第18話 ビルデが飛び立った後
人の話を最後まで聞かずにどこかへ行くのは失礼極まりないのではないかと神二は遠くにあるビルデの背中を眺めながら思っていた。
神二が『早く行った方がいいんじゃねぇか』と冗談交じりに言った途端にビルデは黒い羽を生やしロケットエンジンを搭載した飛行機かのように飛び立った。
なんて仲間思いのいい奴だろうかと思った。
そしてそれと同時にビルデは神二に一つの疑問を残した。
なぜあの側近悪魔ビルデは自分より強いであろう魔王サタンのためにあそこまで焦りの色を見せて飛び立ったのか。
確かに自分たちは強い。サタンサイドにいる佐藤優子と名乗った女もそれは例外ではない。だが相手は魔王サタン、たとえ一対一の勝負を挑まれたからと言って果たして惨敗することなどあるだろうか。
先ほどのビルデの一撃。結果としてかわせたものの少しでも油断をしていると、そしてもし瞬きをしていたなら見きれないほどのものであり、今頃神二はあの世で三途の川をクロールしていてもおかしくはなかった。
相手も自分も本気ではないにしろ、その刹那のやり取りで神二は自分とビルデの地力にそこまでの差はないことを自覚した。
そして神二の中には規定事項がある。それは、
サタンはビルデより強い、なぜならサタンは魔王でビルデは飽くまで側近だから。
というものだった。当たり前だ、どこの世界に社長より発言力のある秘書がいるだろうか。いや確かに血のつながりだけでバカ息子に社長の座を譲ったどこぞの中小企業にはそんなアドバイザー的秘書はいるかもしれないが今回のケースではそれとは一線を画す。
自分より強いサタンの身を案じる理由があるというのなら、やはりあの人のあの言葉は真実だったと言える。
「悪魔妙薬は命を削る劇薬か……」
神二は誰にでもなく呟いた。
「ま、普通ならここで俺も助けに行くのかもしれないけど、そんなことすればあいつに邪魔者扱いされるからな。今回はパスかな」
神二は我関せずといった具合だった。周りは雨が地を穿つ音と冷たい風と神二の大きなあくびの三重奏だけが響く。そして、
「へっくっしゆん。ああ、さむっ」
神二は人間の生理現象として肩をすぼめ、ぶるっと震える。
「そういや上の服どこやったっけな。ああそうだ、ビルデが振り向いたときに邪魔だってんで脱いだんだ」
神二はビルの手すりから飛び出し、再びピンク色の紋章を出して足場にする。そして右足を出し二つ目の紋章、左足を出し三つめの紋章。この紋章(クレスト)は足場にする場合にはその空間座標にとどまる。そのため、高さの違うクレストを交互に出せば階段状にして、空間を駆け上がることも駆け降りることもできる。神二が移動し、乗る人をなくしたクレストはガラスが割れるように霧散していった。神二は引き続きひとつずつクレストを出していき足場にしていく。ビルデに気づかれた場所へと戻り、物陰をのぞいてみた。
「あったあった」
神二はその紺色の物体をひょいっと拾い上げ、広げてみる。
「ああ、こりゃクリーニングかなー。明日も着るのに。……まー、いっか」
そして彼はその服の襟首をつかみ肩にかけ、鼻歌交じりに帰路に着いた。
その服にしるされている『十字架が刺さったドクロ』が笑ったように見えた。
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