第21話 鈴鹿と徹の相合傘

「んー、やっぱりすでにできてるやつを溶かして作ったほうがいいのかなー」

 スーパーのお菓子コーナーで眉間にしわを寄せながら大門鈴鹿は呟いていた。

 一つ一つのお菓子を穴が開くほどにじっと見る。鈴鹿の心境としては本当に穴をあけて中身を確認したいのだがパートのおばちゃんの目は簡易的に設置された防犯カメラよりも痛々しいものがあるので自重した。中身を見たところで小麦粉と砂糖の違いも分からない鈴鹿にはここにいることすら場違いというものだった。

「てか家に何があって何がないのかわかんないわ、今日は帰るか」

 十分ほど通路を塞いでおいて何も買わなかった鈴鹿は帰宅の途につこうかと立ち上がり、左手に持っていたビニール袋が揺れた。中にはさっき本屋で買った雑誌が入っているのだが、通学カバンがあるのにわざわざそこにしまわず袋を貰うところは鈴鹿のずぼらさを表していると言っていい。

 辺りを見回してみると見知った顔が鈴鹿の視界に飛び込んできた。

「あ」

「あ」

 真面目男子高生と冷やかし少女がほぼ同時に声を発した。

「徹じゃん。何やってんの?」

 徹は買い物かごに所帯持ちの主婦のような食材をいっぱいに入れていた。

「買い物だよ。帰ろうとしたらお袋からメールがあったんだよ。晩御飯の材料買って来てってな」

 図書室で受験生らしく勉強をしていたのだが、リチウムとベリリウムの関係性を考えいていつの間にか船をこいでいたところに母親からの着信音で起こされた徹はそう答えた。

「ふーん、そうなんだ」

 鈴鹿は不躾にかごの中をまじまじと見る。

「てか徹、自分の母親のことお袋なんて言ってたっけ? 昔は母さんってかわいらしく言ってたのに、何どういう心境の変化なのかな。あれか、お袋って言った方がかっこいいと思った的なあれなの――」

「別になんだっていいいだろ。かっこいいとかそんなんじゃねえよ。今のは間違えたんだ。母さんだ、ハイそうだよ。今でも母さんって呼んでるよ」

 鈴鹿の詰問に顔を赤くして徹はそう反論した。どうやら我慢できなかったようだ。

実際のところお袋と呼んだのは、高校生にもなったいい年の男子だったらお袋と言う方が普通なんじゃないかという偏見からだった。周りの男友達は自分の母親のことはお袋と呼んでいたし、父親のこともオヤジと呼んでいた。周りの影響で徹もそう呼んでみたのだがどうやら冷やかすことが先天的な属性となっている鈴鹿にはただのからかいポイントでしかなかったようだ。

だがそんな徹の心象も意に介さず、鈴鹿は徹の持っている買い物かごに目を落とし、顎に手を当て何事か思案していた。

「うーむ、ニンジン、ジャガイモ、豚肉……」

「何見てんだよ」

「……はっ」

 もしCGグラフィックデザイナーがこの場面を演出するならば頭の上に光った豆電球を張り付けるだろうひらめきを鈴鹿は見せた。

「わかりましたよ、陣貝徹巡査補佐」

「そんな役職はない」

 徹は久しぶりに来たか、と思った。

 鈴鹿はたまにだが何の予兆もなしに即席コントを始めだす。いきなりのことなのでそれにうまく順応できるものは今や徹だけだが、昔は誰彼かまわずコントのクオリティなど関係なく絡んでいたので裏では『大門座 喜劇王鈴鹿』と呼ばれていたのは果たして中学時代の鈴鹿が知るところかどうかは定かではない。

 今日もそれが開幕した。座長と二人三脚でやってきた大根役者の徹は今日も観客のいない演劇に付き合ってやる。

「で、鈴鹿刑事部長は何がわかったというんですか?」

「ふっふっふ、君にはがっかりだよ陣貝君。何がわかったって、今日の陣貝家の食卓で何が並ぶかがわかったに決まっているじゃないか。これだから警察学校上がりは……」

「いや、あなたも警察学校上がりでしょ。何ですかお偉いさんに賄賂でも渡して裏口入りでもしたんですか?」

「私の推理では――」

 徹の問いに無視をかます。どうやら都合の悪いことを受け流す技術だけは一流だったらしい。

「ニンジン、ジャガイモ、豚肉。この物的証拠から導き出されるものはおそらく」

 鈴鹿は目をキラリと光らせた。

「ニンジンの豚肉巻き、そして蒸かした芋の二品! これでQEDだ!」

「そんな悲しい食卓なら俺はお袋ではなくクソババアと呼び続けるぞ」

 声高らかに証明を終了させた鈴鹿に即ツッコミを入れる徹。もう慣れたものだった。

「ははは、ツッコミうまくなったねー。ちょっと文字数多いけど」

 鈴鹿が徹の肩をバシバシと叩いて笑った。

「カレーだよ、カレー。ルーがあるんだからわかるだろ」

「あー、はいはい、そっかそっか」

 鈴鹿はどうでもいいような調子で相槌を打つ。

こんなに近くで鈴鹿の笑顔を見たのは久しぶりだったかもしれない、と照れくさく顔を赤らめていた徹は思った。

 すると徹は鈴鹿が持っているビニール袋が気になる。

活字の海で五分も泳ぐことができない鈴鹿には不似合いなシルエットがそこにあった。

「それ何? 本か」

「あ、いやこれは別に、何でもないよ」

 鈴鹿はさっと袋を背中に隠してそっと鞄に入れた。体裁や他人の目など気にしない鈴鹿にしては珍しい行動だと思った。

「何、何? 見せられないもん? え、別にいいじゃんか」

 徹がいつもの鈴鹿のようにずけずけと聞いてみる。

「は? ざけんなクソが、殺すぞ」

 親御さんが聞いたらモンスターペアレントでなくても問題になるだろう女子高生の発言に一介の高校生は「はい、すいません」としか返すことができなかった。殺されるのは嫌だったらしい。

「んじゃ、帰るか」

 殺人宣告をした女は何のけなしに言った。

「そうだな」

 会計を済まし、袋いっぱいに食材を詰める。

 外に出てみると徹にとっては案の定、鈴鹿にとっては意外であろう雨がザーザーと降っていた。

「え、雨降ってんじゃん。来たときはまだ降ってなかったのに」

 天井の雷様を睨みつける鈴鹿の表情も徹には大敵に挑むヴァルキリー並みの勇敢さが感じられた。

「私傘持ってないんだけど」

「へー、そっか」

徹はわれ関せずといった具合で自分の傘を広げる。

 鈴鹿はその獲物を、餌を欲しがる小動物のような目で見つめる。

「それ欲しい」

「貰うのは気持ちだけじゃなかったのか?」

「今どき気持ちだけじゃ何も伝わらないんだよ」

「そうなのか、でもお前は俺に何かをくれたことなんてあったかな」

「野菜ジュースあげた」

「ああ、そうだったな」

「女子力高ぇだろ」

「それごときでかよ」

「まあ、いずれ徹も知ることになるよ。私が女子力を体現した権化であることをね。だからご機嫌取りのためにも私を傘に入れろ」

 まるで自分を中心に世界が回っているかのようにさも当たり前のように命令する。普通ならここで地獄突きをかましても見とがめられることはないだろうが、徹は鈴鹿に逆らえないように設定されたキャラクターなのか「仕方ないな」と言いながら傘を傾ける。

 鈴鹿はひょこっとその中に入る。

「ありがとー」

 徹はドキドキと脈打つ鼓動を感じたが、これは勉強のし過ぎによる副作用だと自分に言い聞かせ、帰ったら薬を飲んでベッドに直行しようと心に決めた。

 しかしその雑念を取り払うかのようにふと思い出した。

「そういや、神崎はどうしたんだよ?」

 徹は鈴鹿を追いかけて行った千代の姿を思い出す。

「千代? まあ、たまに一緒に帰るけど……なんで?」

「いや、さっきお前を追いかけて教室を出て行ったと思ったんだが、会わなかったのか?」

「会わなかったよ。あれ変だな、その時は雨降ってなくて普通に歩いてただろうから追いつくはずなんだけど……」

 そうか神崎はいないのか、と徹は少し安心した。神崎千代がいれば今の相合傘で制服帰宅というこんな状況にはなっていなかったからだ。

 もし神という存在がいるのならこの状況を作ってくれたことに感謝して今すぐに手を合わせてやりたいと思ったが、あいにく両手が傘と買い物袋で埋まっている徹は少し微笑むだけに終わる。

 その笑顔を見逃した鈴鹿は言う。

「まあ、あれかな、追いつけなかったのは歩幅の違いかな、千代は小っちゃいからな。その点私はモデル体型だから一歩一歩がでかいからな」

「そっか、じゃあそういうことにしといてやろう」

「やろう」

 徹は右側で無理に大股で歩こうとしている鈴鹿を見る。子供のような純粋無垢な笑顔を張り付けているその少女は雨の恩恵を具現化した妖精のように見えた。

 その妖精は不規則に自由に歩きまわる。それに伴い傘も目まぐるしく動く。

 だがその妖精は自分のせいで徹の左肩が濡れていることにも気づけないほど女子力が低く、一つの雨粒もついていないスカートをなびかせながら鷹揚に歩く。

 ただの自由奔放な女子高生と、自身の優しさに気付いてもらえない不憫な男子高校生。

 徹は思う。

いつもこうやって二人でバカやって、こういう風にずっと笑いあうことができればどれだけいいだろうか。二人でどこかへ行って。二人で遊んで、二人で同じものを見て、二人で同じことをする。そんな人生ならどれだけいいだろうか。まだお互い高校生でこれから先もどうなるかわからないし、もしかしたら友達でもいられないかもしれない。違う大学に行けば疎遠になってしまうかもしれない。だけどそんなイフを並べてもやはり今という時間がずっと続けばいいことは確実で、俺は何か鈴鹿のためにできることがあるのかも不確かで、そんなことを考える暇があるのなら少しでもこの笑顔を守る何かをしたいのだが何をすればいいのかもわからずに、ここまで来ちまった俺は何なんだろうな。デートとか、告白とか、そんなまどろっこしいこともせずに。

 煩悶する。苦悩する。

何も行動を起こさずともここまでもだえ苦しむのならこんな感情、すぐに燃えるゴミに捨ててやりたいと思った。だが徹のその想いは燃え尽きることもなく、不完全燃焼の一酸化炭素垂れ流し、そんなのは時間が経つにつれ息苦しくなる中毒物質でしかない。

 でも疲れはない。それは鈴鹿の笑顔が近くにあるからか、麗華が一緒になって悩んでくれているからかはわからないが、どちらにしてもその疲れがないこの人生に甘えてしまっているからここまで来てしまったのだなと徹はその幸せに対して嫌悪に似た思いを感じる。だがそんなものは贅沢な悩みというものなので、とりあえず今はこのわがまま娘を無事家に送り届けることだけを徹は考えていた。

 また、明日があるとそう思って。

 徹の右側で鈴鹿は初雪にはしゃぐ子供の様に足をバタつかせていたが、そこは水たまりなのでどんどん徹のスラックスを濡らしていく。

 頭を小突く徹、子供のように折檻される鈴鹿。

 はたから見ればほほえましいカップルに見える二人がそこにいた。

通行人、八百屋のおじさん、所帯持ちの主婦、そして赤い目をした白いハトが二人を見つめていた。

 二人を祝福して飛び立つでもないその白いハトは、曇天の暗黒の世界ではひどく異様に目立っていた。

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