第8話 アーカサス辺境伯爵家⑧
政務と言っても、何をしていいのか分からない。
執務室の机に座ると、エバンとアルスの補佐を受け、父が亡くなってから滞っていた書類に、内容を理解するように努力しつつ押印していく。もっとも、押印する書類自体は、大臣のモズレーが細部まで確認したもので、信用できるものであると説明を受けている。
書類の捺印作業の後は、このメンバーにモズレーとレストンを加えて、葬儀に向けた進捗の報告と諸事の詳細計画を行い。次いで、皇国に対して俺が辺境伯爵家継承に至った経緯と、継承許可についての書状をしたためる。
ただ単に、継承というわけにはいかないらしい。そもそも辺境伯爵なる地位は、皇国から爵命された称号なので、当然のこと継承にしてもお伺いを立てる必要が生じる。現状、葬儀があり、服喪期間があるので、喪が明けたのちに正式に拝謁させていただきたい旨と、その間の政務を継承権利保持者のランド=アーカサスが代行する、との内容も記述している。
……そして、今日、俺自身が、一番の事柄と身構えている父の正妻との接見となる。
実際、父の正妻と言っても俺と血縁が無い。その人を母と呼ぶべきなのか、呼んでも良いものなのかも分からない。実母と同様に今までの俺には記憶にすらなく、おそらく、まばたきほどの時間すら、共有したことがないのではないだろうか、とも思っている。
しかも、いまは錯乱状態だと聞かされている。きちんと言葉を交わせるのかも自信がなく、語り掛ける言葉も思いつかない。ただただ、気が重く、気乗りしない、義務としての接見となってしまうだろう。
その時間が迫っているので執事たちが移動を促してくるが、身体も心も反応しない。机に両肘をついて軽く両手を合わせてそこに唇を押し付け、何かのきっかけを得るべく考え込む。
「ランド様……」
アルスが再び行動を促してくるが、俺の様子を見ての判断なのだろうか、エバンがそれを制止する。
「よろしければ、いま、お考えになられていることをお聞かせ願いますでしょうか?」
エバンの問いかけに俺は、少し間を開けてからつぶやくように言う。
「独り言と思って聞いてほしい……。前提として、俺にとっては、昨日まで居た修道院での生活が全てだ。幼い頃のこの屋敷での記憶が全くないんだ。父も、母も、兄達も、この屋敷も、領地もだ。いかに、父の正妻と言えど、どうすれば……その……何を話せばいいのか……。俺自身が心と身体を動かすきっかけを探している」
「主のお気持ちをお察し出来ず、申し訳ございません」
「いや、俺の心が弱いせいだと思う。儀式だと割り切ればいいんだろうけど……」
「そんなことはございません。配慮が足りておりませんでした。それでは、ご本人とお会いになる前に、奥様の侍女とお話しされてみてはいかがでしょうか?」
(その提案によって生じる結果が、いい方向に向かうかもしれない。このまま、動けないでいるよりいいかもしれない。)
「フム……。そうだなぁ……うん、そうだな!よろしく頼む」
「承知いたしました。アルス、ラナ殿をお連れしてください」
「ハイ、行ってまいります」
アルスが退出すると、「こちらへどうぞ」と、同室に設置されている応接用のテーブルとソファーにエスコートしてくれる。その後、隣室に声をかけ何やら指示をしてから戻ってくる。エバンに「何から何まで、すまないな」と、ねぎらうと「お気になさらず」と、短く笑顔で答えてくれる。
エバンは、エルフ系にしてはあまりパッとしない風貌である。先の尖った耳をしているが、顔や体格はヒュームそのものに見える。この際だ、少し聞いてみるのもいいだろう。
「そういえば、エバンのことを何も知らないな。当家に仕えることになった経緯は?」
「私は、この様な容姿ですが純粋なエルフです。この風貌からよく第五世代のハーフエルフと間違われます。元はこの伯爵家の初代であられるカイア様たちと共に冒険者をしておりました」
「ほう、そんなに…って、初代からか!」
「はい、当時、皇国が誕生した頃でした。西の都市スネアから東に広がり、現在の首都カルスに統治機構が移りました。その際、神官家という神の眷属の一族の長が教皇と呼ばれるようになり皇国が成立しました。首都市スネアから東へ開拓してきた最前線の首都カルス以東は、まだまだ、魔物が多い未開の地でした。私たちはカイア様をリーダーとして冒険でこの地を巡り、地域探索やダンジョン踏破などの功績で叙勲されました。その頃からお仕えしております」
「同じ冒険仲間に仕えたってことなのか?エルフは誇り高く他者に仕えないと、聞いたことがあるが…」
「はい、それには事情がありまして、カイア様の妻となったのが私の姉リファーネで、私と七十歳差のハーフエルフでした。ハーフエルフである姉は、掟によりエルフの里に入れないので、人伝えで聞かされる姉の冒険話が、私にとって唯一の楽しみで憧れでした。私が三十歳を過ぎた頃、姉を探す旅に出ましたが、会ったこともない姉に名前と、ハーフエルフであることを頼りに探すのは大変でした。それでも、数年後に姉を見つけ、カイア様を含めたパーティーに合流し一緒に冒険をするようになりました。……っと、申し訳ありません。老人は話が長くていけませんな。私がお仕えしている理由はいくつかございますが、カイア様と姉の血統を見守るというのが根源になっています」
「そうだったのか。そうなると、俺もその対象ということになるのだな」
「左様でございます」
「とても興味深い話だった。今後もいろいろ聞かせてほしい」
「機会がありましたら、いつでもお話しさせていただきます」
「話は変わるが、エバンの知るソニア様について聞かせてもらえるか?」
エバンは、「私の知るソニア奥様は・・・」と、父の正妻について語り出した。
ソニア=ユルン=アーカサスが彼女の名前だ。皇国のユルン公爵家の娘で、アーカサス辺境伯爵である父ダルンとは政略結婚だった。元々、現公爵の領する都市ユルンは、アーカサス辺境伯領だった。正確には、東部開拓のための拠点として皇国から与えられた邑だった。他の辺境伯が開拓事業に苦戦する中、アーカサス辺境伯だけが広域開拓を成功させていた。
都市ユルンも時代と共に邑から城邑、そして城塞都市となっていく。周辺の開拓が成功した拠点も邑となりユルンとの交易で発展する。さらに、南方の山脈から流れる河の水利を得て、第一、第二都市の建設も行われ活況な時代がつづく。当時の発展ぶりは、皇国からも好感されていたのだが、それも徐々に変わっていく…。
『我らより広大な領土を持ちかねない危険な勢力…』
『我らに反抗する可能性のある勢力の出現…』
そのことは当然のことながら、皇国にとって初めて感じる脅威となっていく。
そこで、四十年ほど前に皇国から、都市ユルンの返還と、その周辺の邑の割譲を要求される。当時のアーカサス辺境伯は、第三都市計画をも成功させていたが、広大な未開エリアとの境における魔物の脅威が常にあった。魔物に守備兵を充てることで手いっぱいで、皇国と対抗することなど考えてもいなかった。
しかし、皇国の抱える懸念が自分たちの危機になると感じた辺境伯は、返還を受諾し拠点としていたユルンから退去し、新都市である第三都市をアーカサスと改名して新拠点とした。
当時の皇国第二皇子が都市ユルンを拝領し、ユルン公爵としての系譜がはじまる。
しかし、隣接するアーカサス領は依然として脅威で、ユルン公爵家は皇国から、アーカサス辺境伯の
「私の知るソニア奥様は、とても気品があり美しいお方です。しかも、周囲にお気を配ばられ、優しく、ニナ奥様とも姉妹のように接しておいででした。四人のお子様に対しても、分け隔てなく愛情を注ぐほど慈愛に満ちているお方です。それゆえ、ランド様が修道院に預けられる時には猛反対なさり、アイル様を亡くされたときは深い悲しみをお受けになられました。夫である伯爵様を愛し、ニナ様やお子様方を包み込むような御方です」
エバンが語るソニアは、完璧な淑女といった感じに思われた。
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