第5話 アーカサス辺境伯爵家⑤

 その後、しばらくしてから、俺たちは湯から上がった。


 湯浴みを終えて、修道服から用意された上等な服に着替えた。というより、上から被って腰ひもで縛るだけの修道服以外の服を着たことがなかったので、ルーシアとメナに着付けてもらった。


 部屋に設置されている姿見の金属鏡には驚いた。一般的に鏡は普及されていない。修道院では、儀式のときに使う小さい物しか見たことがなかった。


 二人は、俺の髪を乾かし整えてくれる。しかし、鏡に映っているそのさまは、正面から見える範囲だけでも、髪の長さがヘンなところがある。鏡越しに俺の背面にいる二人の表情も(こ……これは……)と、言った表情だ。


「少々、髪を切って整えたいと思いますが、よろしいでしょうか?」


「あ、よろしくお願いします」


「メナ、髪用のブレードを取ってきてもらえるかしら」


「はい、お待ちください」


 メナが道具を取りに部屋を出て行く。


 鏡に映るルーシィアは、俺の髪をいじりながらどう整えるか思案しているようだ。


「失礼ですが、いままで、髪はどのようにしていらしたのですか?」


「修道院では自分で切るしかなかったからなぁ。鏡もないし……、いい加減に切った覚えしか無いなぁ……。特に、後頭部なんか見えないからまとめて……こう!」


 しぐさを交えてルーシィアに伝える。


「さ……左様でしたか……。でも、頭をお洗いするまでは整っていたような……」


「あー、たぶん、頭を洗う機会が少なくって、油分などでいい感じに整っていたんじゃないかな」


「こ……、これからは、わたくし達が、お世話させていただきます」


「ああ、ありがとうね」


 そんな会話をしていると、メナが戻ってきて髪用のブレードをルーシィアに手渡す。ルーシィアは慣れた手つきで、俺の髪をいじりながらブレードで削いでいく。


 たいした時間はかかっていないが、刃物を扱う人を背にすると少しばかり緊張する。髪を削ぎ切っているときに地肌に伝わってくる振動も、くすぐったいというよりムズ痒い。


 カットを終えたのかブレードをメナに渡すと、髪をワシャワシャ!と地肌に空気を取り込むように掻き混ぜた。そのあと、両手で押さえるように整えてから、ブラシでかしていく。


「いかがでしょうか」


 鏡に映る俺自身を見てこんな感じかとしか思わなかったが、同じ鏡に映りこんでいるメナが、「ランド様、カッコイイです」と、言ってくれる。少し照れて「そ、そうかな?」と返すと「ハイ!」と、明るい笑顔で答えた隣でルーシアも俺に微笑みかけてくれている。


 これは、一緒に湯浴みをした効果だろうか、彼女たちの表情から少しだけ親密さが増しているように感じられた。


「それでは、御夕食になりますので、食堂に参りましょう」


「また、案内をお願いできるかな」


「承知いたしました。こちらへ……」


 移動のために立ち上がると、髪の量が減ったからだろうか身体が歩く感じた。


 二人の侍女は俺を先導し、メナが扉の開閉役をしてくれる。大きな屋敷なので移動だけでも大変と思われたが、機能的な構造になっているようで食堂は以外に近かった。




 食堂に入ると、エバンとアルスが礼を取った姿勢で待っていた。


 部屋の中央には、大きなテーブルに十脚程度の椅子が配置されている。修道院での嵩上げされた大きな木板のテーブルに長いベンチとは大きな違いだ。


 着替えた俺の姿を見てエバンが「見違えりましたなぁ」と、しみじみと声をかけてくる。


 入室後はアルスが食卓に導き、ここまで連れてきてくれた二人は、食事が乗ったワゴンの方へ向かう。


 アルスが食卓の上座に位置する椅子を引き「こちらでございます」と、着席を促す。そこに座った俺は、視界に入る部屋の景色に圧倒された。入ってきたドアまでの距離や視界に部屋全体が捉えられる感覚、圧倒的な場違い感が一気に襲ってきた。


「それでは、御夕食の準備をさせていただきます」


「は、はい。おねがいします」


「そこは、問題がなければ、私を見てうなずかれるだけでよろしいですよ」


 思いがけない返事をされたアルスは、驚きながらも柔和な表情で所作の指導をしてくれた。そのアルスの背後では、カチャカチャと食事の用意がされているようだが、一向に出てこない。


「?なにをしているのかな?」


「御当主に安心して召し上がって頂くために、お出しする食事の毒見をしております」


「毒見!?」


「はい、この屋敷の料理人や使用人が信用できない、というわけではございませんが、念のためでございます」


「念のためって……。君たちがその可能性のある物を食べて判別するってことか?」


「銀製の道具などを使って調べ、そのあと、念のために少しいただきます」


「いや、君たちに犠牲が出る可能性があるってことか?」


「……全くないとは言い切れませんが、その可能性は低いかと……」


 俺の質問にアルスは少し言い淀み、エバンに助けを求めた。


「ランド様、当家にとって最重要である御身をお守りするため、これは必要なことなのです」


「しかし、俺のせいで犠牲者が出る可能性があるのは認められない」


「ですが、これは、御当主の正当な責務とお考え下さい。当家だけではなく御領地、ひいては、領民の為なのです」


「いーや、それでも納得できない。出会って間もないけど、親身になってくれているあなた方を失うのはイヤだと思えるくらいにはなっている」


「お気持ちは大変うれしいですが、なにとぞ、ご理解ください」


 何を言ってもエバンは引いてくれない。


 しばらく言葉を失い左手の親指を顎に当て、人差し指の第二関節辺りで下唇をさすりながら考える。その間もカチャカチャと毒見の作業は続けられている。


 続々と作業を終えた料理が並べられる。目の前にある料理は、昨日までの料理とはかけ離れた豪華なもので、食べるのに躊躇してしまう。そんな俺をよそに「どうぞ、お召し上がりください」と、勧めてくる。フォークを手に取るとゆっくり食事を始める。


 結局、出された料理は完食したが、味がしなかったように感じた。毒見の件もそうだが俺の食事中、使用人たちは近くに控えており、監視と沈黙の中で食べた。




「……エバン」


「何でございましょう?」


「今後の食事について改善を要求する」


 おそらく、憮然とした表情と態度の俺は、真顔で話を続ける。


「今日の食事は、今までで一番、上等なものだったが美味くなかった。もちろん、味や料理人の腕の問題ではない。毒見と監視のせいだ」


 使用人たちは、初めての叱責と受け止めているようでうつむき押し黙る。


 俺は腕を組み憮然とした表情で話を続ける。


「俺は貴族とはかけ離れた生活を送ってきた。周りには同じ修道士の仲間がいて、近隣の住民と農作業や村の諸事の手伝いをしてきた。その中でたくさんの人たちと行動を共にして関りを持つよう接してきた。食事だって仲間と話しながらとっていた。だから、いま、一番近くにいるお前たちとも同じようにしたいと思う」


「それでは、使用人との……」


「まて!まだ、話は終わっていない」


 俺は、エバンを手と言葉で遮ってさらに続ける。


「知っての通り、俺にとって家族は縁遠くて、幼い頃から感じたことはなかったんだけど……。昼までの普通から生活が一変するのは仕方ないにしても、ここに着いて待っていたのは家族四名の遺体と、立場の違いとかで俺から距離を置く人々では、これから先、心が持ちそうにない……」


「ランドさま……」


 うまくまとまらない話であったが、メナが俺の様子を見て心配そうに顔をゆがめる。


「だからこそ、今後の食事について改善を要求する。第一に、このメンバーで一緒にこのテーブルを囲んで同じ食事をとることとする。第二に、毒見を止めて『毒探知の術ディテクトポイズン』の祈りで、俺が判定したものを食すことにする」


「ですが……」


 今度は、アルスの発言しかけるのを遮って続ける。


「ならば、これを命令としてもいいが、時間を有効に使うための改善と受け取ってほしい。毒見にかける時間と、俺の食事を待つ時間を無くして一緒に食べることで、その後にあるお前たちの食事の時間を他の事に使えるだろ?」


 しばらく沈黙し、終始、真顔だったエバンの顔がほころんだ。


「ハハハハッ、それは、私どもをもっと働かせようということですかな?」


「そういうことさ。それじゃ、頼んだよ」


「承知いたしました」


 エバンが了承してくれたことを聞いて、メナは喜んだ。ルーシィアは理解に苦しんでいたが、メナの喜ぶさまを見て笑顔になる。アルスは<仰せのままに>といった風なポーズを決める。これで今まで通りとはいかなくとも、孤独でない食事ができるようになるだろう。


 この後、早速、使用人たちと一緒に一服した。なんとも、ぎこちない感じであったが、これからの為に必要なこととして理解してくれることを期待した。

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