第5話 ジャンヌの騎士学校時代

「早朝の冷たい空気が肌を刺すようだ。でも、この痛みこそが私の武器。恐怖を振り払って、前へ進むために必要な刺激なんだ――。」


ジャンヌはそう心の中で言い聞かせながら、まだ薄暗い騎士学校の校庭を一人で走っていた。他の生徒が起床する前の早朝訓練は、日課となって久しい。鍛え抜かれた肉体を維持するだけでなく、自分が守るべきものを確認するための“禊”のようなものでもある。


その頃、枢機卿リシュリューの名は国中でそこまで広まっていなかった。妖精教皇バンシーと教会の存在は大きいものの、まだ教皇の洗脳が顕在化していない時期。国は一見、平和が保たれているかのように見える。だが、ジャンヌの胸中には、正体不明の不安が渦を巻いていた。それは、深夜に目を閉じたとき突如よみがえる“火刑”の記憶。炎の熱気と、焼け焦げる匂い。そして、自分が身体を火に包まれたまま叫んでいる感覚……。目が覚めると同時に汗が噴き出し、「どうしてこんな夢を見るのか」と恐怖し、自分自身を問い詰める日々が続いている。


ジャンヌは周囲から「才色兼備の騎士候補」として高い評価を受けていた。実際、剣術や馬術、礼節や学識でも常に上位をキープしている。しかし、時たまフラッシュバックする火刑の悪夢にさいなまれ、彼女は原因不明の動悸や震えに襲われることがあった。そんな姿を見た一部の仲間は、「ジャンヌは何か得体の知れないトラウマを抱えている」「不気味なことを隠しているのではないか」とささやき合う。強い者への嫉妬や偏見がないわけではなかった。いずれにせよ、ジャンヌ自身もその原因を説明できないため、周囲に“弱点”をさらすのは辛いことだった。


学校の寮に戻ると、ほかの生徒たちがぼちぼち起き出している。見慣れた制服に身を包んだ騎士見習いたちが、朝の点呼や清掃を行うために廊下を行き来していた。ジャンヌは誰よりも先んじて汗を流しているにもかかわらず、きちんと洗面を済ませ、整った姿で自分の班に合流する。彼女の厳格さと真面目さは、教官から一目置かれつつも、時に「堅すぎる」と敬遠されることもある。だが、ジャンヌ自身はその“堅さ”こそが自分の矜持だと思っていた。


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### 騎士学校の訓練と仲間たち


騎士学校では、剣術・槍術・射撃・騎乗などの実技だけでなく、国の法制度や歴史、戦略論などの座学も行われる。生徒たちは貴族の子弟だけでなく、実力主義で入学を許可された平民出身の者もいたため、校内にはさまざまな階級や背景の若者が混在していた。彼らは互いに競い合い、助け合いながら成長を目指す。ジャンヌは、どちらかというと仲間うちでのリーダー役というよりは、冷静に自分を磨くタイプ。だが、彼女に尊敬や憧れを抱く友人も少なからずいた。


特に、同じ班に所属するシェイドという少年は、ジャンヌの才覚を高く評価し、しばしばサポートに回ってくれた。シェイドは身体能力こそ高くないが、論理的思考や教官から学んだ騎士道の精神をしっかり理解しており、ジャンヌが苦手とする政治論や書類作成などを手助けしてくれる。彼はいつも「ジャンヌは実践面が完璧だから、座学は俺に任せればいい」と笑いながら言う。ジャンヌもそれに甘え、密かに助かっているのが本音だった。


しかし、そんな日常を過ごすうちに、ジャンヌはある“違和感”に気づき始める。学校で教わる騎士の心得や“民を守るための精神”が、どこか空虚に感じられる瞬間が増えてきたのだ。夜な夜な火刑の悪夢にうなされるたびに、「私は本当に、誰を守りたいのだろう? 何を守るために剣を握るのだろう?」と疑問を抱く。それに応えるような授業はほとんどなく、“忠誠”や“秩序”を念頭に置いた教えが続くだけだった。


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### 火刑のフラッシュバックと教官の一喝


ある日、剣術の実技訓練中に事件が起きた。ジャンヌは模擬剣を持って教官相手に模範演技を披露していたが、不意に周囲の松明が風にあおられ、大きく火の粉を散らした瞬間、“炎の壁”が脳裏に蘇ってしまったのだ。息が詰まるような熱と恐怖が走り、思わず剣を取り落としてしまう。教官からすれば、優等生のジャンヌが剣を落とすなど前代未聞の出来事。周囲の生徒たちも驚き、息を呑む。


「ジャンヌ、おまえどうした? 試合中に剣を落とすなど、騎士にあるまじき失態だぞ!」

教官は声を荒らげ、ジャンヌを鋭く睨みつける。ジャンヌは言い訳もできず、震える両手を必死に抑えながら、「申し訳ありません……少し、平常心を失いました」としか答えられなかった。心の中では、あの炎のイメージが渦巻き、「まだ身体が焼けるような感覚がする」と混乱しているのだが、それを言葉にできるわけもない。


「貴様、何を怯えている。弱さを捨てろ。騎士たる者が、炎ごときに恐れを抱いてどうする!」

教官の怒声に、ジャンヌは唇を結んだまま下を向く。周囲の生徒たちの中には「あんなに強いジャンヌでも、弱点があるのか」と動揺を隠せない者や、「彼女が炎に怯えたように見えた」と憶測を囁く者もいた。ジャンヌは自分の手が震えるのを抑えようとするが、それはうまくいかない。結局、教官は「今日のところはこれまで」と言い放ち、彼女を厳しく叱責したうえで訓練を打ち切る。


その夜、ジャンヌは自室でうずくまるように座り込み、涙をこらえながら自問自答する。「自分がどうして、こんなに炎を恐れるのか。なぜ焼かれる夢ばかり見るのか。これでは騎士失格じゃないか……」。彼女自身が答えを見つけられない以上、教官に釈明することもできない。周りに相談したくとも、こんな得体の知れない“過去の火刑の記憶”を口に出せば、変人扱いされるのがオチだと思うと、言葉が出てこない。


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### 友人の支えと不可解な噂話


翌日以降、ジャンヌはかろうじて日常訓練をこなすが、周囲の視線が微妙に変わったことを肌で感じる。今までは完璧な優等生と見なされていた分、あの失態が余計に際立ってしまったのだ。生徒の一部は「あれは“魔女”の兆候ではないか」「炎に怯えるなんて何か呪われた経緯があるのかもしれない」と陰口を叩く。ジャンヌとしては聞き流すしかないが、その噂が自分の抱える謎をさらに深くえぐるようで苦しかった。


ただ、そんな中でシェイドや何人かの友人は変わらずに接してくれる。シェイドは「何か悩みがあるなら言ってくれればいいのに」と声を掛けてくるが、ジャンヌははぐらかしてしまう。「大したことじゃないの。ただ、少し疲れていただけ……」と。実際には疲れなどではなく、原因不明の火刑トラウマとどう向き合えばいいか分からないだけだが、それを打ち明ける勇気がない。


そんなある夕方、廊下でぼんやりと周囲の様子を眺めていたジャンヌは、ふと遠くから聞こえてくる雑談に耳を留めた。生徒の一人が言うには、「最近、リシュリュー枢機卿って人が台頭してるらしい。教皇のもとでいろいろ改革を進めてるって話だ。近代化だとか新しい儀式だとか……騎士制度も改変されるかもしれない、だってさ」。もう一人が「ああ、俺も聞いた。リシュリューは優秀な人材を集めて新体制を作るらしい。騎士の未来が明るくなるんじゃないかって噂だよ」と同調する。


(リシュリュー枢機卿……?)

ジャンヌはその名前が耳に引っかかった。なぜか分からないが、胸の奥で得体の知れない警戒感が首をもたげる。まるで、まだ見ぬ闇が遠くで牙を研いでいるような、不快な感覚だ。「優秀な改革者」と評されているなら、本来なら騎士として歓迎すべきなのだろう。だが、ジャンヌは自分の直感が示す“何か危ういもの”を振り払えずにいた。


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### 洗脳という恐ろしい概念


時が経つにつれ、“洗脳”の噂が、騎士学校の生徒たちの間でもちらほら聞かれるようになる。あくまで“旅の商人が言っていた”程度の真偽不明の情報だが、どうやら一部の都市で奇妙な事故が起き、人々がまるで操られたかのような行動を取ったとか、妖精教皇バンシーの光を浴びると精神が変質するとか、そういう怪談めいた話がささやかれ始めたのだ。


大半の生徒は「くだらない噂」で片づけていたし、教官たちも「証拠のない戯言を信じるな」と叱りつけるだけだったが、ジャンヌには妙に胸騒ぎがあった。「もし本当に、心を操作されるような力があるのなら、どれほど恐ろしいことだろう。人間の誇りや自我は、一瞬で踏みにじられてしまうかもしれない……」と想像するだけで身震いする。炎への恐怖とは別種の悪寒が走り、彼女は夜になるとまた眠りが浅くなる。


このタイミングで、彼女は偶然にも“ChatOPT”という奇妙なデバイスの存在を耳にする。といっても、実物を目にしたわけではない。ある研究熱心な教官が「最近、異世界から来たという少年が持っている不思議な道具があるらしい。何でも、人の心や身体の仕組みを分析し、助言をくれるというとんでもない代物だとか」という噂を酒の席でこぼしていたのを、シェイドが小耳にはさんだのだ。それをシェイドは「こんな面白い噂があるんだけど」とジャンヌに伝えてきた。


「何だか胡散臭いわね。機械だろうと魔道具だろうと、人の心を操作できるなんて、そんなことあり得るの?」

ジャンヌは半ば否定的に応じた。自らの体と技を鍛え上げる道こそが騎士の本質という考えが根強い彼女には、“機械や外部の知識”に頼るという発想はなじまないのだ。だが、シェイドは「洗脳って言葉といい、そのChatOPTといい、最近ちょっと気味が悪い噂ばかりだよな。気をつけたほうがいいんじゃないか?」と心配そうに言う。


「……もし本当に心を操る技術があるとしたら、騎士なんてあっという間に無力化されてしまうかもしれない。」

ジャンヌはぼそりとつぶやき、自分でもその可能性を思うと息苦しさを覚えた。炎に怯える自分が、もし誰かに“洗脳”されてしまえば、それこそ人格すら変わってしまうのではないか。想像すればするほど、悪夢がさらなる悪夢を呼ぶようで、何か重たい影に押しつぶされそうな感覚に囚われるのだった。


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### 騎士学校を飛び出す契機


そんな折、学校内でリシュリュー枢機卿を賛美する声が日に日に大きくなる。保守的な教官や生徒の中には「あの人なら本当に国を変えられるかもしれない。妖精教皇のもとで新体制を作るっていうし、騎士を優遇してくれるらしい」と大歓迎する者も出てきた。

反面、「人を操る“洗脳”なんてあり得るはずがないが、もしそうならリシュリューが関与しているのでは」という陰謀論もささやかれる。校内がざわめき始める中で、ジャンヌはどこか落ち着かない気持ちを拭えない。彼女が騎士を志したのは、ただ人々を守りたいからだった。しかし、もし国が歪んだ形で変革され、誰かが心を奪われてしまうような事態になれば、それは本当に正義といえるのだろうか。


騎士学校のカリキュラム自体も、「近い将来、教会や枢機卿の指揮下で働くことになるだろう」といった内容に傾きつつある。ジャンヌは火刑の夢で感じる得体の知れない罪悪感と、自分の無力さ、そして洗脳の噂が示す“意志の蹂躙”への恐怖を重ね合わせ、次第に学校の方針に疑問を抱くようになる。

「もしかしたら、私はここにいてはいけないのかもしれない……」。ある夜、ジャンヌは剣を手に取って中庭に立ち尽くしながら、そっとそう呟いた。校舎の窓には規則正しく灯りが並び、騎士としての未来を信じる若者たちが眠りについている。だが、その光がどこか物悲しく感じられるのは、ジャンヌの不安が募っている証拠だ。


そして、その夜。火刑の夢はこれまでとは比べ物にならないほど鮮明に彼女を襲った。まるで“自分の前世”を凝縮して見せるかのように、焼け落ちる足元、視界を覆う炎の色、耳をつんざく悲鳴……目を覚ますと、あたりはまだ暗いはずなのに、視界が揺らぎ、胸が苦しくなる。これまでと違って汗だけでなく呼吸まで乱れ、息が詰まって立ち上がれなくなるほどだった。


そのとき、ジャンヌの脳裏をふとアルティの顔がよぎる。妹同然に育った彼女が、今コックローチ家との婚約で苦しんでいることを思い出し、同時に「私がずっとこの騎士学校にいるだけでいいのか」と強烈な疑問を感じる。騎士学校で優れた成績を収めて国に仕えれば、確かに安定した地位を得られるだろうが、それが“人々を救う”ことに直結するのだろうか。むしろ、リシュリューや教皇に取り込まれてしまえば、自由や意志を失う結果になるかもしれない。そんな思考が一瞬で駆け巡り、ジャンヌは「ここを出よう」と決意する。


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### 革命軍との邂逅へ


実は、ジャンヌの耳には、近頃“革命軍”と名乗る集団が各地で奴隷解放を訴え、貴族に抵抗しているという断片的な噂が届いていた。数日前にアルティから密かに届いた手紙にも「姉さん、もしあなたが騎士学校で行き詰まるのなら、一度わたしのもとへ来て。ここにはいろいろ大変なこともあるけれど、希望もあると思う」という意味深な一文があった。

おそらくアルティが革命軍か、その関連組織と接触しているのではないか――そう察したジャンヌは、いったん校内の寮を離れ、アルティのもとへ向かおうと決めた。たとえ“正規の騎士”としての道を捨てることになっても、自分自身が抱える火刑の恐怖や、誰かに操られることへの強い拒絶感から逃れるためには、ここを飛び出すしかない。


夜明け前、ジャンヌはわずかな荷物と剣を手に、見回りの兵士の目を盗んで学校を抜け出した。校門を通り抜けたところで振り返ると、昨日まで自分が所属していたはずの場所が、まるで遠い過去の出来事のように感じられる。胸が痛む反面、どこか解放感もあった。「ここで学んだことを捨てるわけではない。むしろ、私は騎士としてどうあるべきかを探しに行くんだ」と、自分に言い聞かせる。


こうしてジャンヌは騎士学校を飛び出し、結果的に革命軍へ合流する下地が出来上がる。後に彼女は奴隷解放の闘いで剣を振るい、洗脳と向き合う日々を過ごすことになるが、その決意の背後には、火刑のトラウマと“心を支配される”ことへの激しい恐れが常にあった。もし誰かが彼女を完全に洗脳し、あるいは火刑の悪夢を現実のものとするような場面が訪れたら――考えるだけで震えが止まらない。しかし、だからこそ、ジャンヌは誰にも魂を奪われたくはないし、他人の魂が奪われるのも黙って見ていられない。彼女が勇敢に剣を振るうのは、そのトラウマと背中合わせの決断なのだ。


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### あとがき:騎士道と転生のはざまで


こうして振り返ってみると、ジャンヌが騎士学校で過ごした日々は“国に仕える騎士としての純粋な夢”と、“不可解な火刑トラウマ”という対立の象徴だったとも言える。周囲からは常に高い期待を寄せられながらも、誰にも言えない恐怖や疑問を抱え、最終的には学校を去る選択をせざるを得なかった。

その過程で、まだ表面化していなかった枢機卿リシュリューの動向に疑念を持ち、洗脳という未知の脅威にうっすらと感づいたことは、後の革命軍合流を後押しする大きな要因となる。もともと彼女にとっては“守るべきもの”を明確にしたいという願いがあったが、騎士学校ではそれが満たされなかった。代わりに、外の世界で戦う人々の姿を知り、実際に奴隷や市民の声を聞くことで、彼女は“騎士道とは何か”を再定義していくことになる。


一方、彼女に付きまとい続ける火刑の夢――それが転生や過去世を示唆するものなのか、それとも単なる悪夢に過ぎないのかは、当時のジャンヌには分からない。騎士学校での訓練や仲間の支えがなければ、もっと早く心が折れていたかもしれないが、それでも真相を見出すには至らなかった。

それでも、学校を出た瞬間から、彼女の内面ではある変化が起きていた。それは「私は私の信じる道を行く」という明確な意志である。炎への恐怖が消えたわけではないが、その恐怖と向き合いながらでも前進する覚悟を持つようになったのだ。今後、洗脳の噂が現実味を帯び、枢機卿の勢力が拡大し、火刑の悪夢と向き合わなければならない運命が訪れたとしても、彼女はもう昔のようにうろたえはしないだろう。

騎士学校時代の“完璧な優等生”という仮面は消えても、内側に灯った騎士の魂は、むしろいっそう強く燃え上がっているのだから。

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