第30話


 背筋が、ぞっと震えあがる。


 この感覚は。


 前向きに楽しい夜步きを楽しんでいた香宮たかのみやは、ひらりと馬から飛び降りた。


 そして布都御魂剣ふつのみたまのつるぎを、剣のかたちに変える。


『気づいたか』


 尋ねられ、香宮たかのみやは大きく頷いた。


「近いわ。

 怪異ね」


『ああ。

 ……大物だ。

 水気がねっとりと……。

 女だな』


「そういうの、差別っぽい……」


『そうか?

 素直な感想だ。

 水のあやかしは陰、女に通じるしな』


「……なんでもいいわ。

 なぎ払うだけだから」


 香宮たかのみやは、柄をぐっと握りしめた。





「右です!」


 少年の、澄んだ声がする。


 つられて、香宮たかのみやも右を向いた.


 しかし、なにもいない。


 何事?


 香宮たかのみやは首をひねる。


 怪異の気配は、香宮たかのみやの目的の場所から漂っていた。


 輝貴てるたかが逢い引きしていた橋に、ぼうっと幽鬼の明かりが灯っている。


 弓のつるが鳴る音がしたと思うと、向かって右に矢が飛ぶ。


 しかし、そこにはなにもない。


 すっと矢は川に落ちるだけだ。


 なにやってるの、あれ。


 香宮たかのみやは、瞳をしばたたいた。


 弓をつがえているのは、輝貴てるたかだ。


 そして、傍らに華奢な少年がいる。


 おそらく、輝貴てるたかの逢い引きの相手だ。


 彼が方向を指示し、そのとおりに輝貴てるたかが弓矢を放つ。


 その繰り返しを続けているようだが、


 まったく矢の無駄だ。


「ねえ、布都御魂剣ふつのみたまのつるぎ

 あの人たち、なにしてるんだと思う?」


『橋姫退治だろ』


 そういう布都御魂剣ふつのみたまのつるぎは、ちょっと呆れ声だ。


『しかし、絶望的に弓が下手だ』


「違うわ。

 方向を指し示している公達きんだちが、適当なことを言っているのよ。

 左近少将さこんのしょうしょうは言われたところをちゃんと射っているのに」


 橋姫がいるのは、橋の上だ。


 ぼうっと白く輝いた彼女は、うちきを一枚頭から羽織っている。


 発光しているせいで、顔かたちもはっきりしない。


 力が強い怪異のようだ。


 おそらく、普通の人間には見えないようにしている。


 そして、姿を隠したまま、通るものを川に引きこむこともできるだろう。


 それにしたって、この世の外を見る力があれば、気配は感じるだろうし、決して方向を見間違ったりはしない。


 ぬえ退治のときもだが、左近少将さこんのしょうしょうはなにをしているのか。


 危ないっ!



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