4 アメリカ ニューヨーク


 スタジオのロビーに小さなテレビがあって、アナウンサーとコメンテーターが真剣な顔でSYのことを話している。女性は眉を吊り上げていて、男性は物憂げに見える。

「近年の再調査で、SYと名乗る加害者が起こしてきた数々の殺害事件の存在が、明白になってきました。SYを信仰する加害者たちは、どのような思いを抱いていたのでしょうか」

 男性が尋ね、女性が答えていく。

「そうですね、これには非常に複雑な要因が絡んできます。まず、SYというのは戦後すぐ、イタリアで生まれた新興宗教なんですね。ムッソリーニ政権のファシズムに反発して、個々人が教えをそれぞれで解釈しても良いという、非常に自由な教えなんです。教典こそありますが、タブーや決められたルールというものはほとんどありません。ただ、礼拝は1日3回以上行うこと、礼拝室にはひとりで入ることは決められています。

 これは神と人間が、一対一で向きあわなければ真の愛を得ることができないという教えからです。これらのため、SY信者は視野が狭くなりがちなんです。教えを自分の都合の良い解釈へと折り曲げて、自分だけの神を信じるようになります。人によっては、命を奪うことが真の救済だとか、魂を浄化することが神への愛だというような思想を持つ人もいます。痛ましい事件が起こる背景には、このような思想も関係しているものと思われます。世間ではそういう人々のことを、過激派と呼んだりもしているらしいですね、また、過激派でないSY信者のことは穏健派と呼んでいるとか」

「恐ろしいですね、命を奪うことが正義だと信じこんでいるなんて」

「ええ。とはいえ、人々は過激派に降伏しているわけではありません。とある国には、SYを含む宗教で起こった事件で、親権者を失った子どもを育てる施設があったりもするそうですよ。さぞかし勇気がいることでしょう。過激派は、自分の信仰以外を認めようとはしません。自分たちの邪魔をしている、と思われたら、命を狙われる可能性だってあるのです」

 ここでカメラは男性だけを写した。僕は女性の命を心配した。

「さて、音楽ユニットCRYとして活動中の、ジョー・スミス氏はSYの教義統括者としても知られています。SYが絡んだ事件が起こるたびに、スミス氏への非難の声も大きくなってい」

 僕は両耳にイヤホンを嵌めた。

小部屋に入るとすぐ、ジョーがマスクを外した。汗をタオルで拭っている。靴下まで脱ぎだしそうな勢いだ。

「暑くてやってられん」

 2020年、世界は未曾有の流行病に怯えていた。感染症対策による人員削減ということで、スタジオには僕とジョーの二人だけが入った。他の人たちは、スタジオの外の別室で、透明の窓から僕らと通信をとっている。スピーカーからプロデューサーの声がした。始まりの合図だった。

「さあ、アルバムの準備に取り掛かろう」

 音楽も大人数で行うようになった。いろんな人の音が入ってきたからか、以前よりジョーと繋がりにくくなった気がする。

 壁の時計が14時を指した。ジョーは急に立ち上がって、僕らに背を向けて腰を折ってお辞儀をした。神への祈りだった。まだ慣れていない大人たちは、戸惑いと不安が混じった目でジョーの背中を見つめる。宇宙人を見ているみたいだ。僕はみんなの視線に構わず、ジョーに合わせて少しだけ頭を下げていた。

 休憩時間になり、自販機にジュースを買いに行く。マネージャーに言われて開設したインスタグラムには、数えきれないほどのハートマークが毎日送られてくる。正直、どうだってよかった。ジョーと一緒に10年間、音楽をしてきた。ジョーの曲に僕の声を乗せて、世界中に届けてきた。ありがたいことに、僕にはもったいないほどの愛情と生活をもらっている。これが、僕の人生。恵まれている。はずなのに、違和感が頭を擡げるのは何故なのか。

その時、ダイレクトメッセージの欄に新しい通知がきた。ふと気になって、メッセージの発信者の名を見た僕は、目を疑った。

「ノエミ?」

 そこにあったのは彼女の名前。胸が高鳴った。メッセージ欄をタップするまでの記憶はないに等しかった。喜びと緊張が、同時に押し寄せていた。

書かれていたのは、ありふれたものだった。「久しぶり、元気?」。笑みどころか、嬉し涙まで滲んできて、返信した。すると10秒も立たないまま返事が来た。向こうも今、画面越しに僕の言葉を見ていると思うと、胸の奥がざわついた。

『よかったら今夜、バーで会わない?』

 こんなことを言われた。どうすれば良いのだろう。ノエミと久しぶりに会うのはとても魅力的だ。でも、僕はもう自由に出歩けるような身ではない。そう思っていると新たなメッセージが届く。

『抜けだすの、手伝うからさ』

優等生だったノエミがそんな提案をするなんて思わなかった。結果、押しに押されて彼女と会うことになってしまった。

 夕方、僕は家を出た。サングラスとまぶかに被った帽子なんかで本当に、正体を誤魔化せているだろうか。初めてジョーに嘘をついた。そんな格好でどこに行くのかと言われ、ちょっと買い物と答えた。後ろめたい思いと同時に、仄暗い快さがあった。指定されたバーに着く。夜の闇の中、ざわめいた空気と白い蛍光灯に頭がくらくらする。しばらく待った。風がひやりとTシャツの隙間を通っていった。

「クラウディオ!」

ふと、蜜のような香りがした。その甘さにつられて振り向く。そこにいたのは、露出の多い格好の女性だった。女性は、僕の両手をがしっと掴んで、大きく揺さぶった。嵐のような激しさに、すっかり呆気に取られてしまった。

「久しぶり!元気にしてた? やだ、結構男前じゃん。好きになっちゃいそ」

腕をがっしりとホールドされたまま、連れられていく。ありとあらゆる大人たちが、夜の雰囲気にただずんでいた。席につく。スタッフが注文表を手に離れていくと、ノエミは穴が開くほど見つめてきた。彼女の金髪と瞳の色だけは変わっていなかった。サングラスを外したくなる。

「有名になったね」

彼女は、自分が有名人になったみたいにはにかんで、僕の髪をぐしゃぐしゃと乱した。鼓動が速くなることに気づかないふりをした。運ばれてきたのはビールと、アイスティーだった。彼女はビールをぐいとあおる。日に焼けていない、白い喉が見えて、思わず目を逸らした。

「あの、ノエミ、君って早生まれだったよね? まだ未成年じゃ……」

「こういう場所ではみんな大人なのよ、坊や(boy)」

 ノエミはご機嫌に笑って、ビールをつきだして「飲みな」と言った。受け取って、ジョッキに唇をつけた。失望させたくなかった。ジョッキは思ったよりずいぶん冷たかった。  


ノエミはいろんなことを質問した。ほとんどが音楽活動のことだった。普段は飲まない酒を飲んだからか、次第に僕の頬は燃えるように熱を持って、言葉が勝手に口から滑っていった。

「有名になったって、幸せとは限らないさ」

 変な間を感じて顔をあげると、彼女は黙って、心配そうに僕の目を見ていた。

「いいよ、話してみなよ」

 やっぱりノエミはノエミだった。

「時々、自分を人形みたいに感じるんだ。操られてて、中身はからっぽ。本当の僕なんて何一つ知らない人たちから、何十万もハートが送られてくる。きっとその人たちは、僕の弱さを認めない。許さない」

 言葉は止めようにも、止まらなくなっていた。

「結局のところ、僕は、ずっと、寂しいオウムなんだ。何もない。何も変わってない。誰も本当の僕なんかいらない。だって本当の僕は、こんなにつまらないんだ。ねえ、君もそう思うだろ……確かにジョーが作る曲はいい。でも、ジョーには神様がいる。僕じゃない……」

 視界が段々朧げになる。だけど気分はいい。全てを吐きだせる気がする……

 ビビッドピンクやイエローのネオンが街を照らしていた。理解できたのはそれだけだった。立っていられないほど頭の中がぼうっと熱くて、ノエミに支えられながら帰り道を歩いていた。家の前に着いた時、見慣れたシルエットに気づく。ジョーがいた。目が合う。怒っているようだ。

「お前、まさか酔ってるのか?」

ジョーはノエミをぎろりと睨んでから、僕の腕を力任せに掴む。

「お前は有名人なんだぞ! こんなところで騒ぎになったらどうするつもりだ! 責任を知れとあれほど言っただろうが! おい聞いてるのか! クライ!」

 気がつけば彼を振り払って叫んでいた。

「やめてくれっ」

 誰が発したのかわからないくらい悲痛な声だった。

「クライと呼ばないでくれ、僕を操るのも、僕の声を商品にするのも、もうやめてくれ!   

 こんな暮らし、もうたくさんだ!」

 この人に必要とされているのか。恐ろしくてどうしても聞けなかった。

「……ずっと聞きたかった。どうして僕を引き取った」

 鼓動が速くなる。緊張と恐怖が張り詰めて心臓を食い破りそうだ。沈黙は重苦しく僕らの間を流れていた。やがてジョーは何度か視線を左右に動かしてから、今晩の献立を話すみたいに自然に言ってのけた。

「神のお告げだったからさ」

 今までの僕の全てが、ぱ、と弾け飛んだ気がした。

言葉が僕の中身を粉々にして、ぐちゃぐちゃとかき混ぜたように感じられた。激しい怒りで目が眩む。

「……っ、また……!」

ノエミが僕の体を必死に抑えているということが、意識の端っこでなんとなく分かった。。

「また、神か! あんたはいつもそうだ! いつも、僕を」

 必要と言ってくれない。

「……こんなの、家族じゃ」

 いくら求めても選んでくれない。惨めだった。

いつの間にか、僕はノエミの家にいた。彼女の腕に抱かれてやっと、涙が出始めた。彼女はずっと、優しい指で髪を撫でてくれていた。

僕は歌うことをやめようと思った。彼女の家のクローゼットに貼り付けられた、

『叫びたいならロックをやれ』と書かれたポスターを見るまでは。


 

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