第12話 佐藤優子


走ってきた。

普通人間という種は濡れることを嫌い、傘をさすはず。雨が降っても傘をささない者は悪魔や動物だけだとビルデは思っていた。

人は傘をさす。だからこそビルデとサタンの二人は人間の文化にのっとり傘をさしていた。

だが今、目の前に傘をささずに鞄を頭の上にのせた女がこちらに走ってきている。傘をさしていない分二人よりは悪目立ちしているかもしれない。

「ねえ、傘さしてない人がいる。あ、あの服って高校の制服だよね。ブレザーっていうやつ。漫画で見たよ。大門鈴鹿知ってるか訊いてみる?」

 サタンが失礼にその女を指さしながら言った。

「あ、でも闇蔵高校の生徒に聞き込みした方がいいか。あれってどこの制服だろ?」

「大丈夫です。あれは闇蔵高校の制服ですよ」

「え、紺色のブレザーにプリーツスカートだから? でもそれだけじゃ」

「ちがいますよ、あれを見てください」

 ビルデも失礼ながらその女を指さした。正確にはその女の胸ポケットの校章を。

 そこには校章が学校の気風を表すのならこの学校は相当素行の悪い生徒ばかりなのだろうと思ってしまうほどにファンシーでロックな紋章が描かれていた。

 十字架が刺さったドクロの文様がそこに描かれていた。なんとも言い難いセンスである。

「趣味悪いね」

 装飾品をじゃらじゃら付けてヤギの仮面を被っている奴が言う言葉とは思えないがビルデはそこには触れない。

「なぜそんな校章になったのか意味はいろいろあるみたいですが、まあそこはどうでもいいです。とりあえずさっき調べたので間違いありません。あの女は闇蔵高校の生徒ですね」

 大門鈴鹿の見た目はわからないため、中性的で茶色がかったショートカットという特徴から探すほかない。そして目の前の女はその特徴そのままだった。

しかし、そんな特徴の人間は世界にごまんといる。目の前にいる女を大門鈴鹿と断ずるには早計過ぎるだろう。

 だがビルデはなぜか目の前のこの女には不思議な何かを感じた。雨だというのに傘を持っていないからか。大門鈴鹿が着ているだろう闇蔵高校の制服を着ていたからか。

いや、理屈ではない。ビルデの直感がそう言った。

もしかしたらこの女は自分たちが探している大門鈴鹿ではないか、と。

 少し鎌かけてみるか、ビルデは咄嗟に考えた。

「サタン様、あなたは目立つのでどこかに隠れていてください」

「わかった」

 サタンは即座にどこかへと消えていった。

 ここは車が一台ほどしか通れない細い一方通行の道。雨ともなると人通りはほとんどない。

 ビルデは見据える。近づくにつれその女がショートカットで中性的な顔立ちであることがわかってくる。

 二人の距離はどんどんと縮まる。

 十メートル。

 五メートル。

 そして――

「すみません」

 栗毛髪の女とおよそ三メートルの距離でビルデは声をかけた。

 声をかけられた彼女は少し鞄を上げ、その声の主を見る。

 白い傘をさし、帽子を目深にかぶり、マスクをした怪しいとしか形容できない男が視界に入ったことだろう。

 やばい奴だ。女は瞬間そう思い、まるで消しゴムのカスを見るような目でビルデを見やった。

 だがビルデもそんなことは想定済みだ。

「実はわたくしこういうものです」

 ビルデはそう言いながら懐から黒い手帳を出した。

 どこからか「あ」というサタンの声が聞こえた気がした。

 ビルデは手帳を見せる。そこには金色のエンブレムが輝いていた。

 警察手帳だ。

 どうやら職務質問をされ無駄な時間を弄しただけでは割に合わなかったのだろう。スキを突き、くすねたらしい。だがビルデも悪魔だがそこまで鬼じゃない。後で近くの交番に返そうとは考えている。

「警察?」

「そうです。実は人を探してまして、大門鈴鹿という人をご存知ですか?」

 飽くまで警察が一般人に聞き込みをするようなトーンで訊いた。するとビルデにはその女が驚いた顔をしたように見えた。

「知りません」

 即答だった。さっきまで目を丸くし、驚いた顔をしたにしてはいやにはっきりと答えたな、とビルデは不審に思った。

「そうですか」

 ビルデは警察手帳を懐に戻す。

「あなたのお名前は?」

「私の名前ですか?」

「そうですよ」

「私は……佐藤優子です」

 佐藤優子。ありきたりな名字、ありきたりな名前。簡易的に作られた感が満載である。

 しばしの沈黙。

佐藤優子と名乗ったその女は「とりあえず知りませんので、では」と言ってビルデの横を走り抜けようとした。

 だが、

「あ」

 と言うビルデの声で佐藤優子は押しとどまった。

「そう言えば、その人の特徴を言うのを忘れていました。すみません」

「はあ」

 佐藤優子は『まだあるのか』というような怪訝な顔を見せた。

 そこにビルデの悪魔の囁きが。

「しかしおかしいですね」

 ビルデはマスクで見えないが小憎たらしい笑みを浮かべる。

「普通、名前だけ聞いてもさっきみたいに『知りません』と即答できるものですかね?」

「……どういうことですか?」

 佐藤優子は少し怒気を強めて返した。

「いやね、あ、すみません。気づきませんで」

 ビルデは今まで鞄で雨をしのいでいた彼女に自分の傘を渡した。

「いいの? 傘」

「いいんですよ。雨に打たれるのは好きなんです。あいにくそこまで強い雨でもないのでね」

 どうやら女性を濡れたままにさせる方が不自然だと考えたようだ。

「そうでした、さっきの続きですが、やはり名前を聞いてすぐに『知りません』と答えるのは不自然です。普通なら、『その人の特徴は?』『写真とかありますか?』『顔は知ってるかもしれません』と付け加えるはずですよ。それが人の心理です。ですがあなたは質問もなしに名前を聞いただけで知りませんと答えた。まるで『その人をかばうため知っているのに知らない人を演じるかのように』」

 自分が名探偵にでもなったかのようにビルデは自分の推理を述べた。半ば決まったと思い、マスクの下の表情が緩んだその時、

「違いますね」と、佐藤優子が反駁。「すぐに知りませんと答えるかどうかは人それぞれです。それだけで私がその大門鈴鹿を知らないふりをしていたかどうかはわかりませんよ。それに私はさっきまで傘を持っていなくて、鞄を傘代わりにして走っていました。言っちゃ悪いですけど、雨に濡れずいち早く家に帰りたいそんな時にあなたみたいな怪しい男から声を掛けられれば誰だって受け答えは投げやりになるはずです。さっきみたいに『知りません』と一言で終わらせるように」

 彼女は論文を提唱する心理学者のようにつらつらと述べた。

 確かにそれは道理が適っている。雨の中、年頃の女子高生が初対面の怪しげな男と立ち話などしたくはないだろう。

「なるほど、そういえばそうですね」

 二人は少し笑みを浮かべる。

 あっけなく諭されてしまった。だがそれはビルデが先ほど述べた理論を論破されただけで、この女が大門鈴鹿、もしくは大門鈴鹿に関係のある誰か、という可能性を否定するものではない。

 ビルデもバカではない。大門鈴鹿に関係のない者にそこまでの時間を掛けようとは思わない。もしこの女が大門鈴鹿と何の関係もないのならさっさとこの場を立ち去るだろう。だがビルデには確信があった。この女が大門鈴鹿と関係のある女だと。

 変わったのだ、顔が。

この女が『大門鈴鹿』というワードを聞いたとき、明らかに目を丸くし驚いた表情を見せた。どうやらこの女、気持ちが顔に出やすいタイプらしい。

 この女は大門鈴鹿を知っている。

 あわよくばもしかしたらこいつ自身が――。

 できれば大事にしたくない。闇蔵高校まで出向いて一人一人に聞き込みをすれば教員や近所の人たちに目をつけられる。関わる人間はできるだけ少数に抑えたい。

「ちなみにですが、それは闇蔵高校の制服ですか?」

 ビルデが何のけなしに聞いた。

「そうですよ」

「そうですか。……もう一度聞きますが佐藤優子さん。本当に大門鈴鹿を知りませんか?」

「だから知りませんって」

「顔も知りませんか?」

「多分知らないと思いますよ。私の学校は県内有数のマンモス校、生徒の人数は多いし、私はいちいち他の人の顔を覚えるほど余裕ないんで」

「そうですか。わざわざ時間を取らせてしまってすみません」

「いえいえ大丈夫ですよ。仕事ですもんね」優子は顔の前で手をひらひらさせた。「じゃあ、わたしはこれで。あ、この傘やっぱり返しますよ」

 優子は半ば無理矢理に傘をビルデに渡した。

「いや、でも」

「いいのいいの。私も濡れるの好きだし、おまわりさんもまだ仕事あるんでしょ? ありがとね」

 優子は笑顔でそう言った。だが観察眼に優れたビルデには愛想笑いに見えた。

「そうですか。ではあの、捜査のためなのですが、差し出がましくなければ連絡先を教え――」

「それは差し出がましいので無理です」

 ビルデが言い終わらぬうちにその要望をはねのける。

「ではこちらから教える分には大丈夫ですか?」

 だがビルデは食い下がらない。

「まあ、そうですね」

 優子はしぶしぶではあるものの了承する。さすがに二回も続けて断るのは悪いし、ただあちらの連絡先を教えられる分には何もデメリットはない。いやむしろメリットになるかもしれないと佐藤優子は踏んだ。

と、ビルデには思えた。

「ではこちら名刺です。何か情報があればご連絡ください」

 優子はそれを受け取りまじまじと見る。

 その名刺は『亜隈ビルデ 090―×××―×××』と記載されていた。役職も所属も記されていないなんとも怪しい名刺だった。

「亜隈ビルデ……変わった名前ですね。ハーフですか?」

「そうなんですよ。もう少し日本人のような名前が良かったんですが、父の方が頑固でしてね。あなたのような佐藤優子という名前がうらやましいですよ」

「こんなありきたりな名前のどこが良いんですか。誰にでも思い付きそうな名前だからって理由で偽名と疑われることが多いんですよ。まったく迷惑な話です」

「それは災難ですね」

「ほんとに」

 優子は苦笑いを浮かべ、受け取った名刺を胸ポケットにしまう。

「では」

 今度こそと思い優子は再び鞄を傘代わりに雨の中を走り抜けた。時たまビルデの方を振り向きながら彼女は走って行った。おそらくは尾行されないように警戒しているのだろう。用心深い。

 姿が見えなくなりサタンがビルデに駆け寄った。

「あの子、大門鈴鹿知らなかったの?」

「いや、知ってますね、あれは」

「え、じゃあ行かしてよかったの?」

「一応サタン様、あの女を尾行して、家の表札を見てください。その後連絡ください。さっき契約した携帯の使い方わかりますよね?」

「大丈夫だよ。電話どころかコミケの情報を検索できるまで――」

「早く行ってください!」

 サタンが言い終わらぬうちにビルデが促す。

 部下から命令された魔王は慌てて黒い羽を背中から出し、女の後を追うため飛び立った。

 あの女が大門鈴鹿のことを知っているという可能性は確かにあった。

 名前を聞いてありきたりな名前を返したこともその要因となったが、それ以前にあの佐藤優子と名乗った女は『私の学校は県内有数のマンモス校、生徒の人数は多いし、私はいちいち他の人の顔を覚えるほど余裕ないんで』と言っていた。これは大門鈴鹿が闇蔵高校の生徒ということを前提とした発言だ。もしビルデが『あなたの学校の生徒、大門鈴鹿を探しているんですが』と訊いていたなら、その返答は頷ける。だがあいにくビルデは『大門鈴鹿を知りませんか?』としか言っていない。名前を聞いただけでその人の年齢や学校がわかるというのなら今すぐに超能力者や占い師に転職して欲しい。

 これらのことからビルデはあの佐藤優子が大門鈴鹿に関係する誰かという考えに帰結した。

 もしかしたら佐藤優子だけで大門鈴鹿にたどり着けるかもしれない。

 いやあの女自身の特徴を踏まえてみると、あの女が大門鈴鹿と言う可能性も大いにある。どちらにせよ佐藤優子に近づくことにより大門鈴鹿に近づくことはビルデの中ではほぼ確定事項となっていた。

 だがもしものことも考えてビルデは引き続き闇蔵高校の近くで聞き込みをすることにし、その方向に足を向ける。


 そこで突如視線を感じる。


後ろを振り向く。だがそこには誰もいない。気のせいではなかった。ありありとした殺意や憎悪が混濁した冷たい視線だった。辺りを見渡してもそれらしい者はいない。

 ビルデは不信感を覚えながらもしばらく警戒の念を強め周りを見据えた後、闇蔵高校へと走って行った。

 

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