第2話

「そっちに行ったぞ!」


「分かってるッ」


 兄貴の指示に合わせて走る。

 ちょうど曲がり角から出てきたスーツ姿の男を撃った。

 弾は男の片脚を貫く。


 男は悲鳴を上げて転倒した。


「ぎゃっ」


 俺は素早く近付くと、男の落とした銃を蹴飛ばした。

 床を滑った銃は数メートル先で止まる。

 咄嗟に手を伸ばしても届かない距離だ。


 しかし、まだ何か隠し持っているかもしれない。

 さっさと仕留めるに限る。

 男は涙を流して命乞いをした。


「た、助けてくれ……」


「駄目だ。失敗したら俺達が殺されちまう」


 俺は淡々と答えながら発砲する。

 まずは胸に二発。

 次に眉間を狙って一発。

 それきり男は動かなくなった。


 銃を降ろした俺は、駆け付けた兄貴に笑いかける。


「頭に一発。兄貴から教わったことは忘れないぜ」


「さすがはユアンだ」


 兄貴は肩に手を置いて褒めてくれる。

 俺はますます得意げな顔になった。


 それから早足で進み、マナの様子を見に行く。

 十歳になったマナは路地裏に屈んでいた。

 手袋をつけて物陰でじっとしている。


「マナ。そっちは大丈夫か?」


「う、うん。ちゃんと罠にかかったみたい」


 こくりと頷いたマナは、路地の向こうを指差す。


 そこには血の海に溺れる死体がいくつか転がっていた。

 全身のあちこちに裂傷ができており、そこから血が流れ出している。

 彼らの倒れる場所には何本ものワイヤーが張ってあった。

 今は血で染まってラインが見えるが、普段はよほど注意していないと分からないだろう。


 男達はワイヤーに突っ込んで負傷したのだった。

 俺達を追いかけてきた結果、マナの設置した罠にかかったのである。


 まだ幼いマナだが、こうした戦い方はできるようになった。

 当然ながら伝授したのは俺と兄貴だ。

 生きるために必要だから教えたのだった。


 俺は笑顔で妹の頭を撫でる。


「よしよし、マナは優秀だな」


「えへへ……ありがとう」


 マナは控え気味に微笑んだ。

 そこからさらに褒めようとしたところ、後ろから兄貴が釘を刺してくる。


「殺しの技能は誇るものじゃないぞ」


「うっ……」


 俺はばつの悪い顔で呻く。

 いつも指摘されることだった。すっかり忘れていた。

 そのことで説教が始まるかと思いきや、兄貴は満足そうに言葉を続ける。


「でも仕事ぶりは上出来だった。さすがは自慢の弟だ」


「へへっ、どんなもんだい」


「すぐ調子に乗る癖を治せたら完璧だな、まったく」


 苦笑する兄貴がため息を洩らす。

 なんだかんだで優しいところが好きだ。

 俺の気持ちを汲んで言葉を選んでくれている。


 その後、俺達は路地を抜けて通りを移動する。

 殺しの後始末はしていない。

 この街ではああいった光景が日常なのだ。

 目撃者がいなければ捕まることもない。


 三人で歩く中、俺は腹を撫でて呟く。


「今回の報酬で何が食べられるかな」


「まずは武器の補充が先だ。装備を整えないと次の依頼を受けられない」


「うーん、確かに兄貴の言う通りか」


 美味い物を食べたいが、仕事ができないとさらに貧しくなってしまう。

 俺は隣をついてくるマナに謝る。


「ごめんな。ご馳走はもう少し我慢してくれ」


「大丈夫……私、お腹減ってないから」


 マナは儚い笑みで答える。

 その時、マナの腹が小さく鳴った。

 言葉で誤魔化せても、身体は空腹を主張しているのだ。


 慌てるマナは、しどろもどろになって弁明しようとする。


「えっと、これは、その……」


「分かった。すぐに何か買うぞ」


 俺はマナの手を引いて屋台へと歩き出す。

 すぐに兄貴が引き止めてきた。


「ユアン」


「パンをいくつか買うだけだ。大した出費じゃない」


「…………」


 兄貴は微妙な顔で黙り込む。

 なるべく節約したい一方で、腹を空かせたマナを無視できないのだろう。


 結局、兄貴がはっきりと反対することはなく、俺達は屋台でパンを一つずつ買った。

 近くの噴水広場のベンチに並んで座る。

 石のように硬いそれを、歯で削りながら咀嚼した。

 盗まれるかもしれないので、なるべく急いで食べ進める。


 いち早く完食した俺は空を仰ぐ。


「なあ、兄貴」


「どうした」


「俺達、いつか殺し屋を引退できるかな」


 それは何年も前から抱いていた疑問と不安だった。

 横を向くと、兄貴が辛そうな顔をしている。


「殺しが嫌になったか?」


「違うけど、気になったんだ。これだけ手を汚した俺達が、自由になれる日が来るのかなぁってさ」


 俺はポケットと上着の表面に指を這わせる。

 隠し持った銃とナイフの感触があった。

 これがないと街を出歩くことすら難しい。

 長年に渡って殺し屋をやってきた俺達は、あちこちの組織から恨みを買っていた。


 兄貴はしばらく無言だった。

 何かを言いかけては止めるのを繰り返す。

 やがて兄貴は、地面を睨みながら言い聞かせるように述べる。


「……いつかこの腐った街を出ていく。そのために俺達は殺し屋を続けているんだ。金さえあれば引退できる」


「三年前も同じことを言ってたよな」


「目標が変わっていない証拠だ」


 兄貴の視線が揺らぐ。

 俺達の前だから気丈に振る舞っているが、本心では不安が強いのだと思う。

 それを見せようとしない姿に感謝した。


 咳払いをした兄貴は、毅然とした態度で宣言する。


「三人で頑張るぞ。俺がお前を守る。だからお前はマナを――」


 言葉の途中、兄貴の頭部が弾けた。

 血と脳味噌と骨が一緒になって地面に飛び散る。

 そこに食べかけのパンが転がり落ちた。


 兄貴の身体が傾いて、ゆっくりと倒れる。

 頭に穴が開いて欠けていた。

 虚ろな顔はもうどこも見ていない。


「え……?」


 俺は呆然とする。

 あまりにも突然のことで頭が回らなかった。

 咄嗟に周囲を見回すも、銃を持った人間はいない。


 狙撃だ。

 兄貴は遠距離から頭を撃ち抜かれたのだった。

 その惨たらしい光景に既視感を覚える。


(前にこんな出来事があったような気がする)


 脳裏に疑問が浮かぶも、今はそれどころではない。

 俺は兄貴の様子を改めて観察する。


 もう手遅れだ。

 完全に死んでいた。

 頭に一発。

 それで人間の命は無くなるのだ。

 兄貴からの教えはよく憶えていた。


 ここで取るべき行動は、兄貴の死を悼むことではない。

 俺はマナの手を掴んで走り出した。


「くそ、追っ手か! すぐに逃げるぞ!」


「うんっ」


 俺とマナは街中をひたすら走る。

 どこにいるか分からない狙撃手の目から逃れるため、とにかく動き続けた。

 動きづらい雑踏を避けて路地を突き進んでいく。


(兄貴が殺された! 俺達はやりすぎたんだ)


 後悔しても遅い。

 今まで数え切れないほどの人間を殺してきた。

 そのツケがとうとうやってきたのである。

 後ろ盾を持たない俺達は、あまりにも無防備だった。

 厄介な存在だと思われた時点で、狩られる側になってしまうのだ。


 前方の物陰から殺気を感じる。

 その直後、銃を持った数人の男が飛び出した。

 彼らは今にも発砲しようとしている。

 位置的にそれは不味い。


 俺は反射的に妹を突き飛ばして庇った。


「マナ、危ないっ」


 銃声と共に無数の痛みが背中に刺さる。

 撃たれた。

 耐え切れず膝をつくも、気合で銃を抜いて反撃する。


 数発の弾が男達に命中した。

 殺せたかは分からないが、彼らは倒れている。

 頭に一発……いや、そんな余裕はない。


 俺は咳き込みながら立ち上がった。

 全身から血が流れている。

 重傷というか致命傷だろう。

 呼吸をするのも苦しい。


 マナが泣きそうな顔で見上げてきた。


「お兄ちゃんっ」


「だ、大丈夫だ。早く、隠れるぞ……」


 俺は吐血しながらもマナを引っ張って進む。

 視界が霞んで身体に力が入らない。

 それでもマナのために死力を振り絞った。


 その後、俺達は廃工場に忍び込む。

 壁を背に座った俺は、懐に仕舞っておいた金と銃をマナに押し付けた。


「いいか、マナ。こいつを持って……一人で逃げろ。俺が囮になる。追っ手は、絶対に行かせない」


 俺は震える手で予備の銃とナイフを手に取った。

 歯を食い縛って立ち上がり、無理やり笑顔を作る。

 涙を浮かべるマナが抱き付いてきた。


「お兄ちゃん」


「はは、泣くなよ……兄ちゃんは、すぐに追い付くからな。街を出て、逃げ続けるんだぞ……」


 嘘だ。

 俺はここで死ぬ。

 もう助かる傷でないのは分かっていた。

 きっとマナも分かっているだろう。

 まだ幼いけど賢い子だ。


 俺はマナの頬を流れる涙を指ですくうと、励ましの言葉を送った。


「きっといつか、幸せを掴めるから……諦めないで、頑張るんだ」


「……うん!」


 マナは涙を拭って頷いた。

 後からどんどん涙が溢れてくるが、気にせず笑顔を見せる。


「お兄ちゃん、ごめんね。ありがとう」


 そう言ってマナは走り去っていく。

 一度だけこちらを振り向いたが、足を止めることはなかった。

 俺は安堵の息を吐く。


(兄貴との約束、守れたかな……)


 そんなことを考えていると、視界の端に誰かが映る。

 兄貴が立っていた。

 傷一つない兄貴は、穏やかな表情で俺の頭を撫でる。


「よくやったぞ、ユアン。お前は自慢の弟だ」


「あに、き……」


 俺は掠れた声を発した。

 兄貴に褒められている。

 その事実を嬉しく思うと同時に、ありえないことだと分かっていた。


 兄貴は狙撃されて死んだ。

 死体は噴水広場に倒れている。

 だから、ここにいるのはおかしいのだ。


(俺は、兄貴の幻を見ているのか?)


 困惑する間に足音が近付いてくる。

 追っ手だ。

 奴らを止めないとマナが殺される。

 俺はふらつきながらも銃を構えて、追っ手を待ち構えた。

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