第39話 どこから話せばよいのか
「ねぇ、何なのあいつら? いや、それはあんたもなんだけどさ」
安全地帯の屋上に降り立ったサタンにおろされた鈴鹿はいの一番に言い放った。
「えーっと……何から話したらいんだろ……」
サタンは沈思黙考するが情報がありすぎてどこから説明をしたらいいものか懊悩する。
「じゃあまずあの二人からだよ。一人は知らないけど、もう一人は同じクラスの神二ってことはわかったよ。でもあいつってそんな運動神経良かったっけ? 蹴りとかもめっちゃくちゃ威力あったよ。私初めてだったよ、人があんなに飛んでいったの。すごかったよハリウッド映画みたいだったよ。なにこれドッキリなの? じゃあどっかにカメラとかあるとかそういうのなの? うちの映研ってそんな技術あったけ。ねえ、ねえ――」
好奇心旺盛な鈴鹿は長篠での織田軍の鉄砲隊のように絶えることなく質問を投げかけ、サタンは武田勝頼を彷彿とさせる当惑を見せる。
そしてそのやり取りを未来から来た歴史研究者のような視線で麗華は観察していた。
麗華はまったくもってついていけなかった。
学校が爆破されて避難をするところまではまだ常識の範囲を脱していなかったが部室棟裏で連日報道されている殺人犯が現れたり、そこに二人の男が助けに来て、うち一人は同じクラスメイトの天谷神二で、その二人が一瞬で人外な動きをした殺人犯にぶっ飛ばされて校舎に大穴を開けたところなどは、たとえスクリーンの中の世界だったとしても衝撃的なものだった。
人はあそこまで速く動けない。
人に翼なんて生えてない。
人は一瞬で地上から屋上までは飛べない。
それは麗華にとって常識中の常識だった。
しかし今その概念を根底から打ち崩す事態が発生している。
それが麗華にとっては怖かった。彼女は鈴鹿程に寛大な世界観を持ち合わせてはいない。それは言い換えれば揺るがぬ信念、恒常的な基準を持ち合わせていると言っていい。しかしそれは同時に物事の変化に臨機応変に対応できないことをも意味する。
麗華は鈴鹿とサタンのやり取りをBGMにして頭を抱えるほかなかった。
「じゃあ天谷神二は人間じゃないってことなの?」
なおも鈴鹿は質問を浴びせ続ける。
「ああ、多分そうなんだよ。でも僕もあの男の子とは今日が初めてで、ビルデに聞いた話でしかわかないんだけどそういうことだと思うよ」
「ちょっと待って、ビルデってもう一人のなんか角がぐりーんってなってる人だよね」
「ん、そうそう、角がぐりーんってなってる人だよ」
「で、そのビルデが悪魔なんだっけ? じゃあ、あんたはなんていうの?」
「僕の名前はサタンだよ。僭越ながら魔王をやらせてもらってます」
「え、じゃあ一番偉い悪魔ってこと? それにしちゃあ、少し頼りないような……」
「まあ、そうだね、僕も魔王はビルデの方がいいと思ったんだけど……、あ、来た」
黒い翼を出して三人の目の前にビルデは現れた。ビルデは本当にダメージがないのか単なる強がりなのか軽快な出で立ちで屋上に降り立つ。
サタンはそこに違和感を覚えた。しかしそれが何なのかはすぐにはわからずクイズ王もたじたじの速度で正解をはじき出したのは、
「あ、角がない!」
意外にも観察力に乏しそうな鈴鹿だった。
実際、さっきの衝撃によってビルデの異様な雰囲気を醸し出していた二つの角は綺麗に取れていた。大きな牙に目をつむればそのまま役所に戸籍謄本を取りに行けそうな人間の風貌そのままだった。
指を指されたビルデは口をへの字に曲げながら鈴鹿に一瞥を投げる。
「お前が大門鈴鹿か。なるほど昨日のあいつとは瓜二つだな」
鈴鹿は『昨日のあいつ』のワードに疑問を抱いたような顔をしたがそれに目をくれることもなくビルデの視線はもう一人の女に向けられた。
「お前は誰だ?」
麗華は小型犬くらいなら睨まれただけで卒倒させられるかもしれない目を向けられ返す言葉を失った。
それを察してか代わりに鈴鹿が答えた。
「この娘は麗華、崎本麗華ね、私の友達」
「じゃあ一般人か。悪いな、こんなことに巻き込んで」
ビルデは謝罪もおざなりにサタンへと向き直る。そして神妙な顔になった。
「あいつ、悪魔妙薬を持ってました」
「そうみたいだね。じゃないとあんなに爆発的に戦闘力が上がるわけがない」
その後も二人はいくつか言葉を交わした。
その間鈴鹿はそんな興味深い話に耳を傾け、麗華は熱い視線をビルデに向けていた。
だがそれはビルデの顔立ちが整っていて目を奪われていたからではない。それは既視感を覚えたからだ。
ビルデの顔を見た瞬間、鋭い目つきをするな、と思ったと同時に昔どこかで見たことがあるような郷愁さをも麗華は覚えた。
聞いた話では悪魔といっていた。あいにく崎本家の系図を開いてみても悪魔族と契りを交わした物好きな奴は記載されていなかった。親戚ではないとしたら、街中で会っていたか。いや、ハロウィンでもない時にこんな大きな牙を生やした人を見ればその日の夢に飛び入り出演されることこの上ない。
夢?
それが麗華の頭に引っ掛かった。しかしそれはS字フックのように小さな引っ掛かりで、解決にたどり着くには程遠い。
そんな曖昧な世界でこの顔を見たことだけは、記憶力に長けている麗華は覚えていた。しかしそれが分かったところでこの状況が好転する要因になるわけでもないと考えた麗華はその記憶をそっと胸に秘め、屋上にある落下防止の柵にもたれかかる。
一方鈴鹿はそんな麗華の葛藤も知らずにファンタジー感あふれるビルデとサタンの話の輪に割って入っていた。
「え、じゃあその悪魔妙薬を食べると強くなるってこと?」
「うん、そうだよ。でもね、それには相応のリスクがあってね」
「サタン様、今それを話している場合じゃないです。とりあえず奴を拘束してどこからその薬をぶんどったか吐かせないといけませんね。……それよりもサタン様、なぜ私の頭の方に目をやるのですか」
「いや、痛くないのかなって思って」
「大丈夫ですよ。この人間界で角は邪魔だと思ってたのでちょうどよかったです。それとも何ですか、私が昨日のあいつみたいにビルデの容姿に変装した偽物だとでも思ってますか、だとしたら大丈夫です。あいつのトレースは完璧でした。悪魔の角を忘れるほどに耄碌はしていないでしょう。私はビルデですよ。あなたのオタク趣味を寛大に受領できる側近悪魔のビルデですよ」
「ちょっとなんでそれ言うのさ」
「え、なにそれ。悪魔もオタクとかなんとかってのあるの? アニメとか放送してるの?」
「ほら、聞かれちゃったじゃん」
「別に隠すことでもないですよ」
「隠すことだよ」
「てかそれよりもさっき変装してる奴がどうとか言ってなかった? それなら私見たよ」
「「えっ」」
ビルデとサタンの二人は意表を突かれたのか鈴鹿を見る。
「どこでだ?」
「えっとさっき階段で――」
ガシャァン!
鈴鹿の言を遮るように柵が壊れる大きな音が鼓膜を震わした。
ビルデが刹那でそちらを見ると麗華の左隣およそ二メートル離れたところのフェンスが外側から壊された。神二がフェンスに突っ込んだのだ。ハンニャに吹っ飛ばされたであろう神二の体は太陽の光を遮るように高々と舞い上がっていた。
「なっ……」
別に忘れていたわけじゃない。こんな不毛な会話をしていても下でハンニャと神二が交戦していることをビルデはわかっていた。
ビルデは飛ばされ屋上の端の方で倒れている神二にではなく壊れたフェンスから闖入してきたハンニャに鋭い目を向ける。
屋上に降り立ったのではなく、崖っぷちから這い上がってきたところを見るとロッククライマー顔負けのクライムを見せてこの部室棟を上ってきたのだろう。どうやら人外な能力を手に入れたからといって、飛行能力はないらしい。黒い翼を持つビルデにとっては好都合だがそれをアドバンテージと思えるほどに自身を過大評価してはいなかったし、相手の力を見誤ってはいなかった。
ハンニャはゆっくりと屋上を見渡し、一人の少女に視線を集中させた。目当ての女を見つけたナンパ師のような視線を向けられた鈴鹿は即座にサタンの後ろに隠れる。だがそんなことは気にせずにハンニャは見つめ続け、
「み~つけた~」
と、音源を警察署に持っていけばすぐさまストーカー法に引っ掛かるだろうセリフを吐いた。
そのセリフは鈴鹿だけでなく、ハンニャの隣にいた麗華をも恐懼させた。
「ひっ」
ハンニャはそんな声を発した麗華を見る。
麗華はゴルゴーンに睨まれたかのようにその場を動けなかった。
「麗華っ!」
シュッ!
鈴鹿の声が麗華に届くよりもハンニャの蹴りは速かった。目にも止まらないほどの速さでその足の先端は麗華の見目麗しい顔へとミサイルのように向かっていった。
甘かった。
そう思ったのはビルデだった。ハンニャのターゲットは大門鈴鹿であり、それ以外の人間には危害を及ぼさないと高を括っていたビルデの考えが甘かった。そんな理論はこの学校の惨事とビルデの折れた角を引き合いに出せばいくらでも反証できるのに。
間に合わない。
ガンッ!
マッハといえるほどの速さで放たれた蹴りに弾かれた人間の顔がどんな音を上げて爆ぜるかなど考えたことがなかった。おそらく一生忘れることができず、いつまでも耳にこびり付く事になるほどのグロテスクな音なのだろう。
しかし今の音がそうかと問われれば鈴鹿には少し疑問だった。どう考えても人肉が形骸化する音には思えなかった。鈴鹿は咄嗟に閉じていた眼を恐る恐る開ける。
そこには蹴りのモーションに入りながら目を見開くハンニャと、その場で突っ立っている麗華の姿があった。
「え……」
止まっている。
最初に鈴鹿が視認できたことは麗華の目と鼻の先で止まっているハンニャの長い足だった。そしてよく見るとその足のつま先付近にはピンク色の真円状の何かが浮いていた。それがハンニャの蹴りのストッパーになっているように鈴鹿は感じた。
「ああん!?」
ハンニャは後ろを振り向く。
そこにはさっきまでぼろ雑巾のように倒れていた神二が、なぜかほぼ無傷の姿で立っていた。
「他のやつ見てんじゃねぇよ。俺はまだまだやれるぜ、クソ野郎!」
神二は肉食獣のように鋭利な目を向ける。
そしてハンニャは飽くまでも余裕の色を見せながらその目を見据える。まるで怒った小型犬に向ける愛犬家のような慈しみがその目にはあった。
「は、まだやれんなら倒れてんじゃねぇよ」不快な音域でハンニャは言った。「しかしそうだな、他の奴に行くこと自体間違ってたな。うん、じゃあやるか」
そう言うとハンニャはぬるりと体を揺らし、無駄のない流麗とも取れる動きで神二へ、ではなく最終目標で最優先討伐人物である鈴鹿へと向かっていった。
神二は予定外のことが起きたためか反応が遅れた。やばいとさえ思った。
しかしそうなれば黙っていない男がいた。
「なっ!」
ハンニャの視界から鈴鹿が消えた。いや、正確にはビルデがハンニャの顔面をつかんだことによって見えなくなったのだ。そしてビルデはハンニャが進もうとする方向とは逆の向きに力を加え、ハンニャの体を屋上のタイルの上に仰向けに突っ伏させた。
「悪ぃな」ビルデは漆黒の翼を出しながら、「過去の男との清算もできてねぇ奴に会わせる女はいねぇんだよ!」
ビルデがそう言うやいなやハンニャが倒されている地点を中心にタイル地の床が割れ始めた。どうやら翼の揚力のベクトルを真下に向けているらしい。
地割れはどんどん大きくなりハンニャとビルデの二人はその割れ目の中に飲み込まれていった。すぐ下の階は三階だが音から察するにまだまだ下へと落ちていったようにサタンには思えた。
「今のうちに逃げよう」
サタンは鈴鹿と麗華を両脇に抱え、部室棟を後にした。そして残された神二は、
「ずるいぞ、ビルデだけ。俺にもやらせろ」
と言って穴ぼこの中へと姿を消し、参戦を選んだ。
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