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3 アメリカ ニューヨーク
拾い上げた新聞のページに、SYという二文字があって、思わず文章を目で追う。
『2002年、テキサス州オースティンで、当時18歳だったアナスタージア・アマンさんが、宗教団体save yourselfを名乗る男に銃殺された。この事件をきっかけに、世界各地でSYを名乗る人物の犯罪行為が認められるようになった。本コラムではその本部、イタリアのオルヴィエートに住む人々に、世界情勢への不安を打ち明けてもらった。』
新聞をゴミ箱に捨てた。
ニューヨークは年初めの特殊な朗らかさに包まれていた。食卓のそばの窓から眺めると、宝石のような光が夜を彩っている。巨大な水色のビルの群れも、ここからだとひどくちっぽけに見える。
ことん、と僕の前に器が置かれる。最後の料理が出揃ったところで、ジョーも自分の席についた。僕らは向かいあって小さなテーブルの席についていた。今朝2018年版のカレンダーを壁にかけたばかりで、それは買いたての時と同じく艶めいている。何か新しいことが始まるような予感がした。
ジョーがワインの蓋をきゅ、ぽんと開けてグラスに注ぎ入れた。僕のグラスではシャンメリーがしゅわしゅわ音をたてている。
「Happy new year.」
僕らはグラスの縁を当てて口に含んだ。真冬だというのにひどくあたたかい室内だ。炭酸が喉を通って、スッとした。
Zanpone(ザンポーネ)の豚足は毎年見るけれどやっぱりグロテスクだ。ローストビーフの乗ったサラダにはチーズのドレッシングがかけられている。ステーキはジョーお好みのレアで、バスケットの中には山ほどのベーグルが積み重なっている。
僕らはカトラリーを手にして食事を始める。会話はない。
今日で2018年だから、もう8年も前のことだ。あの学内交流会がきっかけになってプロデューサーの目に留まった僕らは、『CRY』という名で、大手事務所からアルバムを出した。(名前に関して、僕は嫌だと抵抗したが、なぜかジョーが『CRY』をやけに気に入っていた)
曲はSNSをきっかけに出回り、拡散に拡散が重ねられて、光の速度で流行した。僕にとってはドラゴンに首を締められているように窮屈だった。ジョーは反対に、どんどん活気立って、元気になっていった。スタッフや他のアーティストに悪態を飛ばすほどだ。
僕らはニューヨークの豪邸に住み始めた。だがその家でのんびりする時間はさほど多くなかった。ライブツアーで全国を回っていたためだ。アメリカから、ヨーロッパを巡った後にアフリカに行き、アジアへ向かった。特に、日本は面白かった。ジョーは、日本のアニメのキャラクターがチャラついていると文句を言っていた。
どこに行っても歓迎された。みんなが握手をしたがるし、みんなが喋りたがる。それはとても嬉しくて、誇らしい。生活がみるみるうちに豪華に、豊かになっていく。食事も服も、インテリアも、あっという間に変わっていった。いつの間にか僕は、施設で食べたパサパサのピザの味を思い出せなくなった。
そういえば、以前郵便物に「お前の出自を知っているぞ」と書かれた手紙が混じっていたのは、気味が悪かった。僕が施設で育ったことを言いたかったのだろう。ジョーはその手紙をビリビリに引き裂いて僕に、「こちらで処理する」と言った。それから手紙は二度とこなかった。
一番大きなライブが行われたのはニューヨークだった。その日は確か4月で、カラッとした太陽と涼しさが肌に心地よかった。
ジョーの紡ぐ音楽は、バラードとジャズを内包している。時々ぴりりとするかと思えば、また緩やかに流れ出す。時間の魔術師だ。流しては止めて、僕らを翻弄する。彼のピアノの単音に声が、ピースとしてうまくはまると、心が、浮き上がってくる。あまりにも激しい衝動に、喉の奥がずきんとするぐらいだ。楽しくて嬉しくて、必要と言われている気になる。危ういほどにやめられない。
僕にとって、音楽はジョーと交信する手段になっていた。歌うほど、ジョーのハモリが快く被さるようになって、ライブに立てば立つほど、ジョーが僕を見る目も、優しくなっていくように思えた。本当の家族に、近づいている気がする。どうしてジョーとしかアルバムを出さないのかと質問される。みんなジョーをよく思っていないようだ。しかしそれは、みんなが彼の本当の心を知らないからだと思う。
数週間ほど前のとある朝、テーブルから拾い上げた記事を、手に取って読んでいた。黄色いマーカーが何重にも引かれていた。
『この事件に関しても、SYの関与が疑われるとされ、警察は直ちに周囲への取り調べを行う予定である』
ジョーはどうして神様なんかを信じるのだろう。彼は今も、部屋の一つに礼拝室を作って毎日2回、多い時は3、4回その中で籠っている。時々奇声が聞こえる。
ジョーは、いもしない神様に縋って救われることを望んでいるように見える。なんだかいつも強気な彼が、神様にだけ弱さをひけらかしているみたいでいい気分にならないんだ。神様なんていないんだと気づいた日まで、僕は施設の中の礼拝室で毎日何時間もお祈りをしていた。ママとパパに会わせてくださいと。
「……うまいか、それ」
Zanponeを口の中で転がしていると問われた。いろんなことを思いだしていたので、意識をジョーに向けるのに数秒かかった。
「おいしいよ」
決してこのイタリア料理を口にはしないジョーに、少しの寂しさを感じていた。
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