第38話 救世主2

(なんなの……こいつら……)

 片や一年間共に勉学に励んだクラスメイトで、一方は見たこともない顔に角と牙を生やした奇怪な風貌をさらしていた。

 いくら自分を守ってくれたからといって、それだけで信用するほどに鈴鹿は軽い女を演じてはいない。持ち前の動物的な警戒心は解くわけにはいかず、鈴鹿は少し身構える。

 さて、どのようなルートを通って麗華と一緒にこの場から遁走を図ろうか鈴鹿が熟考しようとしたら前方で、ガララッと鉄パイプの山が崩れる音が聞こえた。

 幼稚に言い合いをしていた男二人含む四人は反射的にそちらに顔を向ける。

 それを見てビルデがものぐさそうに後頭部を掻く。

「おいおいまだ立てんのかよ……」

 その鉄の山から出てきた男はぼろぼろの仮面でこちらを見据える。表情は仮面で読み取れないが憤慨か驚愕のどちらかの顔をしているだろうと鈴鹿は当たりを付ける。

 男はゆっくりとこちらへと向かってくる。真っ赤な鮮血が滴り落ち、当たり前だが先ほどまでの生気は感じられない、瀕死の状態である。

「んじゃま、あとは俺がやるわ」

 神二が前に歩み出てビルデを手で制す。

「おい、ちょっと待て」ビルデがその手を払いのけ、「まだあいつがお前の仲間じゃないと決まったわけじゃない。もしかしたら俺が去った後にこの男をこっそり逃がす算段かもしれないからな。だからここは俺にやらせろ」

 ビルデはそう言うと手をボキボキと鳴らせた。

「いやいやいや、俺の交遊録にはあんな奇抜な面を付ける輩は一人もいねぇよ。そして一億歩譲ってあいつがお前の仲間じゃないことは認めてやろう。だがここは俺の土俵だ。あいつが学校を爆破し、混乱を招くただの人間の犯罪者と分かったからにはここをテリトリーとする俺が黙っちゃいない。部外者は大人しくオブサーバーに成り下がっとけ」

 神二は人差し指でビルデを指さす。

 だがビルデはそれに臆することなく、ターゲットとなっているハンニャの方に目をやる。その男は立っているのがやっとなようにビルデには見えた。

 そして血を噴水のように出しながら案山子となっていた瀕死のハンニャは、

「あああああああ!」

 と上空に向かって誰ともなくたけり叫んだ。それは死の間際に発せられる獣の咆哮によく似ていた。

「くっそ、いってぇ! いってぇ!」

ハンニャは頭を抱える。それに伴い仮面がどんどんと割れていき顔が露わになっていく。

何の特徴もない、何者にも形容しづらい。明日になれば忘れてしまうかもしれない希薄な印象がその顔にはあった。

そしてその顔はどんどんと歪んでいき、慷慨の色が見え隠れする。

「不意打ちとか卑怯だろ! よくもこの俺に泥を付けやがったな! ああ、汚ねぇ、汚ねぇ。くっそ、早く終わらせるか……」

 ハンニャはゆっくりと顔を上げ、睨みつける。ビルデでも神二でもない。その視線の先には鈴鹿がいた。

 睨みつけられた鈴鹿はその目を見た瞬間逃げ出したい衝動に駆られたがそれは左腕にまとわりつく麗華のことを思い出しぐっとこらえた。

「てめぇを殺せば終いなんだ。大門鈴鹿!」

 親の仇を見るような剣呑な目が鈴鹿へとむけられる。明らかに殺意のある目。

 ビルデがその視線を遮るように立ちふさがる。

「大門鈴鹿を知ってるってことはやっぱりお前もそっち側か。なんでこの天谷神二がこいつのことを知らねぇのかは分かんねぇが、この際どうでもいい。踏んじまって吐かせればいいだけだ。だから、天谷神二、お前はさっさと避難列に戻れ」

「おいおい、ただの人間の犯罪者は警察に引き渡すのが基本だ。悪魔なんかに拘束されちまえばあとあと面倒なことになんだよ」

「だから言ってるだろ。こいつはただの犯罪者じゃない。大門鈴鹿を殺そうとしている。だったらもう普通の人間じゃねぇ」

「なんでそんなことが言えるんだいビルデ君。それはあいつが人間ではない何かという固定概念があるからだ。あいつはただの人間だよ。おそらくは鈴鹿が昔フった男だ。学校を爆破させ、混乱に乗じて自らの手で鈴鹿を殺してやろうとそう思ったんだろうさ。なあ、そうだろ、鈴鹿?」

 神二は鈴鹿の方へと振り向き訊いたが、

「いやそんな男、全然知らない」

 と淡泊な答えを返されるに終わる。

 少し不服そうな顔をして神二は前に向き直り、それを見たビルデは、

「ま、そういうことだ。あとは俺に任せろ。お前がいても邪魔なだけだ」

 と一歩先んじようとする。

 だがやはりここで素直に引き下がるのは男の名折れと思ったのか神二はビルデの肩をグイッと引っ張り、再び何やら言い合いを始めた。

 この間に鈴鹿たち二人はそんなやり取りを無視して逃げていてもよかったのだが、なにぶん逃げ道にハンニャがいるの逃げられない。

 そして渦中となっているハンニャはというと、自分の懐をまさぐって何かを探しているようだった。もしそこから拳銃や手榴弾のような遠距離武器を出されたなら今すぐに鈴鹿は辞世の句を考えなくてはいけなくて、もたもたしている男二人を末代まで呪うことになっただろうが、意外にもそこから出てきたものは黒い飴のようなものだった。

「おいおい、どうしたハンニャ」神二が言う。「今になって食欲が出てくるとは、なかなかに食いしん坊じゃねぇか。俺にもちょっと分けてくれよ」

 神二は余裕綽々と言った調子で言ったが、ビルデの顔にはそれとは逆に焦燥感といったものが付帯していた。

 ビルデの目は大きく見開かれ、その視線はハンニャの持っている小さな黒い飴のようなものに向けられていた。まるでダークマターやブラックホールを視認した宇宙科学者のような顔になる。

「まさか……そんなはず……」

 その疑問をビルデが言葉にするよりも早くハンニャはその漆黒の球をためらいなく口に放り込み、舐めることも噛み砕くこともなくゴクリと飲み込んだ。

 そして猜疑心あふれる目を二人に向けた。明らかにさっきとは違う何かがその目からは感じ取れた。

 空気が変わった。いやそれ以外のすべても変わった。

それに伴い目の前にいる男はさっきまでの男なのかという疑問も湧いて出てきた。それだけ数秒前の男とは存在している理由や概念そのものが違っているように思えた。

黒い飴を飲んだその瞬間に。

 恐怖という重荷が肩にのしかかったような感覚にビルデは苛まれる。普通の人間だと思って甘く見ていたさっきの自分を慨嘆したくなる。

(やばい)

 ビルデはそう感じた。本能的にではなく理性的に考えてあの黒玉が何かを知っていたから。

それとは裏腹に神二は自分を鼓舞するかのように、

「けっ、随分と雰囲気が変わったじゃねぇか。ドーピングでもしたのか?」

 と、恐懼することなく拳を握りしめ、その異様な雰囲気を醸し出すハンニャへと歩みを見せる。いや、見せようとした。

 ガンッ! 

 およそ人が人を殴った音とは思えない轟音が鳴り響き、神二が立っていた場所にはハンニャが立っているという図が成り立った。そして、

 ガシャン! 

 と、隣の校舎の窓が割れた音で初めて神二がそこにふっ飛ばされたことをビルデは感知した。

 瞬きをしたわけでもなく、油断をしていたわけでもないというのにビルデの動体視力をもってしても見えなかった。その速さだけでこの男の強さが分かってしまう自分を嘆きたくなった。

 ビルデは微細にたじろぐ。こんなにも身長がでかかっただろうか。よく見ると百八十センチを超えている。ガタイも良い部類に入るかもしれない男がそこにいた。さっきそう思えなかったのはこの男がどうせ人間の運動量を超えることのない脆弱な存在だと達観していたからにすぎなかったからだ。

 だが今のこの男は違う。今の動きから見ても、『人外』。いや、それ以上の何かに変貌したと見定めてよい。ビルデはその考えに行きつき、手加減という概念と過信という愚考を捨てた。

 シュッ! 風を切り裂いたハンニャの右足は正確にビルデの顔面へと向かっていく。

 ビルデはすぐさまガードの形を取り、それを受ける。だがその衝撃を殺しきることはできず、ガードの形をとったままビルデは神二とは反対側の校舎へと吹っ飛ばされる。お約束のように窓が割れる甲高い音も添えて。

 しばしの静寂がおりる。

 その静寂がいつまでも続けばいい、と事態を目の当たりにしていた鈴鹿と麗華二人は思った。

 絶対的な絶望がいま目の前にある。

逃げ出したい。だが唯一の逃げ道はハンニャの向こう側にある。いくらなんでもそこを通ろうなどと考えるほど鈴鹿はパニックに陥ってはおらず、他に逃げ道はないだろうかと周りを見回す冷静さは持ち合わせている。しかし辺りを見回したところであるのは窓が割れた哀れな部室棟のみでそれは鈴鹿の後ろにまで伸びている。改めて自分が袋の鼠なのだなということを理解させられるだけだった。

男はこちらにニタリとした表情を向けてくる。

そしてその顔を見た鈴鹿に悪寒が走るのとほぼ同時にハンニャは鈴鹿に向かって走り出した。最初よりも速い。

鈴鹿は咄嗟に麗華を突き飛ばすことも忘れ、恐怖することも忘れていた。

ただ向かってくる。その時の感想はそんなものだった。

本当の恐怖に恐怖などは感じない。

今がどんな状況かも考えたくない。

さっきぶっ飛ばされた二人が何なのかもどうでもよくなる。

今自分に何が向ってきているのかも意識の外に追いやりたい。

絶望ってこんなんだっけ? こんな気持ちいいもんだっけ? 違う、これは諦めなんだ。

考えることすら、恐怖をすることすら面倒に思えた。

二度もヒーローが現れるわけがない。

だが得てして確率論とはこういう時に打ち崩される。

ガンッ! 

今度は鈴鹿にははっきりと見て取れた。

右斜め上から飛んできた誰かの蹴りが的確にハンニャの顎をとらえた様を。

その蹴りを見舞った男はハンニャとは違った禍々しい仮面を身にまとい、ハンニャにも匹敵するほどのガタイを持ち合わせたサタンだった。

蹴りを入れられたハンニャはその不意の衝撃に逆らうことなく左側の校舎へと突っ込み、校長が見れば嘆き悲しむだろう大穴を開けた。

「大丈夫?」

 紳士が淑女にというよりは保育士が子供に話しかけるような優しげなトーンでサタンは言った。

「あ、うん」

鈴鹿は条件反射で答える。

異様な仮面をつけた大男が屋上近くから直滑降で飛んできて黒い矢のような長い足を人間の顎下にクリーンヒットさせ、安普請な校舎に風穴を開けたことにいちいち驚愕するほどに鈴鹿のリアクションキャパシティは今までのこともあって、矮小なものではなくなっていた。

しかしそれはあらゆる人物や出来事に偏見なく対応することができる、言い換えれば考えること自体にそこまでの重要性を見出さない鈴鹿だからできることであって、体よりも頭が先に働いてしまう賢しい麗華にはこの状況に対して目を白黒させるしかなかった。

鈴鹿は少しだけ安心した。その矢先、

ドンッ! 

と、校舎に再び穴をあけてハンニャがこちらに向かってきた。

サタンもそれを見て戦闘態勢に入ろうとしたが、気が変わったのか鈴鹿たちの方へと向かい、二人を抱え、逃亡をはかる。しかしハンニャには背中を向けている獲物に情けをかけてやるほどに人情深くはない。加速は増すばかり。

 サタンは黒い翼を現出させ、部室棟の屋上へと避難を試みた。だがハンニャのタカのように鋭い手はその翼へと伸ばされる。

 あと一歩。その手が翼に届く距離。

 もしつかまってしまえば再び地獄へと引きずり込まれる。そんな未来予想図を鈴鹿は想起した。

 しかしその手が翼に届くことはなかった。

 クレスト。

 ハンニャの手と翼との寸毫の間に直径二メートルほどのピンク色のクレストが出現した。それが壁になり、ハンニャの手は無情にもそのクレストに爪を突き立てるだけで、それを見計らったサタンは数瞬の間もなく屋上へと到達した。

「があああああ」

 ハンニャはキャットタワーで爪をとぐ発情期の猫のように目の前のクレストを掻きむしった。

「そう気を荒げるなって」

 後ろから声がし、ハンニャは血走った目を向ける。

「女にばかり固執せずに、たまには男とも遊んでみようぜ。案外新しい扉が開くかもしんねえしよ」

 校舎に突っ込んだというのにまったくの無傷な神二はそう言った。

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