第35話 見下ろす悪魔

 黒煙は重力にしがらむこともなく天高く舞い上がり、その惨事は上空に留まるビルデの目からもありありと見て取れた。

「なんだ、これは……」

 ビルデがそんな驚きの声を漏らしたのは、闇蔵高校がさすがマンモス校と呼べるほどの敷地面積だったからではなく、中庭の自然あふれる情景にでもなく、爆発地点の北校舎があまりにも遠かったからでもない。

 その理由は煙の量とその数だった。

 爆発音は一回。その音に二つ目の音が重なり、デュエットを奏でていなかったのはこうもり並みに耳がいいビルデにはわかっていた。

 だからこそ煙の塔は一つだけだと意識的にそう思っていた。

 爆発音は一回、だから煙も一つ。しかしその定説を大きく覆す光景がそこに広がっていた。

(……三、四つ。煙の発生源が四つもある。なぜだ、音は一回だったはずだ。しかも――)

 ビルデは煙の場所を確認する。

 主要となる四つの校舎すべてから煙が出ていた。

 前々から闇蔵高校の見取り図をくすねてきたビルデはそれが生徒を収容している東西南校舎三つとその他特別教室が入っている北校舎の四つだということは知っていた。ついでに中庭の広さと部室棟の場所を頭に入れていたのはビルデの殊勝な部分だろう。

 そしてビルデは不信感に苛まれる。

 あの爆発音はここから五〇〇メートル離れた場所からでも聞こえるほどに大きな音だった。それなりの大惨事が起こっているだろうとビルデは推察した。だが意外にも四つの校舎はただただ煙をふかしているだけであり、半壊はおろか傷一つなく、あるとしても北校舎の理科実験室がボヤのような黒すすを申し訳程度に付けているだけである。

(どういうことだ)

 そしてビルデを襲わんばかりに上空に舞い上がるこの煙自体にもおかしなところがある。

 ビルデは煙を吸ってみた。

(鼻をつくほどの嫌な臭いは感じられない。北校舎に少しだけ本当の煙があるくらい。だとすると――北校舎の煙だけは本当の煙と考えるとさっきの音はここからのもの。ならばそれ以外はダミー。人為的に作られた偽の煙、いわば煙幕か。だがなぜそうする必要がある。混乱を起こすには北校舎の爆破だけでは不十分だからか。だとしたらなぜ混乱させたがっている。この騒ぎに乗じて何かをするつもりか。まさか、そんなことはないと思って高をくくっていたが、今この場で大門鈴鹿を……)

 悪寒が全身を駆け抜ける。

 今置かれている自分たちの状況は最悪に近いと言っていい。ただ最悪でない理由を挙げるのであればそれは大門鈴鹿がまだこの世にいることだ。しかしその大門鈴鹿がよもやないとは思うがこの場で殺されてしまった場合、神と敵対するビルデたち悪魔は再び絶望というものを知らされることになる。それだけは最も避けなければいけない事であり、それはつまり大門鈴鹿をできるだけ迅速に保護しなければいけないという事も同時に意味している。

 神よりも、その仲間たちよりも先に。

 それだけに大門鈴鹿という女はビルデにとって重要な警護対象であり、勝利の女神そのものでもあった。

 煙を睥睨してビルデが早くそのメシアを捜索しなければいけないと自分を奮い立たせていたところに、後ろから、

「ビルデ様!」

 と声を掛けられた。

 振り向くとそこには必死にこの煙の中でビルデを捜索していたであろうブブがいた。

「大変です。ビルデ様」

「ああ、そうだな。この煙じゃあ大門鈴鹿がどこにいるのか――」

「違います。反応がありました!」

 ブブは主の言葉を遮りそう言った。

「反応……」

 ビルデは少しだけ逡巡した。しかしブブのそんな主語のないセリフでもすぐにそれが何なのかは判断できた。

「名刺か!」

 そう、およそサラリーマンが普段持ち合わせているものと何ら変わり映えしない見た目だといのにオスの魔界バエを引き付ける性ホルモン剤が擦り付けてあり、『佐藤勝』と印字されたあの名刺だ。

 まだあの女が律儀に持っていたとは、とりあえず取引先の大事な名刺をメモ用紙代わりにするゆとり新入社員よりかは常識があるらしい。

「どこだ、その匂いは」

 ビルデが息せき切りながら問う。

 しかしブブのかわいい顔は少し曇りを見せる。

「それが……匂いがあるということはわかるんですが、この煙のせいでどこにあるのかはわからないのです。どうやらこの煙にはいくらかの金属類や鼻では感知しえない微粒子などが混在しているようで……」

 ブブは申し訳なさそうにそう答えた、丁寧に理由までも添えて。

 もしかしたら『わからないなら言ってくるな!』と叱責が来るのではないかとブブは少々身構えたが投げかけられたのは意外にも、

「そうかわかった。それだけわかれば十分だ。ありがとな」

 といった賛美の声だった。

「はい!」

 ブブは部下らしいフレッシュな声を出す。

 そしてビルデは黒幕の中へ消えた。

「また後でな」

 という死亡フラグを立てて。

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