第8話 雨の日

 今日という時間はおそらく明日には忘れていて、また明日からも今日と同じような無為な一日が続くのだろう。と、鈴鹿はまるでエセ哲学者のようなことを考えることもなく、今日の授業の終わりを凡人らしく素直に喜んでいた。

「終わったー、帰るぞー」

 鈴鹿は大きな伸びをした後、鞄を持って立ち上がる。

「麗華、雨降ってる?」

 窓際の麗華に鈴鹿は聞いた。

「んー、今は降ってないよ。降りそうだけど」

「じゃあ、私今のうちに帰るわ、麗華は?」

「私はこれから雑誌の取材があるの。セバスが迎えに来てくれるみたい」

 セバスとは麗華お嬢様お抱えの執事である。見た目はいかにもなダンディなオジサマで仕事は一流。年齢は不詳だが麗華曰く、自分が子供のころから見た目は変わってないらしい。

「セバスちゃん来るのか、そういや最近会ってないなー」

 麗華が生まれたころからの執事なので鈴鹿もセバスとは顔見知りである。愛着を込めて、ちゃん付けで呼んでいる。

「途中まで車で送ろうか?」

「いや、いいよ。寄るところもあるし、先帰るね、じゃ」

 そう言うと鈴鹿は教室を出ていった。

 その背中を見送った後、麗華はひそかに鈴鹿を見送っていた徹の方を見る。

「いいの? 雨も降りそうだし……。鈴鹿傘持ってないよ」

「いいよ別に。昼休みに、鈴鹿に傘持ってないんだったら俺のいるか? って聞いたら気持ちだけ貰っとくって言われたし」

「あんたねー」

 麗華はあきれたように徹をにらむ。

「女の『別にいい』を真に受けちゃだめだよ。ダメよダメよも好きのうち、ってよく言うでしょ。女は嘘という武器で駆け引きを楽しむ生き物なんだから。鈴鹿だって……」

 麗華は鈴鹿の女らしい部分を探そうとしたが回想されるのは泥まみれになりながらカブトムシを捕まえる幼き子供のころの姿だった。この子供が女らしい駆け引きができる女性になるとはとても思えなかった。

「鈴鹿だって、何?」

「……ま、まあ大丈夫大丈夫。鈴鹿も女の子なんだから何かにキュンとなったりはするよ。頑張んな。ほら、まだ間に合うよ」

 麗華はごまかすように徹の背中をバシバシたたいた。

 案の定、鈴鹿の女らしい部分を見つけられなかったんだな、と徹は思った。

「とりあえず一緒に帰ってみたら? 長らく二人で帰ってないんでしょ?」

「んー、そうだな。……じゃあ追いかけてみるかな」

 徹がない勇気を振り絞って鈴鹿を追いかけようとした。

だがその時、帰り支度をし終えた千代が、

「麗華麗華麗華―」

 と、気さくに声を掛けてきた。

「鈴は?」

「え、あー……鈴鹿は……えーっと」

 麗華が少し決まり悪そうに答える。

 それを見て千代は、

「え、もう帰ったの? まだ追いつくよね。麗華は……あ、確か仕事があるとか言ってたね。じゃあ、私は鈴と帰るね! 鈴―!」

 と、麗華に引き止める隙を与えることもなく教室を出ていった。

 残された二人は互いに見合い含みのある苦笑いをした。

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