はその鈴鹿を止めについて行ったと、なるほど筋は通ってる。これに尽きるね」

 自分が言ったことに初香は首肯する。そして徹は、

「まあ確かに鈴鹿は幽霊を見かけたとしても『靴代がかからなくていいね』なんて冗談めいた挨拶を皮切りに仲良くなれるほどに未知のものを求める好奇心の鬼ではあるだろうな。でもこんな大変な状況で自分の欲求を優先するほどに節操のない奴だったかな?」

「女の子なんて裏では何考えてるかわかったもんじゃないよ。現に真面目を標榜する我らが学級委員長さんも裏ではヤンキーめいた他校の男子と付き合ってるしね」

「まじか」

 徹は前の方にいる学級委員長を見た。初香とは違い自分のポジションで案山子のように突っ立っていて、その姿からは言外に『結婚するまで貞操は守るのが常識だ』といった気概が感じられた。ヤンキーと夜な夜なランデブーをしている風には見えなかった。

「それは意外だな」

 徹は何ともなしに呟く。

「そうだね、意外だね。……まあ、嘘だけど」

「……はあ!? 嘘かよ!」

「当たり前じゃん。私が委員長さんのプライベートなんか知ってるわけないでしょ。だから気を付けなよ、徹。女ってのはこんな風に平気で嘘をつく生き物なんだからさ」

「それはお前だけだろ。まあでもお前自身には性格の裏表はなさそうだな」

「へー、私に裏がないと思ってくれてるんだ?」

「そうだろ、いつもはっきりとものを言って、人が喜ぶ言葉をわざわざ選ぶことがなくて、口数も多い。裏を作る方が大変じゃねえか?」

「女にそんな理論は通用しないよ。嘘をついたり、後ろめたいことがあるときに口数が多くなるのと一緒で私も言葉という盾で自分を護ってるんだよ。立て板に水を流すようにこれだけの言葉を羅列しておいてそれに嘘があるわけがない、そんな人間心理につけこんでいる奸智な女なのさ」

「そうか、だがそれは相当頭が良くないとできない芸当じゃねぇか。言葉を紡ぐほどその事象に対する世界観が広がり、押さえていく事柄が多くなるからな。つまりは頭がよくないと喋れば喋るほどボロが出る。自分が何を喋ったかをちゃんと覚えとかねぇといけねぇな。お前はそんなに記憶力が良かったか?」

「いいよ、すっごく。主にどうでもいいことや、皮肉にも忘れたい事柄に対してね」

 その時の初香の顔はどことなく哀愁が漂っていたように徹には感じられた。そしてそれがなぜか徹は知っていた。だからこそその顔を見て見ぬ振りすることにして、眼前にそびえ立つ南校舎に目をやった。

「鈴鹿と麗華、どこいったんだろな」

 徹は呟く。

「あの二人なら大丈夫でしょ。てか神二のことも心配してやりなよ」

「え、神二?」

 意表を突かれたのか半ば声が上ずった徹は列の先頭に目をやる。そこには『あ』の文字から始まるため、一番前に並ばされているであろう天谷神二の姿はなかった。

「ほんとだ、あいつもなんかあったのか」

「さあね、知らないよ」

 われ関せずといった具合で初香は肩をすくめる。

 するとそれを合図と取ったわけではないだろうに生活指導の教師が列内に入ってきて前の方の生徒から順々に『静かにしろ』と注意し始めた。

 自身の持ち場を離れている初香には望んだ存在ではなかったのだろう。それを見た初香は、

「んじゃ、私は自分のとこに帰るねー。愛する人を待つことは辛いけど、待ち人がいないよりは随分とマシなんだからね、少年」

 と、捨てゼリフを吐いてそそくさと後ろへと消えていった。

 それを見送ると徹はまた前へと向き直る。

 ここで徹はふと疑問に思った。

 ここから前を見てみると人が多いからだろうか、神二がいるかどうかなど背伸びをしたりそこに注目しない限りは判断などできない。しかし初香はここから随分と後ろの位置だというのにその有無がなぜ確認できたのか。

 一つ仮説を立ててみると初香が神二のことを好いていて日常的に意識しているからだろうが、教室で話しているところなど果たして見たことがあっただろうかと徹は回想してみたがやはり記憶の片隅にもそんな情景は刻まれていなかった。あの性格の初香からして好きな人ができれば積極的にアピールするものだと思っていた徹はその仮説を自ら反証した。

 しかしそんなものに脳細胞を活用するくらいなら鈴鹿と麗華への心配に使った方が有意義だと考えた徹は『三上は生徒会長だから生徒の有無を確認する義務があるのだな』と投げやりながら結論付けた。

 徹は引き続き、待つ身を演じる。


 何かが崩れる大きな音が南校舎裏から聞こえたのはそのすぐ後だった。

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