第26話 麗華のモーニングルーティン

 規則的な生活を当たり前にしている崎本麗華にとって起床するのに目覚まし時計は要り様ではなくスズメのさえずりか太陽の光での目覚めが日課となっていた。

 ベッドから頭をもたげた麗華はホテル従業員顔負けのベッドメイキングを終えて、まずは自室に備え付けているシャワールームに入る。

そこから出ると体をタオルでふき、濡れた頭を乾かしそのままの流れで髪型をセットする。今日は取材やレッスンがないのでヘアアイロンは使わずに、ワイルドさを出したくせっ毛ヘアーだ。

昔は使用人が麗華のヘアーセットを担当していたのだが自分のことは自分でやるという自立心から彼女は殊勝にもそれを断っている。

ヘアーセットが終わった麗華は闇蔵高校の制服に身を包み、一階へと続く長い螺旋階段を降りる。

「麗華様、おはようございます」

 ダイニングルームに入ると使用人とメイドの人が出迎えてくれた。ちなみに執事はセバス一人で、今は庭園の水やりをしているらしい。麗華は使用人と執事の違いがよくわからなかったが、平社員と課長くらいの違いだろうかと勝手に結論付けていた。

 その部屋にはちゃぶ台返しを日課とする頑固おやじが十人いたとしてもひっくり返せないだろう大きなダイニングテーブルが備え付けられていて、麗華はいつも通り左奥の席に座る。

 すると朝食が運ばれてくる。鈴鹿と同じく野菜から口に運ぶのが暗黙のルールとなっていた。他にも色とりどりの、おかずなのかメインなのかわからないようなものが運ばれてくるが麗華は気に留めることもなく淡々と口に運ぶ。

 ちなみに自立心あふれる麗華だったが朝食を毎日自炊するのは難易度が高いので自粛している。それは厨房に立った時の麗華を心配そうな目で見つめるセバスの存在も原因の一つとなっていた。

 だが麗華がたまに夜遅く起きて一人寂しく夜食のお茶漬けを作っているということはまだ気づいていないらしい。いや、本当は気づいているのかもしれないがそれは麗華にとってどうでもいいことだった。

「こちら新聞でございます」

 麗華の横からメイドさんが白を基調としたこの部屋に不似合いだろう灰色の紙束を持ってきた。麗華は毎朝四社の新聞に目を通す。その中には英字新聞も我が物顔で混ざっていた。

 食パンを片手に新聞の活字の海へと視線をダイブさせる。普段ならマナーの鬼である母の崎本和美の叱責が飛ぶかもしれないが運よくこの一週間はフランスへと出張中であり、それは同時に麗華の自由を意味していた。

 出された食事をすべて食べ終えた麗華は新聞に集中する。別に株主総会に出席する予定もないのに為替相場に目を通すのは麗華の実直さを如実に表していた。

『ハンニャ出没!』という見出しもあったがこういう怪奇殺人なる事件は自分とは無関係だと一線を画すことが普通となっている麗華にとっては隣の『消費税増税延期!』という見出しの方が耳目を引いた。

そして最後にテレビ欄、四コマ漫画と目を通して新聞をとじた。

 麗華は次にリビングルームに赴き、スクリーンと形容できるほどの大きなテレビをつけてニュース番組に切り替えた。

 左上のデジタル時計に目をやるとまだ家を出るには余裕があった。

 しばらくは何のけなしにソファーに座り、食後のコーヒーを飲むことにした。

 さて今日は背伸びしてブラックを楽しむかそれともフランス産の砂糖を入れて子供らしく少し甘い微糖のコーヒーを楽しもうかと逡巡していたところで星占いのコーナーが始まった。論理的思考が第一に来る麗華にとってこの手のコーナーは暇つぶしにしかならないはずなのだが、やはりそこは一女子高生、占いというロマンチシズムなものに夢を見てしまう。

 もしも最下位だったならばリーマンショックの波を受けた投資家よろしく頭を垂れながら登校したかもしれないがなんと今日は幸運にも第一位、スキップ鼻歌での登校が決まった。

 しかしここで満足をしていては次期崎本家当主の名が泣く。大事なのは結果だがそれまでの過程を分析して初めて一流の人間だ、というのは父がよく言っていたこと。ならばそれに準じてなぜ一位なのかという理由とおまけの様に添えてあるラッキーパーソンを確認するのは至極当然のことであった。

 思ったことが現実になるとか、なんでもうまくいく日だとか適当なことを述べた後にアナウンサーはその星座のラッキーパーソンを発表した。『親しい友人』と。

 麗華は実際に体で表現するわけではなく心の中でガッツポーズをした。そのパーソンなら言われなくても幸せを運んでくれるラッキーガールということは十年ほど前から知っていた。

 麗華は自分の知識を称賛するかのように砂糖を入れ忘れた苦いブラックコーヒーを飲みほした。

 十分後、そろそろ登校をする準備をしなくてはいけないと思い麗華は立ち上がり、自室へと帰っていく。そしてすぐさま鞄を持って玄関に降りてきた。昨日のうちに準備をしているほどの真面目さを持ち合わせる才女、それが麗華だった。

 学校指定の革靴を靴ベラを使ってしっかりと履く。

「じゃあ、いってきます!」

 麗華は奥のキッチンにいるメイドさんにも聞こえるよう快活に言った。すぐさま「いってらっしゃいませ」というユニゾンが返ってくる。

 玄関を出るとセバスが庭の手入れをしていた。こうしてみるとセバスも定年を迎え第二の人生を歩む土いじりが趣味の好々爺にしか見えないなと麗華は思った。

「じゃあいってくるね、セバス」

 麗華はだだっ広い庭園の奥にいるセバスに向かって手を振る。するとセバスはこちらに向いて、専売特許の慇懃一礼。どうやらこの距離にも届く大声を出すことは無理だと判断したようだ。麗華もそれに応えるように慇懃一礼。

 パーマがかった黒髪をなびかせ麗華は一人で正門を抜ける。

 取材やレッスンがある日はセバスの送り迎えが付録としてつくのだが今日はあいにく取材もレッスンもない。いやそれ以前にセバスの送り迎えは放課後限定であり、それ以外にセバスが運転手になるということはほとんどないと言っていい。

 学校までは麗華の足で徒歩十五分といったところ。今日も麗華は若人らしく軽快に歩く。

 そうこうしているうちに同じく徒歩で登校する闇蔵高校の同士がちらほらと見えてきた。入学当初は麗華が徒歩で登校する姿に目を丸くする者もいたが今ではもう彼女に対して、お嬢様らしくリムジンで重役出勤するというイメージを持つ者はいない。

 昔誰かが麗華に訊いた。

『なんで車で登校しないの?』と。すると麗華は『だってみんな徒歩とか自転車で来てるのに私だけが車ってのはおかしいでしょ。それに車で登校は校則で禁止されてるし』と反論の余地もない正論で麗華は返した。問うた生徒は『だよね』としか返す言葉が見つからなかった。

しかし実を言うとそれ以外にも理由があった。

「あ」

麗華がその女の背中を見つけた。

なぜその背中でその女かとわかった理由は論理的には筆舌しがたく、感覚的としか言いようがない。

麗華はその目標物に歩み寄り、元気よく、

「おはよう」

 と言った。そしてその女も同じトーンで

「おはよう」

 と言った。こだまでしょうか、いいえ、鈴鹿です。

「昨日の取材はどうだった?」

 鈴鹿は前を見据えながら訊く。

「んー、ぼちぼちかな」麗華も鈴鹿にならい前を見据えながら訊く。「そう言う鈴鹿は昨日どこか寄るとこあったんでしょ。どうだったの?」

「んー、ぼちぼちかな」

「そっかー」

 不毛な荒地極まりない会話だった。だがその淡泊さが逆に二人の仲の良さを表している。

 もし二人が歩いているところを初めて見た生徒がいたなら、凹と凸もしくは、プラスとマイナスという対照的なものを想起するかもしれない。二人はそれだけ真反対と言っても過言ではなかった。

 片や鈴鹿は自分勝手で、不愛想に、何者にも縛られることなく生きてきた。

 片や麗華は清楚に、明るく、今でこそ縛りはゆるくなったものの一時期は傀儡のように生きてきた。

 そんな対照的な二人が今や肩を並べ同じ歩調で歩いている。まるで今までもこれからも一緒と言わんばかりに。

 そしてお互いに思っていた。

『あ、今ラッキーパーソンと一緒にいる』と。

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