傷とへこみ
伊井田さんは一時期ドライブにハマっていた。都市部から離れ、ガラガラの道を飛ばすのは最高だったという。ただ、彼は赤切符を切られたわけでもないのにすっかり車から降りたと言う。その理由が怖いのだそうだ。
「はた迷惑な話ですよまったく……」
特に仲間が居るわけでもないが、ドライブは好きだった。退屈しのぎに始めは走っていたのだが、一回スピードを出してみるとそれに取憑かれたように信号の少ない道を飛ばすのが好きになってしまった。
明日が休日の日、愛車のエンジンをかけ、夕焼けがまぶしい中警察の目が少ないところへと走らせる。温かな気温で走りやすくとても良い環境だった。
となると必然的にスピードは出るわけで、とにかく楽しいものと知ってしまうとついついアクセルを踏み込んでしまう。
『こんなカーブの無い直線があるのが悪いんだ』
そんな言い訳を考えつつ気分良く車を走らせていた。もう暗くなっており、何度も走った道でないと危ないくらいだったが、気分が落ち込む度に走っている道だったので慣れたものだった。
そうしてストレスを解消しながら加速していくと、前方に人のようなものが現れた。始めは人だと思って急ブレーキを踏もうとした。しかしタイヤがロックするかと思いブレーキを緩めてしまった。ABSが車に装備されているのを忘れてブレーキをつい加減してしまったのがマズかった。
車は緩やかにスピンしつつその人のようなものの前で止まった。しかし近くに来て後悔をした。それは人などではない、猫、犬、狸、兎など血にまみれた動物が人の形に押し固められていた。
原形をとどめていないはずなのに、何故かソレがこちらを見ているのは分かる。恐怖に足を震わせていると、それぞれの動物が鳴き声を発した。
肝を潰して大急ぎで車をUターンさせ、逃げだそうとアクセルを踏んだ。そこからまっしぐらに逃げて、ようやくコンビニの灯りが見えたあたりで一息ついた。
コーヒーを一缶買って車を眺めながら飲んでいるとようやく落ち着いてきた。何であんなものに遭遇しなければならないんだと腹が立つ。
乱暴に空き缶をゴミ箱に投げて車に近づく。そこでバンパーが汚れているのに気が付いた。白い車に赤茶けた色のシミとへこみがバンパーに付いている。洗車を全快したのはいつだっただろうか?
いや、洗車をしてもへこみは治らないかと思ったところで、ふと思い至った。
そう言えばいろいろな道を飛ばしてきたが、野生動物を前に止まったことはない。止まる方が危ないからとそのまま可哀想な動物を跳ね飛ばしていた。
ではこの赤黒い色は土ではなく……
深く考えると気分が悪くなった。もちろん自分が悪いのだろうが、勝手に車の前に飛び出してきて恨むなんて迷惑だと思う。しかしあの時見た動物の塊は確かに田舎道を走っていると遭遇する動物ばかりだった。動物園で見るようなものは一匹たりとも居なかった。
興も削がれたので安全運転で車を自宅へ走らせた。今度は何かが前に来たら止まれる速度で町まで帰ると二十四時間営業の洗車機に数枚コインを入れて洗車にかけた。
ブラシがあの忌々しいシミを消してくれるのを祈りながら迫ってくるブラシを見ていた。それが車に当たったときだ、『キー!』と高温の鳴き声がした。何の動物だったかなど考えたくもない。とにかく何かが悲鳴を上げたのが分かっただけだ。
それから洗車機から出て車を確認すると、へこみは残っていたものの、あのシミだけは綺麗に消えていた。
帰宅してからしばしへこみの方は消えていないのでバンパーを交換するかと思ったが、結構な金額になるのでボーナスまで待つことになった。
ボーナスが出ると行きつけのディーラーに行って、バンパーがへこんだから交換してくれと言った。へこんだ理由を尋ねられたが、どうも動物を跳ねてしまったらしいと答えた。
傷の多さを気にしている様子だったが、結構な金額と引き換えにバンパーを交換してもらう。
ボーナスがほぼ飛んでいったが背に腹はかえられない。きっちり払って綺麗になった車が戻ってきた。
それ以来あの気味の悪い亡霊のようなものは見ていないが、法定速度で走り、前の方に何か見えたらきちんと止まる。それを心がけるようになった。
「悪いことをしたとか思ってます?」
私の問いに彼は言う。
「何がですか? 何も悪いことなんかしてないでしょ。ただ単にあの胸くそ悪い化け物を見たくないから安全運転しているだけですよ。時々飛ばしたくはなりますよ、だけども、このご時世ってのもありますけど、何よりアレをまた見るくらいならイラつく運転をした方がマシですよ」
そう言って彼は腹立たしいという雰囲気で言った。一応お祓いも何も受けてはいないらしいが、車の修理以降その化け物とやらに出会っていないのでそれでいいのだそうだが、彼が何より不満なのはストレス解消にやっていたドライブが出来なくなってしまったことだそうだ。
彼は自慢気に今のストレス解消はネットで嫌なヤツを叩くことだと言っていたが、彼がトラブルに巻き込まれないのを祈るばかりだ。少なくとも法律と警察と裁判所は幽霊と違って存在することが証明するまでもなく明らかなのだから……
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