第27話 人は自分と真逆の人種を好きになる本能を持っている
教室に入ると既に十数人の生徒でごった返していた。会話を聞いているだけでも生徒同士の仲の良さがよくわかる。
二人が「おはよー」と言えばこだまのように「おはよー」と返ってきた。
「ねーねー、鈴鹿宿題やってきた―?」
そう訊いてきたのは同じクラスメイトの三上初香(みかみういか)だった。顔だけを見ればアプローチをしてくる男は後を絶たないだろうルックスの持ち主のその彼女は椅子を傾かせポニーテールを揺らしながら鈴鹿を見据える。整った容姿には不似合いな格好だった。トレードマークは左手のミサンガ。これは初香曰く昔から付けているもので、その色は今年から変わっていた。一体それにどんな願いをかけているのか鈴鹿には知る由もなかった。
初香は先天的に備わった勝ち気な性格で秋口の生徒会選挙を勝ち抜き、今期の生徒会長を務めている。経歴だけを見れば優等生だが、学業面での成績はそこまでパッとしない。しかしだからこそ三上初香が生徒会長に選ばれたことは今までの伝統を打ち崩すほどの革命的な出来事だったのだが、それはまた別の話。
「え、宿題とかあったっけ?」
「さすが鈴鹿様。宿題があったことすら忘れているとは感服いたします」
初香は敬礼をし、それにおざなりな敬礼で返した鈴鹿は所定の席へと座る。
初香は高校二年から同じ文系クラスである。成績は鈴鹿とほぼ変わらない中の上といったところ。数学が苦手なところも同じで、国語の古文はなぜ勉強しなければいけないのかと反抗少年のように疑問に思うところも一卵性双生児のようにシンクロしていた。鈴鹿にとってはある意味麗華とは真反対といえる友人の一人であった。
もしかしたら昔の鈴鹿同様ガキ大将にケンカを売ったり、自分のことを想ってくれている男を泣かしたりしていたかもしれない雰囲気が彼女にはあった。それだけに鈴鹿と根本的な部分が一緒だった。
故に今日の宿題をともに忘れたことも必然だったと言えるかもしれない。
ほどなくして担任の岡崎が入ってきて、わざわざそちらに聴細胞を回したくないほどの億劫なホームルームが始まった。果たして最近五歳になった我が娘がかわいくて待ち受けにしているんだよ、などという話は自分の教え子たちに話す必要があるのだろうかと鈴鹿は思う。
五分ほど満足げに話していたが鈴鹿たち生徒の心境を察したのか救いのチャイムが鳴った。岡崎はまだ話し足りなかったようだがチャイムに忠実に動く生徒たちは淡々と一時間目の用意をするために鞄やロッカーをあさりに行く。いつもは反骨心あふれる鈴鹿も今日はチャイムの号令に忠誠を誓う。
「千代がいないね」
全教科の教科書を入れて、いたたまれないほどにパンパンになっていた机の中をあさっている鈴鹿に麗華は聞いた。そこにはいくらかの心配の色が見えた。
「え」鈴鹿は辺りを見回す。「ああ、そうだね。休みみたいだけど、風邪かな?」
「そうかもね……」
千代の席は鈴鹿の位置を基準にすると後ろに坐している。記憶にも残らない岡崎のホームルームを子守唄にしてうとうとしていた鈴鹿がそれに気づけるはずもなかったのは当然だった。
いつも教室中に響きわたる声で挨拶をするあの千代がよもや季節の変わり目のウイルスに敗北を喫するとは、鈴鹿はそれに驚かされた。
「大丈夫かな」
鈴鹿のそのセリフには幾分かの憂えの面が垣間見れた。
たとえ知り合って一か月ほどだとしてもやはりクラスのムードメーカー兼癒しどころマスコットとなっていた千代がいないのはアイドルグループのセンターが卒業を発表したあの寂寥感にも似た感情を抱くのは必然だった。
「ま、明日にはケロッと登校してくると思うけどね。何、鈴鹿。やっぱりいつもは千代にツンケンしてるけどほんとはあのちょっとしたぶりっ子がいつしか癖になってたとか?」
麗華が嘲笑しながら訊く。
「別にそんなんじゃないよ。ただいつも聞いていた工事現場の音がなぜ今日はないのかと疑問に思ってみたら、ああそうか今日は火曜日で突貫工事は休みなのかとそう思ったぐらいのもんだよ。日常的に聞いていた音がないってのはその日一日のリズムを崩す要因になりかねないからね」
「ふーん、そっかー」
「それに私はぶりっ子っていうのがあまり好きじゃないしね。まああの千代がぶりっ子ってわけでもないと思うけど、なんなんだろうなー」鈴鹿は呻吟する。「ま、とにかくあの性格が癖になるってことはないかな」
「へー、でも俺はそう思わないけどな」
声がした方を見るとそこには同じクラスメイトの天谷神二がいた。
「あの人並み外れた感性や、およそ高校では難関と言われているこの高校の編入試験をパスしてここに転入してきたことは結構な曲者だと思うけど?」
「それはクセの字が違うでしょ。ただ、なんだろ、千代はやっぱり私とは真逆の性格してるから合わないって言い方したらあれだけど、自分とは違う感性を持っているんだなって少し関心するだけだよ。まあ、でも真逆だから合わないってことはあるかもか……。私だってああいう風に小っちゃくてかわいい声だったらああいう性格してたかもしれないけど、あいにく私は高身長ナイスバディのモデル体型なので嫌でもマニッシュに決めないといけないのさ。分かったかい神二君」
鈴鹿は後天的な性格は先天的な見た目に作用されることと、自分と真逆な千代とは会わないことを神二に諭した。
しかし神二は新たに提唱された論文が理解できない新人学者のような顔をする。
「でも俺からすると鈴鹿と麗華も真逆の性格に見えるけど仲良いじゃんか」
鈴鹿と麗華は顔を見合わせる。
確かに環境の違いもしかり性格も真逆と言える。
昔中学校の遠足で同じ班になった時、道の分岐点に差し掛かれば鈴鹿は右に、麗華は左に行こうとして対立したことがある。麗華の理由としては地図通りに進めば何の問題もなくゴールに着けるからという至極まっとうなものだったが、鈴鹿の理由は地図通りじゃない道の方が何が起こるかわからないから冒険心がかき立てられるという麗華とは真逆の意見だった。
単純なものだがこの手のエピソードはごまんと出てくる。そう考えると確かに二人は対極に位置していたが、そんなことはもう大昔から自覚していた。
「確かに私たちは真逆だね」隣で聞いていた麗華が答える。「でもだからこそ合うんだよ。お互いがお互いにないものを持っているから飽きないんだろうし、補い合えるんだよ。人ってそういう風に進化してきたんだし、恋愛でだって優れた女社長がダメダメな男を好きになってしまうってことは有名な話でその逆もしかり。やっぱり人は自分とはかけ離れたものを見たり感じたりして自分にはないものを取り入れるってのは、やはり人が持っている昔からの本能のなせる業なんだろうね。そう考えるとほんとに人間ってのはよくできてると思うなー。だから私たちは仲がいいんじゃないかな、って私は思う」
麗華は一通りの持論を語ると神二の方を見た。大きな双眸だなと神二は一瞬思い、それに伴い心臓を物理的にわしづかみされたような感覚に陥る。
「そっか、じゃあそうなのかな」
その衝撃のせいでうまく言葉を紡げない自分が情けないと、神二は思った。
「へー、じゃあ麗華は私のことを自分にはない何かを持ってる奴だとか思ってんだ。何、何? 私何もってんの?」
神二のことはもう眼中から消えたのか鈴鹿が特効薬の開発に必要な新細胞を見つけた研究者のような笑顔で麗華に訊く。
確かに偏差値七十を超える才色兼備文武両道の麗華が持っていないものを自分が持っているともあればそんな顔になるのも頷け、それに伴いそれを知る知的探求心なるものが鈴鹿の中で急成長するのは東から昇った太陽が西に沈むよりも当たり前なことだった。
「さー、何かなー?」
麗華は珍しく言葉を濁し、窓の外の流れが速い雲に視線を向ける。
引き続き鈴鹿が麗華に詰問していたがそれは公民の教師米沢が教室のドアを開ける音で打ち切られた。天谷神二も自分の席へと帰っていった。
それを鈴鹿の後ろの席の徹も見ていた。
徹の興味を引いたのはやはり、人は真逆の人種を好きになる本能を持っているという部分だった。そう考えるとなぜ自分が明らかに真面目な部分を欠損させた鈴鹿のことを好いているのかがよく理解できた。
しかし本当にそれだけが理由だろうか。徹はノートとにらめっこしながら思った。だが自問自答したところで明確な理由などひねり出すことはできず、どういった理由で好きになったのかも今は雲散霧消で跡形も見えなかった。
人は忘れる生き物ということがよくわかり、少しばかりの頭の取っ掛かりはないものとして、徹は米沢教諭のお経のような授業に脳細胞を集中させた。
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