第3話

 夏休みに入ってすぐのこと。部屋でカメラの手入れをしていると、スマホが鳴った。皆川さんからだ。

「またコンクールに写真を応募しない?」

 僕はそのメッセージにすぐ返事をすることができなかった。既読きどくをつけたからか、僕が見ていることは分かったのだろう。すぐに次のメッセージが飛んできた。

「撮影に行こう。学校前の公園に集合」

 この暑い日に、と思いながらも、撮影に行くとなると準備をする。皆川さんの誘いを蹴ったら、逃げたようになりそうで嫌だったからだ。

 炎天下の中、皆川さんは公園の木で出来た影の中で僕を待っていた。僕が近づくと、やっと気が付いたのかひらひらと手を振る。シンプルなシャツと、ジーパン姿。そしていつもと変わらないポニーテール。

「やっと来た。暑いねぇ」

 僕が来るのを待っていたからか、皆川さんはわずかに汗を流していた。僕はこの前のことを謝るべきか、口篭くちごもっていた。

「ねぇ、肥川君。考えてたんだけどさ」

 先に口を開いたのは皆川さんだった。提げたカメラを片手に、穏やかに笑う。

「評価とか、そんなのは一回忘れて。君が好き、ってやつを撮ろう。私はそんな写真が見たいな」

 そう言って、皆川さんは歩き出す。僕は口をまごつかせて、結局一言も発することが出来なくて。ついて行くか迷っていると、皆川さんが振り返ってこちらにカメラを向けた。

「撮ろうよ」

 促されるような言葉に、僕は皆川さんの後ろをついて歩く。だるような暑さの中、彼女はステップを踏むように軽々しい足取りで、被写体を探していた。

 後ろから見ていると、ぴょんっと跳ねるように動くポニーテールが小刻みに動く様子は彼女の機嫌を表しているようで、なんとも分かりやすい。ぴょんぴょん、ぴょこぴょこ、と言う表現が似合うくらいに今日は機嫌よく揺れていた。

 どうしてだろう。なんでこんな敵対視てきたいしされているやつ相手に、そこまでするんだろう。もやもやとした感情が消えてくれなくて、僕はカメラを手に抱えたままだった。でも、これは撮影に来ているんだから、と一度足を止めてカメラのファインダーを覗き込む。

 撮影の目的がなかったから、好きな風に写真を撮った。構図だとか、ホワイトバランスとか、テクニカルなことは全て無視して、ただ僕の見えているものだけを切り取るようにシャッターを押していく。興味のあるものを収めるために、またシャッターを押す。

(あれ、なんか。楽しい、かも)

 こうじゃない、ああじゃない。そんなのを一回捨てて、楽しめることがなんだか新鮮だった。癖付いているのか、気を抜くとつい構図だとか光の位置を調整したくなるけれど、今はそんなこと考えなくていい、って思えて。

 多分、見返したら下手くそに見える、ただ目の前のものを記録しただけの写真だけれど。ファインダーを覗き込む。今だ、と思う瞬間には指がシャッターを押している。

「肥川君。撮影、楽しい?」

「あ……」

 はしゃいでいるように見えたのだろうか、皆川さんが話しかけてきた。一度カメラから顔を離す。皆川さんが真っすぐな目を向けて微笑みながら僕を見ていた。それが今は、嬉しかった。評価なんてされなくても、僕を見てくれている人がいる。承認欲求が完全に消えたわけではないけれど、スッと迷いが晴れたような心地がした。

「……はい、楽しいです」

 そう答えたら、皆川さんは一気に表情を輝かせた。カメラを持って、こちらを向く皆川さんを、きっと僕はずっと忘れないだろう。

 何よりも色鮮いろあざやかに、鮮明に覚えている。強い光が当たっているせいだけではない。血色のいい肌の色も、つやの強調されたポニーテールが揺れる様子も、真っすぐにこちらを見る丸みを帯びた目も、全部、新鮮なまま。

 いつの頃からか、あなたのようになりたいと思う気持ちは、嫉妬じゃなくて憧れに変わっていた。

 あまりにも眩しい笑顔に思わず、力の入った指先が反射的にシャッターを押していた。

 ファインダーを覗きもしていないのに、シャッター音だけがカシャッ、と鳴ったけれど、二人ともそんなことはどうでもいいと思えるくらいに、ただこの時間が続いてほしかった。

 バッテリーも切れるくらい、長い時間の撮影を終えて。帰り道はもう暗くなって、暑さも少しだけ和らいだ。さすがに夜道を女子一人で歩かせるのは良くないと思い、皆川さんを家の前まで送っていく。

「今日はありがとう、肥川君」

「いえ。僕の方こそ」

「じゃあ、今度は学校で。コンクールの写真、用意しておいてねー」

 いつも通り気軽な皆川さんに、軽く頭を下げてその場から立ち去る。出かけた時とは違って、浮足立っている。帰りながら、皆川さんも楽しかっただろうか、なんてことを思った。

 家に帰りつくなり、自室へとこもる。カメラのデータをパソコンに移して見返したら、たった一日で五百枚近い数の写真を撮っていた。やけに多い数に思わず笑いがこぼれる。旅行に行ったわけでもないのに、それ以上に楽しかったと思えた。

 スクロールしながら、残しておきたい写真を何枚も選んで、ふと手が止まる。

 目を留めたある一枚の写真をずっと見つめて、僕は決めた。この写真を、コンクールに出してみよう、と。

 テクニックもなにもない、ありのままの僕が見ている世界。これなら、後悔もしないだろうと思える一枚で。

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