第9話 アーカサス辺境伯爵家⑨

「素晴らしい方なのだな……ソニア様は。俺は腰抜けだな、そのような方と会うのに気後れしていたとは……」


「いえ、全面的に私どもの配慮が足りておりませんでした。ソニア様の人柄をお伝えせず、また、主の御心を察することもできず、政務関連のことしかお知らせしておりませんでした。」


 昨日からの慌ただしく過ぎた短い時間では、伝えられることが限られてしまう。当主になるからには、この家を取り巻く事情を優先して伝えられることは自然といえよう。よって、個人的な内容については欠如しがちで、よくしてくれるエバンのことについても、先ほど少しだけ知ったばかりだ。


「そういう観点から、これからお会いになるソニア奥様の侍女についてお話いたしましょう。彼女の名前はラナ=オムルといいます。ソニア奥様が当家にお越しになられる前から、侍女を務めていたと聞いております。私の印象では聡明な方なのですが、それを上回る過保護な方で、単身で当家に入られた奥様を守ることを使命とされているようです」


「なるほどな。皇国には臣従しているとは言え、我々が脅威の目で見られているのは事実のようだからな……」


 俺の言葉を止めるようにドアがノックされて開かれる。アルスが入室して「失礼いたします。オムル様をお連れいたしました」と言うと、姿勢のいい初老の女性が入室して俺の近くに歩み寄ってくる。


 俺は彼女を迎えるために席を立つ。


 彼女は俺の顔を見ると、ハッ!とした表情を見せたが、すぐに正して挨拶を始める。


「お召しにより、参上いたしました。お初にお目にかかります。ソニア奥様の侍女を務めております。ラナ=オムルと申します」


 ラナはゆっくりとしているが、少し強めの口調で挨拶をしてきた。


「お忙しい中、お呼び立てして申し訳ない。よく、お越しくださった。しばらく、貴女あなたとお話しさせてほしい」


 そう言いながら、俺は正面の席に座るように促す。彼女がそれに従って腰を下ろすのを見てから俺も座る。ちょうどいいタイミングで、メナが茶と菓子を提供してくれた。メナと目が合ったので、”ありがとう。メナ”の意を込めて笑顔で感謝する。


「どうぞ、遠慮なく召し上がってください」


 ラナに茶と菓子勧めた上で、俺は先に茶を少しすすってから話を始める。


「御足労いただいたのは……。言葉を飾っても仕方ないので正直に言おう、知っての通り、このあとソニア様と接見する予定になっている」


「伺っております」


 ソニアは、依然として身構えた様子で短く、早く答えた。


「情けない話だが……、どう接していいのか分からず、気後れしてしまって、な。少しでもソニア様のことが知れれば、接し方の糸口がつかめるかと思って、お呼び立てした次第だ」


 さっきまでの毅然とした話し方でない、弱気で言いづらそうに話す様と話した内容を聞いて、ソニアは目を丸くする。


「左様でございますか…。てっきり、奥様に公爵家へ退去をお命じになられるものかと思っておりました」


「えっ、どういうこと…だ?」


 俺は、ソニアの言っていることが分からず聞き返す。


「旦那様がお亡くなりになり、アラン様も…。奥様の当家での役目が無くなってしまいました。それに、ご心痛が極に達し憔悴しきっておられます」


「いや、そのような話は一切出ていない。あなたも含めて早とちりしないようにしてほしい」


「……承知いたしました」


 安堵なのか、依然として不安で警戒しているか、どっちともつかない表情のラナに対して本題について、再度、尋ねる。


「そうでなくてだな、ソニア様のことなのだが…」


「あ、ええ、そうでございました。奥様は大変お優しく、慈愛に満ちたお方です。ご家族や私たち使用人などにも分け隔てなく接してくださいます。ランド様の御母上であられるニナ奥様とも姉妹のようでございました」


 自分の主人を称える常套句のようにも感じるが、警戒を解いた様子の彼女は、穏やかに過去を振り返るように話してくる。その内容は、エバンの言葉と合致する。


「そうか、この家を円満に導いてくれていたようだな。だが、ここ数日で一変した。いまの状況に、多大なご心痛をお受けしていると聞いている。いまのご様子はいかがかな?」


「はい…、一時は取り乱しておられましたが、今は落ち着かれております。でも、生気が失われているかのようで、あの時以来、お食事もお取りになられておりません………」


 先ほどの穏やかな彼女の表情が一変して曇る。


「それは、お可哀そうに…、私でお力になれることはないか?」


「ぜひ、奥様とお会いください。ランド様のお姿を見れば、元気になられるかもしれません」


 すがるような表情を見せてくる。その変化に”どういうことだ?”と、思いながら俺は、周囲に控える者たちの顔を見る。


「ソニア奥様に接見していただけますよう、重ねてお願いいたします」


 エバンがさらに勧めてくる。


「…あぁ、わかった。お会いしよう。ソニア様の元へ案内していただけるか?ラナ殿」


「はい、喜んで、早速、参りましょう」




 ラナの導きで屋敷内を移動していく。あの部屋であろうか、先に見える扉の前には二名の使用人が立っていた。我々がそこに到達すると使用人は、礼を取って扉を開く。我々はそのまま入室していく。


「奥様、ランド様がお越しくださいました」


 ラナが紹介してくれるが、その声を聞いていないかのように長椅子に座り続ける婦人がいた。この方がソニアなのだろう、聞いていたとおりの気品を感じる。


 うつむいたままの状態なのだが、少しやつれているのが見て取れる。周囲の使用人たちは、反応を見せない女主人を心配そうに見守っている。


 俺は皆の心配を意に返さず、彼女の前に歩み寄り互いの膝がぶつかる程度まで近づいた。眼下に彼女の頭頂部が見える位置で膝まずく。そして、顔を上げると、今度は下から見上げる形となって彼女の顔を覗き込む形となる。


 普通であれば大変失礼な行為だろう。だが、自失状態の人物に対しては、これくらいのインパクトが必要かと思い、叱責覚悟で意を決して行ったことだ。


 彼女の顔をしっかり見据えていると、ゆっくりと彼女の瞳の焦点があっていくのを感じる。


 ソニアは、「アッ」と小さく声を漏らし、俺をまじまじと見つめる。


「ソニア様、御無礼をお許しください。初めてお目にかかります。私は末子のランドでございます。今回の事変により、昨日、修道院より帰参いたしました」


 俺が名を名乗ったあたりから、彼女の瞳が潤みだして「ア、アァ…」と、更に声を漏らす。両手を伸ばしてきて俺の顔を触り出す。しばらく、されるがままになっていると、ハッと気づいたような表情をする。


「アッ、えっ……え?旦那様……で、ない?」


「はい、四男のランドにございます」


「四男……ランド?……あぁ、ニナの……」


 俺の顔から手を離すと、自分の膝の上に引っ込める。俺の顔を見ているが、少し混乱したような表情をしている。


「そうです。ニナの子です。昨日、修道院より戻ってまいりました」


 もう一度、同じ言葉を繰り返し、彼女の理解を促す。しかし、しばらく、お互いが言葉を発することがなかった。俺を見つめていた彼女の瞳が、あらぬ方へと動こうとした刹那に俺は語り始める。


「母上のご心痛は計り知れないものと存じます。……あなたと私は……、我が父ダルン、我が生母ニナ、兄ニールとアランという大切な家族を失ってしまいました。昨日、ご遺体と対面した折に、修道院で習得した神への祈りを父上たちに捧げました。しかし、邪な死霊や呪術などに蝕まれないとも限りません。明日、葬儀を執り行うことになっております。……ご無理を承知でお願い申し上げます……。故人たちの魂を安んじる為に、母上も葬儀にご出席くださいますよう……」


 話を始めると俺の顔に視線を戻し、次第に内容を理解して頷くように顔を小刻みに震わせていて、彼女の両手は、膝から離れていつの間にかランドの両肩に触れていた。


「今の母上のご様子では、父上たちも心配されるでしょう……。少しでも良いので、お食事をお取りになってください」


 話が終わると、ソニアの目に溜まった涙が頬をつたう。彼女はランドの両肩から手を離し、彼女の膝に置いてあった上等なハンカチで涙を押し当てるように拭いた。


 俺がスクッと立ち上がると、つられてなのか俯いていたソニアの顔が上を向く。


 そのまま、一歩後ろ下がるとソニアの全身が視界に入り、そこでお辞儀をしながら退室の挨拶を述べる。


「本日は、これにて失礼いたします。失礼かと思いますが、明日の三分目頃にお迎えに参ります。願わくば、笑顔でお出迎えいただければ、嬉しく思います。……それでは、失礼いたします」


 そう言って、振り向くとラナが「ありがとうございます」と、涙ぐみながら礼を言う。それに対して「こちらこそ礼を言う。ありがとう」と、感謝を述べて部屋を出た。

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