第23話 連続殺人犯『ハンニャ』

「あったー、よかったー!」

 定年近いおやじの声にしてはいやに高い声が出たなと同僚の警察官山本は思った。

 目当てのものを見つけたその男は、嬉々としてその黒い手帳を開く。そこには『鈴木啓二』と、見慣れた自分の名前が記載されていた。

「これ誰が届けてくれた?」

 鈴木はまるでなくしたお気に入りのおもちゃを見つけた子供のように純粋な目をたたえて山本に訊く。

「帽子を被ってマスクをした男の人だったよ。名前を聞こうとしたんだがいつの間にかいなくなっててよ」

「あ、それ大道芸人の人だ」

「大道芸人?」

「そうだよ、世界的に有名で最近日本に帰ってきたんだって、大道芸見せてもらったけどすごかったよ」

「へー、名前は?」

「えーと、名前は……そういや訊いてなかった」

 鈴木は苦笑いを張り付けて後頭部を掻く。

 それを見て山本は嘆息する。

「警察手帳失くして、職務中に大道芸の鑑賞。ったく、普通なら懲戒免職だぞ」

「ごめんごめん、これで秘密にしてくれ」

 鈴木は手をおちょこに見立てて、一杯飲むジェスチャーを見せる。どうやらいつもどおりの居酒屋コースなのだなと山本は思った。

「はいはい」

 鈴木とは竹馬の友の山本はあきれるようにイスに深く腰掛けた。

 だがそんな山本の心情とは裏腹に少年の心を忘れぬ鈴木はまた口を開く。

「そういえばその帽子マスクの人と一緒に骸骨の仮面をつけてた人がいてさ、ハンニャと間違えてその人に手錠かけちゃったんだよね。いやー。あれは悪いことしたな。あっ、てかあの手錠壊れちゃったんだ。どうしよ……」

「……お前一般人に間違えて手錠掛けたのか。……そこまで行くと呆れを通り越して称賛したくなるよ」

「でしょ、じゃあなんか俺にくれんのか」

「ああ、やるよ」

 満面の笑みでそういう鈴木に山本は紙を渡す。

「はい、始末書という名の賞状だ。なぜ手錠が破損したのかちゃんと明記しろよな」

「まじでか」

 鈴木はしぶしぶながらその書類にペンを走らす。

 その間山本は巷どころか日本中で今話題の『ハンニャ』についての事件ファイルを復習う。

『ハンニャ』

ネットでは切り裂き魔、リッパ―などと囁かれているが、大多数のものが呼称する名としては『ハンニャ』が最もポピュラーである。

今までに五人の女性を殺害し、現在もなお逃走中。分かっていることと言えば殺害された女性すべてが真っ白な衣服を身に纏っていて、発見された時には十数個のパーツに体が分解されていたこと。死体の解体方法から見て、ハンニャは刃物だけでなく爆弾も扱う可能性があること。そしてその通り名の由来となったハンニャの面を被っているということ。その情報は三人目に襲われた唯一の生き残りの女性の証言で明らかになった。

中肉中背の男。背は百八十センチほどでナイフを主に凶器として使う。

分かっているのはそれくらいのことだった。

日本警察の底が知れる目を覆いたくなるそんなファイルを山本はそっと閉じた。

そしてしばらくは鈴木が適当に走らせているペンの音が駐在所内に響いていたが、その静寂に耐えかねたのか山本は鈴木にむかって、

「そういや、ハンニャについてまた新たな情報が入ってきた」

「へー。なに?」

 鈴木は言い訳の文章を校閲しているのか、ペンを回しながら始末書に視線を落としたまま訊いた。

「今までの奴の犯罪シンジケートから分析してみたところ少しずつではあるが南下しつつあるようだ。だから明日にでも本部のものがここいらに捜査網を広げるかもしれないと連絡が入った」

「ふーん。危ないねー」

 自分には関係ないといったスタンスで鈴木は頬杖をついて夜空を恋に悩む女子高生のようにアンニュイに眺めた。

 山本は続ける。

「だから本部のお偉いさんも来るからお前もいつもよりはちゃんとしろよな。定年直前にクビなんて笑い話にもならねえぞ。もしそんなんになったらお前を尊敬してる甥も泣くぞ。今一緒に住んでるんだっけ?」

「ああ、そうだよ。俺の妹夫婦の子供なんだが、これが良い子でよ。家事はこなすし勉強はできるし正義感は強いしで、もう言うことなしの男なんだよ。ありゃ、モテるね。何せ俺の甥だから。将来は警察官になるとか言ってるんだよ。もう涙が止まらないよ」

 鈴木は目頭を押さえ嗚咽を漏らすが、年を食ったジジイの涙腺がゴビ砂漠並みに干からびていることは同じジジイの山本は知っていた。

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