第12話 アーカサス辺境伯爵家⑫

 エバンに案内され地下に入ると、得も言われぬ不快感が襲ってくる。体感できるほど増していく倦怠感に襲われ、それに加えて息苦しさも増していく。みんなに合わせて、先へ進んで行くにつれて症状が重くなっていく。同行するメンバーの様子は、まちまちで、俺の両脇で移動するルーシィアとメナは、少し顔を歪める程度で俺よりも軽度のようだ。エバンに至っては、意に介すこともなく先行する。


(彼らはこういう経験があるってことなんだな。そういえば『瘴気には慣れが必要』と、聞いたことがある。耐性の無い人が強烈な瘴気に当てられると死に至るとか……)


 片方の戸の開いた倉庫の両扉をくぐり、目的の場所に着いたようだ。地下に入ってからそれほど移動していないが、どんどん濃くなっていく瘴気に頭痛に見舞われ、肩で息をしていて冷や汗まで流している。思わす、体勢を崩して剣を落としてしまう。


「ランド様、大丈夫ですか?」


 ルーシィアが咄嗟に身体を支えてくれて、メナは剣を両手で拾い上げた。


「お顔が真っ青です。戻りましょう!」


「いや、もう少しだけ……」


 その場を脳裏に焼き付けるように、必死に目を見開いて観察しようとする。しかし、荒い呼吸によって視界が上下し、襲い来る体の不調がそれを妨げる。それでも、ルーシィアから離れてよろつきながらも自立して現場を見渡す。


 倉庫の中には保管されている物資が山積みになっている。振動の原因になったのは、奥の壁なのだろう。そこには壁材に使われていた大きめの石が、倉庫内の床に散らばっていた。確かに崩れた箇所には、アルスの報告通り坑道のような穴が奥へと続いている。その坑道を見ていると錯覚なのだろうか、なにか不気味で冷ややかな空気のようなものが、こちら側へと流れ出てきているように感じる。


「ランド様、そろそろよろしいでしょうか?一度、自室にてお休みください」


 様子を伺っていたエバンが、体調を憂慮してくれてルーシィアとメナにアイサインを送る。


(これ以上は、見ることもないか……。皆に心配させるだけだし、正直、もう、しんどい……)


 立っていられなくなった俺は、バランスを崩し転倒する。バッタリ地に伏せるものと思っていたが、誰かに支えられたあと、遠退く意識のなかで周囲が騒がしくバタついていたのが最後の記憶だった。




「んはぁ!ガハッ、ゲホ!ゲホッ」


 溺れた人が気が付いた時のような感覚だろうか、気管に何か詰まったような苦しさだった。ガバッ!と起き上がり、肺に溜まった空気を出し尽くすかのように咳き込む。


「落ち着いて!落ち着いてください。ゆっくり、呼吸してください」


 隣にはやさしく背中をさすってくれるルーシィアがいた。呼吸ができないほどせ返る。しばらくして、少しずつ呼吸が落ち着きを取り戻してきた。


「落ち着かれましたら、こちらのお水を少しずつお飲みください」


 反対側にはメナがいて、カップに注がれた水を差しだしてくる。そのカップを受け取り、ゆっくり水を口に含んでから飲み込んでいく。まだ、頭が少し痺れている感覚が残っているが、侍女たちのおかげでだいぶ落ち着いた。


「ありがとう、二人とも……。それで、これはどういう状況だ?」


 ここは寝室で灯りの魔法で調光され少し薄暗い。ベッドの上にいて、両隣に介抱してくれている侍女たちも、この広いベッドの上にいる。しかも、俺は全裸で横たわり、介抱してくれたルーシィアも、水をくれたメナも全裸だ。


「はい、ランド様がお倒れになった後、ルーシィアさんが背負ってお部屋にお連れしました」


「そうだったか、ありがとう。ルーシィア。……それでだ、なんで、みんな裸なのだ?」


「それは、お部屋への移動中に、ルーシィアさんの背中でお戻しになられて……」


「メナ!ランド様の名誉が……」


「いや、いい、そのまま続けてくれ、メナ」


 話の途中で制止するルーシィアを、さらに、静止して話を続けさせる。


「えっと、ルーシィアさんの背中でお戻しになられて」


「そこは、繰り返さなくていい」


「あ、そうですね。それで、ランド様もお汚れになられたので、浴場にてお体を拭かせていただき、ベッドにお寝かせした次第です。そのまま、交互に看護していましたが、本日のお役目が終わったので就寝させていただきました」


「そうだったのか……。まずは、ルーシィア、汚物をかけてしまって申し訳ない」


「いえ、侍女に対しそのような謝罪は不要です」


「主従の間であっても、身内のみの場では謝らせてほしい」


「身内などと……、お気遣いくださり、ありがとうございます」


「それと、メナ。きちんと教えてくれてありがとう」


「はい、お役に立てたのであれば嬉しいです」


「ふぅ、いま、夜中の何分目くらいだろう……」


 まだ、本調子でないのだろう、気怠さが残っていて後ろに倒れてベッドに身を投げ出す。


「おそらく、七分目の手前くらいかと思います」


「そうか……」


 会話が途切れ、両隣にいる彼女たちも横になり、上掛けを掛けてくれる。彼女たちは両側から迫ってくると、左右の腕にそれぞれが腕を絡ませて胸を押し当ててくる。メナ側の上掛けが少し浮くと、灯りがスゥっとうす暗くなった。それが終わると、あらためてメナがくっついてくる。


 両側から当たるそれぞれ違う柔らかい感触に、どうしても興奮と動揺をしてしまう。先日と同様に、理性を総動員して堪える。


「しょ……瘴気に耐えられないなんて情けないよな」


 必死に話題を替えようと、自虐的発言をする。


「入口付近であの瘴気の濃さは、私たちでも経験ありません。瘴気に慣れてる私たちでさえもきつめでした」


「そうですよ、管理探索していた魔窟では、地下二階層の奥でもあれほどではないです」


 気休めなんだろうが、左右からそれぞれの経験からくる発言で慰めてくれる。


「だけど、魔窟探索の経験はないが、ゴブリンの集落討伐に参加したときに、瘴気は体感しているんだ」


「集落と魔窟とでは、瘴気の濃度が違いますから……。ひらけた場所では拡散しますが、魔窟のようなトンネル状であると、内部から一方向に流れてきます」


「それが、瘴気の特徴なのか?」


「はい、瘴気の発生源に近づくほど、濃度が高くなると聞いています。瘴気によって発生する魔物は、必ず魔石を有しているとされていて、瘴気と魔石の関係を調査している人もいるようです」


「瘴気に慣れるためにはどうすればいい?」


「単純な方法としては、瘴気に身をさらすことでしょうか……。薄い瘴気の場所で訓練や探索をして徐々に慣らしていくのが一般的です。他には『魔石を砕いた粉を服用する』など、というのを聞いたことがありますが眉唾です。それをしている人を見たことがありません」


 知識的な会話においては、やはりメナが得意なようで、聞いた分だけ知っていることを教えてくれる。


「俺もこの都市の管理魔窟を探索すれば耐性がつくかな?」


「そうだとは思いますが、せっかく、お屋敷内にあるのですから、地下の入口あたりで慣らしていくのはいかがでしょう」


「それもそうだな……。慣れたら俺たちであの魔窟を探索するのもありかもな。でも、当面、あの魔窟をどう管理したものか……」


 何気なく懸念事項をつぶやいた俺の言葉にルーシィアが食いつく。


「もし、よろしければ、私たちが脱退したチームメンバーを、地下の魔窟の監視として雇ってもらえないでしょうか?……私のわがままでメナまで離脱させてしまって、思い通りの探索ができていないかもしれないので……」


「うん、それはいいかもしれないな。探索せずとも監視するのに人材が必要だろうし、この屋敷の使用人に当面は対応してもらうとしても、彼らも従来の職務があるだろうからな。明日の朝食時にエバンに提案してみよう」


「ありがとうございます」


「……」、「……」、「……」


 また、会話が途切れ、沈黙が始まる。だが、左右からは小さく衣擦れの音がして、より近くに接近してくる。意識しないようにしているが、横になる前から独立勢力は主張をし始めており、今や非常にもどかしいありさまとなっている。


「……さま……、ランドさま、今夜もお情けはいただけないのでしょうか……」


「だめですよ、メナ。ランド様のお加減が……」


 小さな声でのメナが囁きに対し、ルーシィアが俺の体調を心配してたしなめた。二人のやり取りとは裏腹に、超絶元気な独立勢力の攻勢に耐えながらも、冷静を保ちつつ、今の自身の考えを天井を見ながら話し始めた。


「んふぅ~~、正直、魅力的な君たちに、男として対応したい気持ちでいっぱいだ。今だって、そういった衝動に向かいそうな自分がいるんだ」


 天井を見つめながらも両側の彼女たちは、俺を見ているのではなかと己惚うぬぼれつつ身を固めている。


「でも、明日の葬儀が終わるまでは、この部屋も、館も、都市も、領地も、領民も、俺の物でなければ庇護対象でもないと思っているんだ。まだ、領主ではなく移行期間で、借り物だと思っているんだ。そんな貴重な借り物を好き勝手にしたり、壊したりしたくない。でも、魔窟の出現で壊されてしまった。それに、瘴気で自分の不甲斐なさを身をもって感じた。それらに対応しなければならない」


 とりとめのない話をしてしまったが、彼女たちには思いつめたような話をしたように感じたのかもしれない、巻き付いたルーシィアの腕の力が少し強くなって、触れている一帯の体温が上がったように感じる。


「お支えいたします。常に近くでお仕えします。どんな所にもお供いたします。必ず、お連れください」


 決意を感じる言葉だった。身体が両側から固定されているので、首を捻ってルーシィアを流し見ると、キリッとした眼差しで見つめていた。


「ぜひ、お願いしたいね。ついて来てくれるかい?」


「ハイ!」


 嬉しそうに答えるルーシィアに微笑みかける。すると、反対側からクイクイ引っ張られて、そちらを向くとメナが上目遣いで見ている。


「わ……私も頑張ります!私も連れて行ってください」


「ああ、メナにも期待している」


 メナにも微笑むと、屈託のない笑顔で答えてくれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る