第31話 もういい
俺は今、屋上にあるフェンスの前に立っていた。
……あれから、この世界の奈央の容態が意識不明だと知って呆然としていた俺に、『とりあえず今日は帰りなさい』と、ナースは言ってくれた。俺はその言葉に頷くことなく奈央の病室を出たが、その辺りから記憶がない。どうやら俺は家に帰らずに、無意識で屋上に来たようだ。
……まあ、考えなしの行動だったが、屋上に来たのは正解だったと思う。このまま家に帰っても奈央が気になって寝れないのは明白。
それに、寝ると一旦悲しみがリセットされるけど、あいつの容態が変わるわけではない。だから、仮に寝れたとしても、起きたらまた悲しみが募ってしまうと俺は知っている。
なぜなら、これと似たような経験を死に神の世界でしていたから……。
「……なあ、そうだろ? ドロシー」
俺はあの日、ドロシーが消滅してしまった悲しみのまま眠りについた。そして、起きた時の夢だったんじゃないかという思いを打ち砕くようなあの喪失感。
……あまり味わいたいものじゃない。
だから俺は、出来ることなら一生眠りたくはなかった。……だけど、普通の人間に一生寝ないままでいるなんてことは不可能。
そんなことはありえないけど、一生起きない方法なら――ある。
眼の前にある、約二メートルのフェンスを俺は掴む。
……前の世界では、このフェンスの打ちつけが甘く俺は落ちてしまったが、この世界ではそんなことはないらしく、押したぐらいでは人を簡単に跳ね返しそうだ。
フェンスを掴んだ手に力を込めてよじ登る。そして頂点まで行きヘリに飛び降りた。
「おっ、とっと……」
ここまで来るのは初めてだな。
確か、シュウがあの女の子を殺した場所だ。……まあ、俺があの子の自殺する未来を消したんだが。
……皮肉……だよな……。
ここは俺が殺された場所であり、俺が自殺を止めた場所でもある。俺はそんな思い出深い場所で――自殺しようとしているんだからな……。
屋上のヘリに上がると、俺に向かって強い風が吹き付けてくる。まるで俺の背中を二つの意味で押しているような風だが、俺を押すには少々風不足だ。
それに、人や事象の手を借りるつもりはない。本来、自殺とは自身の手によって自分を殺す行為であって、誰かの手を借りて――つまりは自分を殺す勇気がないからといって、死に神の手を借りて死ぬものではない。
だから、俺は前のように死に神に殺されるつもりはない。自分の意思によってここに来て、死を求めているんだ。
……これ以上、奈央が意識不明であることを考えていたくはないから……。
これが俺の自殺理由だ。
自殺に至るまでの理由や過程は人それぞれだと思うが、自殺という結果を選んだ人にさして違いはないだろう。なぜなら、自殺を決断する人の大半は――逃避――からくるものだと思うからだ。
俺を例に上げると、『奈央が意識不明であるということを考えたくない』という思考からの逃避によって、自殺という結果を選んだ。
これに当てはめればいくらでも例が挙がる。
仕事がないから自殺――仕事を探すことからの逃避。
お金がないから自殺――お金を稼ぐことからの逃避。
嫌われたので自殺――好かれることからの逃避。
このことから分かるように、自殺とは逃避の最後の手段であって、誰しも選択できる立場にいるということだ。
俺がいい例だな……。
数時間前まで、俺は死に神の世界で死に神となって……自殺を否定していた。それなのに、今は俺自身が死ぬことを決意してしまっている。
奈央が意識不明なのも理由の一つだが、なにより、自殺したら死に神になると俺が知っていることが、俺の背中を押す要因になっていると思う。
……もし、たくさんの人が、俺みたいに自殺をした先に世界があると知っていたら、たぶん今まで以上に自殺者は増えると思う。だってあそこは、自分の望みの叶う能力が手に入るだけではなく、自殺の原因なんかも忘れることが出来る。それはつまり、生まれ変わることと同じではないだろうか?
もちろん、神さまからあの世界についてさらに詳しく教えてもらった俺は、あの世界の存在理由が、生まれ変わりを目的としているわけではなく、自殺した後にまた自殺を繰り返させないための世界だと理解している。
それでも、俺は死に神に殺されてあの世界に行ったことで、生前では不協和音を奏でているだけだった俺たちだったが、死に神の世界で奈央と真剣に話すことで、俺たちは本当に想い合っていると知ることができたんだ。
……まあ、死に神の世界から死んでいなかった世界に来て、奈央の容態を聞かされて愕然としたが、死に神の世界のシステムを俺は知っている。
死んだ世界から死に神の世界に行き、そこで記憶を取り戻しながら自殺を繰り替えないように鍛えられる。そこでタブーを踏めば、自殺しないだろうと認定されて、死んでいなかった世界に行くことになる。
普通ならこの長い道を辿ることになるが――俺は違う。
俺には奈央の能力である『記憶維持』がかかってある。神が言っていたが、この『記憶維持』はかなり強力で、記憶を消すことが不可能だと言っていた。だから俺が自殺をしたら、今度は記憶を失わずにあの世界にいくことが出来る。それはつまり、すぐにタブーを踏むことが可能だということだ。
前回のタブーは『恋をしてはいけない』というものだったが、たぶん、次のタブーは変わってくると思う。前回とは違うところが多々あるし、それに俺には記憶がある。記憶がある俺の自殺を繰り返させないためのタブーじゃないと駄目な筈だから、『恋をしてはいけない』ぐらいじゃ、俺は死ぬことをやめるつもりはない。
――そう、俺は死ぬことをやめるつもりはないんだ。自分の思い通りの世界に行くまで……。
だってそうだろ?
この死んでいなかった世界は、想いの通じ合っていると知った俺たちからすれば、相手と会話が出来ないなんて地獄でしかない。
――こんな世界、俺は認めない!
だから、奈央と想い合える世界を俺は求める。世界はたくさんあると神は言っていたから、何回も何回も死ねば、いつかは自分の求める世界に辿り着く筈だ。
そう思った瞬間、あることに俺は気付き、
「……ハハッ」
――俺は思わず笑ってしまった。
なぜなら、さっき俺は、自殺とは逃避の一種だと言ったが、今の俺は本当に逃避と言うネガティブな思考を持っているだろうか?
答えは否。
ここで死んでも、確実に明日を迎えると知っているから、俺は希望を持って死のうとしている。
こんな気持ちで自殺をしようとする奴は初めてではないだろうか?
自殺を選択する人の大半は、嫌なことから逃げるための自殺するだろうが、その中には来世に希望を持って死ぬ奴もたまにはいるだろう。
……でも、それは希望的観測。
確実にあると自信があるわけないので、結局、根はネガティブから生まれたポジティブ。つまりはただの――現実逃避。
俺の希望とは全然違う。そして死ぬ直前もそうだろう。
明日が来ると本気で信じられない奴は死の恐怖と戦い、明日が来ると知っている奴――まあ、俺のことだが、そんな俺からすれば死の恐怖なんか感じない。
それを誰に証明するわけでもなく下を見る。
「うっ」
すると眼が眩み、思わず後ろに下がりヘリから落ちてしまい、そのまま後ろに下がるがフェンスに阻まれてしまった。
屋上から見える地上は、こんなに遠かったのか……。俺は、本当にこんな場所から死んだのか?
……そういえば、あの時は死ぬつもりなんてなかったから、フェンスを掴もうと足掻いていた。だから俺は、近づいてくる地上を視界に捉えることなく、後頭部から下に落ちて、そのまま意識がなくなった。
だから俺は……死の恐怖を知らないまま死んだってことか?
死の恐怖を本当に知らないのかと思い、無意識に、死んだ時のことを思い出そうと――、
「ぐあっ!」
俺は思わず後頭部を抑える。が、特に何にもなっていなかった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
……一瞬、頭が陥没、もしくは割れたのか思った。
あれは間違いなく、俺の死因の痛みだ。
――そうか、記憶を取り戻してからの記憶維持だから俺は覚えていたんだ。死の恐怖ではないが、死の痛みを……。
「はぁ……はぁ……」
もう一度、死ぬためにヘリに上がろうと思っているのだが体が動かない。それどころか、無意識に後ろに下がってしまい、フェンスに体を埋め込んでしまった。
――無理だ。
死の恐怖よりも、死の痛みが俺を忘れさせない。ここから飛び降りれば、またあの痛みを味わうことになる。あの痛みをまた味わうと知った俺には、ここから飛び降りることなんて出来ない。
つまりは、自殺することが俺には出来ない。
……だけど、この世界を生きていくのも辛い。どうすれば……、
「そうだ……」
――シュウだ。
こういうときにシュウがいてくれたら俺を殺してくれる。あいつは死にたいと思っている人全員を殺してくれる。シュウを捜して俺を殺して貰おう。
今の俺は、自分がさっき言った人の手を借りないで死ぬと言ったことなど意識になかった。
だけど、シュウはこの世界にもいるのだろうか?
……てゆうか――、
俺は辺りを一通り見渡す。だけど、目的の者は見つからない。
――どうして自殺しようとしている俺の所に、死に神が来ないんだ? 確実に来るとは言えないが、俺の元に来ないことが気になってしまった。
死に神は、自殺しようと思っている人の匂いに気付いてやってくる。俺の所に来ないということは、近くに死に神がいないか、もしくは……俺が自殺したいとは本心では思っていないからかもしれない。
……確かに、今の俺は自殺するのが怖い。だけど、ここで死ななきゃ、俺は奈央と笑いあえる世界に行けないんだ。
だからシュウを……いや、もう居ないんだったら仕方がない。勢いで死ぬしかない。自殺だろうが他殺だろうが、結局、最後は勢いしかないんだ。
勢いで死んで、こんなふざけた世界からさっさと逃げる……。
――いい加減にしろよ。
「えっ?」
頭に誰かの声が響いた。この声に聞き覚えがある――死に神の世界での未来の俺?
――僕が誰かなんてどうでもいいだろ。さっきから聞いていたら、いいわけばっかりだ。そんなに死ぬことに、いいわけを作りたいのか、お前?
『いいわけって……別にそんなつもりは……』
――いや、お前はさっきから、自分が死ぬことを正当化するのに必死になっている。自分が死ぬことは正しいといいわけしているんだ。……お前はまた、奈央ちゃんを悲しませるつもりか?」
『違う。そんなつもりはない。俺はただ、奈央ともう一度笑いあえる世界に――』
――奈央ちゃんを理由に出すのをやめろ! お前は『奈央ちゃんのため』にみたいなことをさっきから言っているが、そっちの世界の奈央ちゃんは、本当にお前の死を望んでいると思っているのか? 少なくとも、お前の世界の奈央ちゃんと同じ存在である僕だったら、愛する人が自分を残して死んでいくはもう耐えることができない。
『……奈央と同じ存在? それって、まさか、お前、別の世界の……』
――そうだよ。僕とお前は立場が違えで、同じ名前『七原稟太郎』だよ。
『過去や未来に関係のない別の世界の『俺』が、俺にどうやって会話しているんだよ』
――そんなこと今はどうでもいいんだよ。……本当だったら、こっちの世界の奈央ちゃんが死ぬのを止めたいけど……。僕が干渉できるのは僕だけだから仕方がない。
俺の頭に響くこの声は確かに俺のようで、だけど立場は病気なっている俺。つまりは、俺の世界の奈央の立ち位置なんだろう。
――お前は残された人の気持ちを考えたことがあるか? 僕は奈央ちゃんが死んだと聴いて悲しかった。だから、そっちの残される奈央ちゃんも、僕と同じように悲しいはずなんだ。だから死なないで!
『……だけど、奈央は意識不明で……』
――意識不明だろうがなんだろうがまだ死んではいないんだ! 目が覚めないわけじゃない! 言葉だけでは信用できないのだったら僕の存在が保証になる。僕はこっちの世界では、お前の世界の奈央ちゃんと同じように意識不明だが、今こうして別の世界の僕と会話をしている。それはつまり意識があるってことじゃないのか。僕は僕を待ってくれている奈央ちゃんのために必ず眼を覚ます。必ず、必ずだ。……だから、僕と同じ存在の奈央ちゃんも、お前のために必ず眼を覚ますはずだ! だから、そっちの奈央ちゃんのために――生きてくれ!
『お前は必ず眼を覚ますのか?』
――ああ、必ず。奈央ちゃんを待たせたくない。
『お前にその起きる気があるってことは、同じ存在である俺の世界の奈央も……』
――同じ存在なのだからはっきりと言える。必ず起きると。
起きるって本人が言っているんだ、信じない理由にはならない。
『……分かった。俺、生きるよ。そして待つ。奈央が眼を覚ますまでいくらでも……』
――ありがとう。存在は違えど同じ名前を持つ僕。……願わくば、そっちの世界の奈央ちゃんが、こっちの世界の奈央ちゃんが死ぬのを止めていてくれると……いや、僕が死ぬのを止めたんだから、こっちの世界もたぶん、大丈夫……かな――。
『どういう意味なんだ?』
別の世界の俺の言った言葉が気になり質問したが、その質問に答える声は頭に響かなかった。
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