第4話 アルティとチャバネの婚約破綻前夜
「この家の敷居をまたぐたび、胸が寒くなるのはなぜだろう――。」
アルティ・ダルクは扉の前で、一瞬足を止めてそう思った。眼前にそびえるのはコックローチ家の屋敷。彼女が今日訪れる理由は明白だ。形式的には「婚約者」とされるチャバネ・G・コックローチと、次の式典に関わる相談をするため――という建前になっている。しかし実際には、アルティの胸中には不穏な決意が渦巻いていた。すでに家のしきたりや、チャバネの傲慢に耐えられないと強く感じており、“ここを出て行く”ための最後の下調べをしようと心に決めているのだ。
とはいえ、コックローチ家は国内でもその名を知られるほどの“権威”と“財力”を誇っている。貴族社会の中でも独自の地位を確立し、奴隷を多く抱え、時には非道な支配を行っているとの噂は絶えない。アルティの姉・ジャンヌは一度たりともこの婚約に賛成したことはない。元々アルティ自身がここまで婚約を引きずってきたのも、周囲の大人たちの影響や慣習的な流れが強かったからに過ぎない。
「いざ足を踏み入れると、やっぱり冷たい空気が漂っているわね……。」
屋敷の中へ通されてすぐ、アルティは背筋に鳥肌が立つのを感じた。床に敷かれた絨毯や壁の装飾は豪華だが、その裏には何とも言えない閉塞感がある。通路の壁際で待機する召使いらしき人々――明らかに奴隷の身分だ――が、見えるか見えないかのぎりぎりのところで深く頭を下げている。その姿は単なる礼儀とは違い、“何かに怯えている”ように見えた。
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## ■コックローチ家の狂気じみた内情
アルティを出迎えたのは、チャバネの母親らしい女性と、その取り巻きの数人であった。母親は口元に薄い笑みを浮かべているが、その笑みには慈愛のかけらも感じられない。むしろ、アルティを値踏みするように見つめる目が不快にさえ思える。
「まぁアルティさん、お久しぶりですわね。今日はチャバネともじっくり話をしてくださるのでしょう?」
上品ぶった声色だが、どこか鼻にかかったような高慢さが漂う。アルティは慇懃に礼をしながらも、心中でうっすら警戒感を高めていた。実のところ、この母親が奴隷たちを頻繁に罵倒し、屋敷のあちこちで厳しいしきたりを押し付けているという噂は耳にしていたのだ。
「お邪魔します。私もチャバネ様と、これからの予定を相談したく……。」
アルティが言い終わらぬうちに、母親はどこか冷たい視線で召使いを手招きし、「あなた、奥の部屋を通してちょうだい」と短く指示を出した。召使いの女性は一言も発さず、深く頭を下げてからアルティに振り向く。見ると、その目にはまったく生気が感じられないほどに青白く、怯えきった色が宿っている。
(これがコックローチ家の“支配”なのか……。)
アルティは胸がざわつく。奴隷の扱いが悪いというのは周知の事実だが、実際にこうして目の当たりにすると、嫌悪感がより強まる。チャバネの母親は、「さ、早く行きましょう」とアルティを促す。そのまま召使いの背後をついて廊下を進んでいくと、曲がり角をいくつも抜けた先に、重々しい扉が見えてきた。
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## ■アルティが見た“召使い扱い”の現場
途中ですれ違う召使いたちは、アルティと目が合いそうになると即座にうつむく。中には腕に痣がある者や、腰を曲げて歩いている年配の者もいる。特に奴隷身分の者には、真新しい傷跡が見え隠れしていた。こうした場面を目にするたび、アルティは内心で怒りと悲しみが沸き立つのをこらえ、平静を装う。
どこかから聞こえてくる怒号や、何かを叩くような不快な音も、耳を突き刺す。が、母親や周囲の取り巻きはまるで気にしていないかのように通り過ぎる。屋敷のなかでは、これが日常風景なのだろう。アルティの気持ちは一層沈んでいく。
「この家が誇る格式と伝統を、しっかりと学んでいただかないと困りますわ。ダルク家の方は、我がコックローチ家の流儀に従う覚悟はあるのでしょうね?」
母親の言葉には、明らかに敵意に近い嫌味が混じっていた。アルティは笑顔を作ろうと試みるが、心底からは笑えない。むしろ絶望に近い感情がこみ上げてくる。「どんな格式だろうと、こんな仕打ちは認められない」と叫びたくなるが、今ここで言っても大きな波紋を広げるだけだろう。まずは今日、決定的な行動を起こすまでは冷静でいなければならない。
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## ■チャバネ・G・コックローチの歪んだ執着
ようやくたどり着いた奥の部屋――そこには、チャバネ本人が待っていた。アルティが入室した瞬間、彼は背もたれの高い椅子に腰掛け、足を組んで待ち受けるという傲慢な姿勢で出迎える。鮮やかな衣装に身を包み、髪型も入念に整えているあたり、外見だけは貴族の優雅さを体現していた。けれど、その視線は冷たく、アルティを見下すようにスッと細めている。
「遅かったな、アルティ。まぁいい。おまえ、次の式典で俺と共に姿を見せるってことでいいんだろう?」
アルティが口を開く前に、チャバネは当たり前のように話を進める。彼にとってアルティは“手駒”であり、“自分の所有物”に近い感覚なのだろう。アルティは心の中で「やはり、この人とはもう無理だ」と思う。奴隷を見下し、婚約者をも道具扱いする――そんな相手に振り回されていては、自分の未来など到底描けない。
「ええ、式典のこともお話ししたくて来ました。でも、チャバネ様……私、正直に申し上げます。この家のやり方には納得できません。奴隷の扱いがあまりにも――」
アルティが言いかけると、チャバネは短く鼻を鳴らして制止する。「おまえが納得するかどうかなど関係ない。ここはコックローチ家だ。奴隷は奴隷であり、俺たちがどう扱おうと自由だ。そもそも、おまえはダルク家から嫁いでくる立場だろう? 下手に口を出すな。俺のものに口を出す資格があるのか?」
「私を“もの”扱いするのですか……?」
アルティは唖然としながら問い返すが、チャバネは「当たり前だ」と言わんばかりに冷たい笑みを浮かべる。「おまえは俺の婚約者であり、いずれ俺の妻となる。つまり、コックローチ家の財産の一部になるんだ。そうだろう?」
その言葉に、アルティは怒りというより、むしろ“恐怖”を覚えた。このままでは、本当に自分の意思など踏みにじられ、あたかも家具や調度品のように扱われてしまうだろう。それが奴隷に対する仕打ちと同じように、当たり前のこととして受け止められているのがコックローチ家なのだ。
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## ■家の体面とプライド――チャバネの内面
もっとも、チャバネにしても、ただのサディストというわけではない。傲慢な言動や奴隷への横暴は確かにあるが、その根底には「コックローチ家の跡取りとしての絶対的な責任とプライド」があるように見える。家の体面を守り、より大きな権力を得るためには、周囲を支配し、屈服させる必要があると信じ込んでいるのだ。それは、彼自身が子どもの頃から家族に叩き込まれた価値観でもある。
アルティはチャバネの横顔を見つめながら思う。もしこの家のしきたりや教育がそう仕向けてきたとしたら、チャバネ自身もまた、その枠組みの囚人なのかもしれない。彼の言葉や表情には、ときおり「こんな生活はもうやめたい」という疲労の色がわずかに垣間見える瞬間があったのも事実だ。だが、チャバネは決してそれを認めようとはしない。むしろ、より強い言葉で周囲を押さえつけることで自分を支え、外面を崩さないようにしているように映る。
「……俺はな、アルティ。コックローチ家を守るためにすべてを捧げる覚悟でいる。おまえがここに嫁げばダルク家との関係強化にもなるし、立場的にも申し分ない。奴隷だって、俺たちが管理しなければ散らばって無法になりかねん。おまえはその構図が分かっていないだけだ。」
チャバネはそう言い切ると、憎々しげな眼差しでアルティを見据える。アルティは返す言葉を見つけられずにうつむくが、内心では「こんな支配の仕方を肯定するなんて、おかしい」と叫んでいた。
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## ■脱出の機会をうかがうアルティ
この家に長居すればするほど、アルティは自分の心が壊されていく気がする。奴隷たちが苦しむ姿も、自分が道具扱いされる現実も、もう耐えられないと痛切に感じる。だからこそ、今日こそは何とかして抜け出そうと考えていた。あわよくば、姉のジャンヌが準備してくれている“迎え”と合流し、一気に家を出奔するのが狙いだ。もはや正式な形で婚約を解消するなどという手段は通じないだろう。コックローチ家は権力を握っているし、交渉の余地など与えてくれるはずもない。
ただ、問題はチャバネがアルティを不穏な様子だと察すれば、すぐにでも監視を強化し、彼女の外出を封じる可能性があることだ。というか、すでにあまり自由には動けないような雰囲気を感じる。部屋の外にはメイドという名の監視が立ち、廊下には兵士が配置されている。下手をすれば、奴隷が血を見る形で人質に取られることもあり得る。
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## ■姉・ジャンヌの助力
実はこの日、ジャンヌが密かに動いていた。アルティがコックローチ家を出奔しやすいよう、屋敷の外で仲間たちと待機し、可能なら正面玄関付近に混乱を起こすなりして陽動する作戦を練っているらしい。アルティはその報せを暗号化した手紙で事前に受け取っていた。
もっとも、ジャンヌはもともと「力ずくでアルティを連れ出す」と主張していたのだが、アルティが「不意を突かなければ成功しない」と説得した経緯がある。万一、正面から騎士装束で乗り込んでくれば、コックローチ家との衝突が避けられないからだ。
そこで、アルティはあえてチャバネとの面会を装いながら、屋敷内を動き回る機会を伺う。そして適当なタイミングで裏口や物見台から抜け出せれば……という算段である。しかし、実際に目の前で奴隷が動けず苦しむ姿や、チャバネの執拗な言動を目にすると、アルティの計画は思った以上に難しいと感じられた。ふとした拍子にチャバネが「俺のものから離れるな」と腕を掴もうとする。その力強さは彼女の想像以上で、まるで狩りの獲物を掴むかのような執着がにじむ。
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## ■小細工としての「通信符を改造した魔術アラーム」
ここでわずかながら役立ったのが、乱世の持つChatOPTに由来する知識だった。アルティは乱世から事前に教わった“小細工”を忍ばせていた。それは「通信符を改造した魔術アラーム」で、簡単にいえば、一定の条件(たとえば特定の言葉や衝撃)が加わると、遠隔地に小さな光や音で合図を送る仕組みである。
チャバネがアルティの腕を乱暴に掴もうとした瞬間、アルティはさりげなくその通信符を作動させ、微細な魔力波動を放出。これにより、屋敷の外で待機していたジャンヌたちが「いよいよ逃げ時がきた」と知ることができる。チャバネにはまったく気づかれず、ただ「何だ、妙な匂いがしたが……?」と怪訝に感じさせただけで済んだ。
「乱世の言った通り……この小さな札が役立つなんて。」
アルティは心の中で感謝する。さほど高度な魔術ではないが、こうした細かい実用アイテムを思いつくのは異世界の知恵を持つ乱世ならではだ。チャバネはそれを“ただの小細工”と侮るだろうが、後々、このような“科学と魔法の融合”が新たな脅威や革命の材料になるとは、当時の彼は考えもしなかったに違いない。
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## ■破局の瞬間
アラームを放った以上、姉たちが外で時間を稼いでくれるはずだ。アルティはチャバネの部屋をあとにするタイミングを見計らい、「少し気分が悪い」と言い訳をして廊下に出る。メイド(兼監視役)はそれを怪しむが、「お部屋で休まれますか?」と問う程度で、強くは止めない。アルティは「少し空気を吸いたい」と言ってさらに廊下を進み、やがて裏手に通じる使用人通路へ滑り込むことに成功する。
その矢先、外の方で叫び声や物音が響きはじめた。どうやらジャンヌたちが何らかの陽動行動を起こしたらしい。チャバネ家の兵士が慌ただしく動き回る気配に乗じ、アルティは一気に走り出す。駆け抜けた先で出会ったのは、先ほどと同じメイドの姿。
「お嬢様、どこへ行かれるのですか……!」
彼女の目には絶望にも似た焦りが浮かんでいる。おそらくアルティを止めないと、自分があとで罰せられると分かっているからだ。アルティはそのメイドにすまない気持ちを抱きながらも、「ごめんなさい」とだけ囁いて、横をすり抜ける。後ろから「待ってください!」という声が聞こえるが、立ち止まるわけにはいかない。もはや、ここで振り返るなら自分がこの屋敷に囚われて終わるだけだ。
ようやく辿り着いた裏口から外へ出ると、そこにはジャンヌの姿があった。いつもの甲冑姿ではなく、動きやすい軽装だ。彼女は深く息をつきながら、「やっぱり、来ると思ったわ」とアルティを抱きかかえるように言葉を投げる。アルティは姉の腕の中でようやく恐怖から解放され、少しだけ安心したのも束の間、「急がないと追手が来るわよ」と言われて再び走り始める。
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## ■コックローチ家を出奔――チャバネの怒り
後ろの方では、大声で「捕らえろ!」「絶対に逃がすな!」と喚く声が聞こえる。チャバネ自身が怒りを爆発させ、家の兵士に指示を飛ばしているのだろう。アルティはまだ振り返りたくなる衝動を抑えつつ、ジャンヌの指示に従って曲がりくねった道を全力疾走する。どうやら乱世の仲間がさらに別方向で陽動を仕掛けているのか、追っ手の足音がなかなか迫ってこない。
やがて、町外れに停めてあった小さな馬車に乗り込み、アルティはようやく大きく息を吐いた。この時点で彼女は既に決めている――「婚約は破棄する。コックローチ家に戻ることは絶対にない」と。今は正規の書類も何も用意していないが、こうするよりほかになかった。姉のジャンヌが馬車を出すよう合図すると、車輪が軋む音とともに走り出す。
一方、屋敷に取り残されたチャバネは激怒していた。「ふざけるな……俺のものに手を出すとは……!」 もともと歪んだ執着心を抱いていた彼にとって、アルティは自分の支配を象徴する存在であり、家の繁栄に欠かせない人形のような存在でもあった。それを奪われた怒りと屈辱は尋常ではない。
「いいか、どんな手を使っても連れ戻せ。あの女は俺のものだ。逃げられると思うな……!」
チャバネの恫喝に、兵士や家臣たちは震え上がりつつも「は、はい!」と応じる。だが、実際にアルティを連れ戻すには、相応の労力と時間が必要だろう。まがりなりにもダルク家の姉妹であり、周囲にはジャンヌのような剣の達人もいるのだから。
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## ■婚約破棄が生んだ運命の分岐
この日を境にして、アルティの運命は大きく変わる。コックローチ家との関係は完全に破綻し、さらにはチャバネを敵に回すこととなる。彼女はのちに革命軍へ加わり、姉ジャンヌとともに奴隷解放や枢機卿への反抗へと駆り立てられていくが、その一歩手前の事件がこの“婚約破棄前夜”だと言える。
一方、チャバネ・G・コックローチの執念はここからますます深まり、彼を闇の技術者と手を結ぶ方向へ突き動かしていく。実際、この時点でチャバネはアルティの行動を「裏切り」と断じ、いつか必ず取り戻して自分の支配を証明してやるという強烈な復讐心を燃やし始める。その後、ChatOPTの可能性を知った際に銃火器などの開発へ手を伸ばすのも、すべては「アルティを屈服させる手段を得たい」という歪んだ欲望に基づくのだろう。
だからこそ、この婚約破棄は物語全体にとって重大な分岐点となる。もしアルティがこのままコックローチ家に留まっていたら、チャバネはほどほどに満足し、闇の技術を手に入れるまで狂気を深めることはなかったかもしれない。あるいはアルティ自身が奴隷と同じような扱いを受け、精神を摩耗していただろう。どちらにせよ、後の革命軍の活動やチャバネの復讐劇は形を変えていただろうし、洗脳装置タッチベルとの戦いにどう影響が及んだかは分からない。
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## ■小道具としてのChatOPTが残した痕跡
今回の逃亡劇では、ChatOPTが提供した「通信符を改造した魔術アラーム」がわずかに役立っただけで、たいそうな技術革新や実験があったわけではない。だが、この小さな細工が功を奏したこと自体、アルティの中に「異世界知識も捨てたものじゃない」という印象を強く残すことになる。
また、チャバネにとっては「アルティを逃がした何らかの奇妙な仕掛けがあった」程度の認識だったとしても、後になってChatOPTが兵器や情報操作に使える技術の塊と知ったとき、彼の欲望の炎に拍車をかけるだろう。
当時は単なる“嫌がらせ程度”と思われていた魔術アラームが、後に大きな歯車の回転に繋がる伏線として残っていく――これは、この世界で起こる様々な事件が“魔術と異世界技術”の曖昧な境界線に支えられていることを示す一例とも言える。
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## ■姉妹の決意と“ランドセル革命”への合流
馬車に揺られながら、アルティは涙をこぼさないよう必死にこらえていた。何度となく「ここまで穏便に済ませることは不可能だったのか」と自問自答する。だが、相手がコックローチ家であり、チャバネの歪んだ支配意識を考えれば、最善の選択肢はもうこうする以外になかった。
ジャンヌはアルティの肩に手を置いて、「これでよかったのよ。あんな家に囚われていたら、あなたは自分を失っていたと思う。私たちは私たちの道を歩きましょう」と励ましてくれる。その言葉に、アルティはわずかに笑みを作り、「ありがとう、お姉ちゃん。もう大丈夫……私もあんな連中に戻る気はないから」と言い返す。
だが、心の奥底には不安が渦巻く。チャバネの執着は決して簡単に消えない。彼の性格を思うに、アルティが革命軍に身を寄せれば、さらなる敵対関係が生まれるだろう。あるいは、チャバネが何かとんでもない手段を講じて再び追ってくる可能性だってある。
実際、その後彼女が奴隷解放の戦いに参加する過程で、コックローチ家が闇商人と結託したり、枢機卿リシュリューに取り入る算段を試みたりすることが増える。アルティが自らの意思で婚約を破棄した結果、事態は良くも悪くも大きく動き出すのだ。
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## ■物語の歯車を回す引き金
以上が、アルティとチャバネ・G・コックローチの婚約破綻前夜の顛末である。
チャバネ家の狂気じみた内情と、奴隷扱いの過酷さ。そこから見えてくる貴族社会の歪み。そしてアルティが逃げ出すことで生じたチャバネの怒りと執着。すべてが後に続く革命劇や洗脳との戦いの大きな伏線へと繋がっていく。
もし、ほんのわずかでもアルティがコックローチ家を“妥協して受け入れる”選択をしていたら、この分岐点は生まれなかっただろう。だが、彼女は最後の瞬間まで心に抱え続けた“奴隷への強烈な嫌悪感”と“自分の未来を守りたい”という意志を捨てられなかった。その結果、彼女は姉ジャンヌの手を取り、革命の流れに身を投じる覚悟を固める。
そして、チャバネはチャバネで、失った所有物を取り戻すために闇へと足を踏み入れ、いずれエレキクス連合全土を揺るがす銃火器や情報操作の糸を手繰り寄せていく。アルティにしてみれば望まぬ対立だったが、コックローチ家はそれを許さない。そうした小さな“個人的な因縁”がやがて国全体を巻き込む大きな渦へと変貌するのだから、運命というのは何とも皮肉なものだ。
どのみち、こうしてアルティは決別の道を選んだ。彼女の心中には、怒りと恐怖、そしてほんの少しの希望が同居している。姉のそばならば、同じく奴隷や火刑などの不条理を憎む仲間たちとならば、きっと自分にも戦える方法があるはずだ。チャバネの言う「俺のもの」などという囚われの身分からは、一刻も早く脱して、自分の意思で生きる未来を勝ち取るのだ――。
その思いこそが、革命軍への合流を後押しし、アルティが新たな道を歩む原動力となる。そして、この婚約破棄の夜がなければ、歴史はまったく違う方向へ転がっていたかもしれない。
(第4話・了)
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