第一章
第2話 魔界にて
神と名乗るそいつの右手からは真っ黒な鮮血が滴り落ちていた。そして、左手にはどくどくと痙攣する悪魔の心臓が握られている。それを水風船のように弄んだあと、神は握りつぶした。真っ黒な鮮血が辺り一面に爆ぜていく。
心臓を抜き取られた悪魔は力なくその場に倒れ伏し、まるで灰のような塵になり、その場から霧散した。
何人殺したかなど数えちゃいなかった。数える気すらもなかった。
魔界に生きる悪魔など、神にとっては自らの殺人欲求を満たしてくれるただのおもちゃに過ぎなかった。
神と名乗るそいつは不敵に笑った。自分以外のすべてのものは自分の欲求を満たすためのただの道具でしかないと言いたげなその奸悪な笑みは見るものすべてを震えあがらせた。
悪魔の住処である魔界はいま神の手により蹂躙された。
キィーー。こうもりのような風貌をしたどす黒い獣はそんな甲高い声を上げた。雷が鳴り響き、草木などみじんもなく、太陽の光さえも刺さない。ここは魔界。
そんな薄暗い世界の中にポツンと一つだけまがまがしいオーラを放った洋館が建っている。そこにビルデはいた。
ビルデの容姿は人間に近く、眉目秀麗と称されるには申し分ないものだった。だからこそ頭から生えたひん曲がった角と大きな牙がより一層の異彩を放っている。
何人かの部下たちと軽い挨拶を交わしながらビルデは奥にある魔王室まで廊下を走りぬけた。
「サタン様! 見つけました。インハートです」
ノックもおざなりに魔王室に入ったビルデはそう言い放つ。部屋の中には大柄な男が立っていた。赤黒いマントに身を包み、これでもかというほどの装飾品を身にまとい、首から上はヤギの頭蓋骨の被り物という姿だった。
「お、やっと見つけた? 間違いないの?」
サタンと呼ばれるその男はまるで子供がしゃべるように気の抜けた声でそう言った。
「はい、偵察担当魔界モスキートに血を吸わせ、解析班でもあるベリアが精査したので間違いないかと」
「よし!」サタンはこぶしを握り、ガッツポーズをする。「これであいつを出し抜ける!」
「しかし協力してくれるでしょうか相手は年端もいかぬ女です。人間界では高校生という地位に身をやつしているようですね」
「え、高校生? まさかそれは……」
そういうとサタンは傍らにある鞄の中をごそごそと探りはじめ、今人間界で人気の少女漫画を出してきた。
「それはまさかこの漫画のように男といちゃいちゃしたり、時には涙を流し、友達の恋愛も応援し、最終的には好きな人と両思いになり、ハッピーエンドになるというあの高校生!?」
ヤギの被り物のせいではっきり見えないが、おそらくサタンは今、きらきらと目を少年のように輝かせていることだろう、とビルデは思う。
「だいぶ偏見が介入してますが、そうです、その高校生です。……しかしサタン様一体なぜそのような人間界の書物をお待ちで?」
「え、いや別になんか……その辺に落ちてただけだし、たまたま拾っただけだし……」
サタンはいきなりバツが悪そうに漫画を隠し始めた。
「まさかまたわれわれに内緒で人間界のコミケとやらに行ったのでは?」
「別にいいじゃないか! 減るもんじゃないし」
「あなたの魔界の王としての価値が減るでしょ! あなたはもっと自分の立場を自覚するべきです! だいたいあなたは……」
「ああ、わかったから、それよりも今はその女子高生でしょ、ね?」
「まあ、……たしかにそうですね」
ビルデはしぶしぶその女子高生の話題に戻した。サタンは少し安心したのか胸をなでおろす。
ビルデは手帳を開き、つらつらとその女の特徴を話し始めた。
「名は大門鈴鹿(だいもんすずか)。年は十七歳。闇蔵高校二年生。成績は中の上。見た目は中性的。生まれつき栗毛色の髪をしており、髪型は短すぎないショートカット。性格はサバサバしている。口は悪いが飾らないその出で立ちから同性異性問わず人気。友達多し。最近の口癖は『働きたくない』。最近の悩みはアイドルの顔の区別がつかないこと。それから……」
「ちょ、多い多い多い! え、なにそれそんなとこまで調べてんの? なんか引くわ」
「いや、寝るときに美少女フィギュアと添い寝するサタン様の方が引きますよ」
「何で知ってんの!? え、はずっ」
サタンは骸骨の面のおかげですでに本当の顔が隠れているというのに顔を手で覆った。
「まあ、解析班から私が聞いたのはそんなところです。問題はこの女が私たち悪魔族に協力してくれるかどうかですね」
そういうとビルデは手帳を閉じた。
「なーに、それはわたしが直々に交渉すればいいだけの話だよ」
「サタン様が人間界に降りるということですか。なりません。人間界とはいわば魔界と神界の中間地点。いつ神の軍が攻めてくるかわかりません。人間界でかち合うことになっては……。それに」
ビルデはしげしげとサタンの身なりを見る。
人間離れした大きな体格、ヤクザよりも仰々しい装飾品を携え、挙句の果てに顔はヤギの骸骨ときたもんだ。ハロウィンでない限り、問答無用でブタ箱にぶち込まれてしかるべきだ。
「そんな身なりで人間界に行けば目立って仕方がないでしょ、というか通報されて警察という治安部隊が出動して、周りは大パニックになりますよ」
「そんなことはないよ。事実コミケ会場では『一緒に写真撮ってください』と女子たちがむらがってきたくらいだよ」
「それはただコスプレだと思われただけなんじゃ」
「とにかく、僕も行く、行く行く行くーーー!!」
サタンはまるでおもちゃを欲しがる子供の用に駄々をこね始めた。暴れるたびに魔王の威厳がこそげ落ちていく、。
普段ビルデ以外の部下の前では凛とした様をみせ、畏敬の念を向けられることもあるサタンだが、旧知の仲のビルデには子供のような一面を見せる。それは彼を信用しているからだ、と言えば聞こえはいいが本人にとっては面倒なことこの上なかった。だがここで断ればサタンの駄々はとどまることを知らなくなる。
ビルデはハーと嘆息する。
「わかりましたよ。連れてきますよ。その代わり目立った行動は慎んでくださいね」
「わかった、大丈夫」
大丈夫かな、とビルデは思った。
「よーし、この時期なら大きなコミケが東京であるからカメラやお金調達していかないと」
本当に大丈夫かな、とビルデは思った。
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