第2話

 耳元で不穏な単語を囁かれたテオは咄嗟に背後に飛び退くものの、ランシールは手足を器用に使ってテオにしがみつき離れようとしない。滅茶苦茶に暴れても良かったが、それで幼女の機嫌を損ねるのが怖かった。恐る恐るランシールの背中に手を回し、地面に降りるよう誘導する。

 

「俺は、生け贄じゃない。捜査官だ」

「うん。でも、みんなすぐに死んじゃうよ? その後の『心臓』は私たちが食べていいことになってるんだよね!」

 

 ランシールはテオから離れて華麗に着地を決め、幼女の外見に似つかわしくない物騒な単語を連発した。くらくらする頭で何とか事態を把握しようとテオは口を開く。

 

「つまり、なんだ? ここにはお前みたいな悪魔が他にもうようよいるってのか?」

「お兄さん、七つの大罪知らないの? ここにいる悪魔は全部で七人。そして私たちはそれぞれの大罪を司るすごい悪魔なんだよ!」

 

 いまいち要領を得ないランシールの話をまとめると、第八部署にはテオ以外の捜査官がおらず今までは悪魔たちが自由気ままに生活していたらしい。たまにテオのような捜査官が派遣されてきたが、皆何らかの任務で死亡。悪魔たちは死体から心臓を抜き取り、順番に取り込むことで生きながらえているということだった。

 

 実際、この国では悪魔自体はさして珍しいものではない。魔力のある人間ならば誰でも悪魔と契約することができる。とはいえ悪魔契約は法律で禁止されており、対悪魔犯罪特別捜査機関に属する捜査官以外が契約を結ぶことは重罪だ。

 

 テオの仕事は違法な悪魔契約者たちを逮捕することであり、時には彼らが起こした事件を解決している。上司がいない環境は大歓迎だが、かといって回りに悪魔しかいないのはやや心細かった。

 

「ねぇお兄さん、お腹すいた」

 

 とりあえず他の悪魔に挨拶しておこうかと考えていたテオの制服を掴み、ランシールが上目遣いで言う。

 

「は? 腹? お前らは食わなくても死なねぇだろ」

「でも食べられるもん! お腹すいたお腹すいたお腹すいたあぁ!」

 

 ランシールは何の前触れもなく癇癪を起こし、その場で地団駄を踏みながら炎を撒き散らし始めた。

 

「……っ! おい、やめろ! 分かった、分かったから!」

 

 このままでは大火事になりかねない。転属初日に同僚の機嫌を損ねて本部を全焼させたとなれば上の人間を見返すどころではなくなってしまう。ランシールをなだめすかし、炎を抑えさせたテオは仕方なく街へ繰り出すことにした。

 

「で、どこに行きたいんだ?」

「食べられれば何でもいいよ!」

 

 先ほどまでの怒りはどこへやら。今すぐにも走り出しそうなランシールと手を繋ぎ、テオは受付で外出許可証を受け取るべくエレベーターに乗り込んだ。ランシールは大人しくテオの後についてきて物珍しそうに辺りを見回している。

 

「捜査官のテオドリック・オーレリーだ。悪魔の外出許可証をもらいたい」

「かしこまりました。では、こちらの書類にサインをお願いいたします」

 

 形式上だけの面倒な手続きを済ませ、許可証を受け取った。ランシールを見て眉をひそめる捜査官や関係者の視線を無視して外に出る。本人は全く気にしていないようだが、やはり悪魔を見る世間の目は冷たい。

 

 本部近くにあるレストランに入り適当に大量の料理を注文した。ランシールはメニュー表を見ることすらなく全てテオに任せっきりなのだ。店内にはほとんど客がおらず、頼んだ料理はすぐにテーブルを埋め尽くす。途端に目を輝かせるランシールを放って携帯端末を取り出したテオに、ウェイトレスの女が遠慮がちに声をかけてきた。

 

「あ、あの……」

「なんだ?」

「その制服、悪魔犯罪の捜査官の方ですよね……? 最近首都で起こっている連続猟奇殺人事件の犯人、捕まりそうですか? 死体から心臓が抜き取られているっていう……」

「あぁ、あれか」

 

 今からおよそ二週間前。首都にある名門校で悪魔の仕業と思われる死体が見つかった。死体から心臓が抉り取られていたことから、捜査本部はどこかの悪魔が魂食いを目的として起こした事件であると断定。すぐに解決するだろうとテオは大して気にも留めていなかったのだが、その予想とは裏腹に三日後、二人目の犠牲者が出た。

 

 結局捜査は難航し、未だ犯人の足取りさえ掴めていない。もしも捜査官が死亡するか、さらに被害が拡大すればテオの配属された第八部署にも捜査命令が下ることだろう。そうなってほしいと思う。

 

 これだけ帝国を騒がせている事件だ。解決すれば名を売れることは間違いない。出世の足掛かりにもなるし、早々に上層部が匙を投げてくれれば助かるのだが。

 

「悪いが捜査情報は明かせない。内部機密なんでな」

「そ、そうですよね。すみません……」

 

 ウェイトレスの女は気まずそうに頭を下げて厨房に戻っていく。その背中を見送った後、テオは大量の料理をものの十数分で食べ尽くそうとしている悪魔に目を向けた。

 

 この事件は恐らく、悪魔と人間が共謀して起こしたものだ。下級悪魔に捜査官から逃れられる知能はないし、中級、上級悪魔の関与も疑わしい。中級以上の悪魔は契約者がいなくとも一つの心臓で一ヶ月は生存できるのだ。わざわざ危険を侵す意味がない。

 

 だとすれば、こちらも悪魔と共に立ち向かわなければ無駄死にする。これまで解決してきた悪魔犯罪とはレベルが違うと認めなければ。

 

 正規の出世ルートに戻るため、自身を正当に評価せず左遷した上層部を見返すために今は悪魔の信頼を勝ち取ることが最優先事項だ。

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