第33話 不審者侵入! 火災発生!
『北校舎にて不審者が侵入、理科実験室で火災が発生いたしました。生徒たちは各クラスにいる先生方の指示に従い、南西グラウンドへと避難してください。一年と三年は南階段から、二年生は西階段からの避難を心掛けてください。去年行った避難訓練のように番号順の列を作る必要はありません。これは訓練ではありません。混乱することなく急がず確実な避難をお願いします』
教育指導兼担任の岡崎教諭はまるでカンペに書かれたセリフを淡々と読むアナウンサーのように全校舎に放送した。
いつもは娘の話や妻の話にデレデレしているあの頼りなさげな岡崎があそこまでのシリアスな口調が出来るのかと鈴鹿もとい二年十三組の生徒たちは少し吹き出しそうにもなったが、すぐさまその岡崎の教え子らしいふるまいを見せ、その時間授業を担当していた数学の片平の指示を仰ごうとする。
「片平先生、どうしますか?」
いやに落ち着いた声で三上初香はたずねた。さすが生徒会長といった出で立ちだ。
「そうだな……」片平は後頭部を掻いて、「じゃあ、ゆっくりと廊下に出て西階段から南グラウンドに行こうか」
と放送されたことをそのままリピートした。
「不審者だって……」
「え、ほんとかな?」
「でも避難訓練じゃないんだろ?」
「理科室って北だっけ?」
そんなひそひそ声ができるほどに二年十三組には余裕があった。避難訓練とさほど変わらない落ち着きぶりを見せる理由は、ここで慌ててもただ混乱を生むだけでデメリットしか生まないことを悟っているからである。それは有名ピアニスト崎本麗華と規則そのものに抜本的改革を施しそうな気概を持つ三上初香を有するこのクラスのさかしさを物語っていた。
そしてなによりも渦中の理科実験室がこの校舎からは最も離れていることを知っていたからでもある。理科実験室は北校舎にある。そこまで行くにはおよそ十分ほどの時間を有するくらいには距離がある。対岸の火事をにわざわざ焦燥したりはしない。
生徒たちは廊下に出る。他の教室からもぞろぞろと生徒たちが出てくるさまは非常にシュールだった。どのクラスもやはり落ち着いた様で出てきていた。なんなら先頭に立つ教師たちのほうが焦りの色が見えると鈴鹿は思った。
皆が一様に西階段へと目指して歩いていく。
二年十三組はこの階では二番目に西階段から遠い場所に位置しているクラスであり、それは必然的に十二組の生徒の後ろについて西階段を目指すということと十四組を背に率いることを意味している。
しかしここで一つの疑問が麗華の頭によぎる。
はて、『去年四月ごろに行った避難訓練では西階段を使っていただろうか』という疑問が。
記憶力がいい麗華の見解では確かにその時は西階段とは反対の東階段を使っていた。そしてその時の訓練の状況は今回とさほど変わらない、『北校舎での火災』というものだった。つまりそれは北校舎で何かしらの懸案事項が起こった時、二年生は東階段を使って南グラウンドに避難するということを表している。
だから理科実験室で火災が発生したという情報を聞いたときにはまた東階段で避難するのだなと思い、あにはからんや提示された避難経路はまさかの西階段であり、麗華は少し驚かされた。
(今回はこの前とは違って不審者がいるからかな。いや、でもおかしい。この校舎には二年生が全員収容されている第二校舎もとい南校舎で、一階には職員室や校長室が据えられていて、二階から上は二年の教室になっている。せっかく西と東に階段があるというのにわざわざ二年生の避難経路を西階段に限定するメリットがない。そうなれば二年生が行列を作ることになり、避難が遅れる。それを防ぐための東階段なのになぜか今回は使われない。いや確かに東階段は西階段よりも南西グラウンドに近い場所に位置しているけどそんなものは誤差の範囲。行列を作り逃げ遅れるよりはだいぶいい。この十三組がある所は四階で三階二階と二年生は続く。その二つの階には十組までの二年がいる。ならば単純にその十組までが避難するまでは事実上の待機ってことになる。それは東階段を使わないことによって発生するタイムラグと言い換えれる。何分くらいなの? 二年の全十四組を七組ずつに分けて二つの階段で避難するよりも余分にかかる時間は何分なの?)
麗華は頭の中で西階段ひとつを使い六〇〇人の人間を避難させるのにかかる時間から二つの階段で六〇〇人の人間を避難させられる時間を引く計算式を立てようとしたが、すぐに諦めた。二次関数や微分積分を習っていても動向が不規則な人間の避難時間を予想してそれを数値化するほどに麗華は数学と人類生態学に特化した人間ではなかったからだ。
しかし麗華は、
(でも放送でそう指示するんだったらそれが良いのね。私が考えることじゃないや)
と自分に言い聞かせ、避難員の一人に戻った。
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