第3話 姉の影

里紗は静かな夜、薄暗い部屋でひとりぼっちで座っていた。外はすでに冬の冷たい風が吹き荒れ、窓の外にちらつく街灯の光が微かに部屋を照らしている。今日も姉に厳しく叱られたばかりだ。


「どうしていつもそうなんだろう…」里紗は肩をすくめ、布団をふわりと抱きしめた。姉は、父も母もいない家の中で、代わりに里紗を育てる役割を担ってきた。その責任感からか、姉の言葉はいつも厳しく、優しさを感じる余裕もないまま、彼女の理想とする「正しい」生き方を押し付けられている気がした。


「里紗、今すぐ部屋を片付けて、宿題もしなさい。」姉の冷たい声が思い出される。里紗が反抗

した瞬間、その表情は一変し、まるで里紗がすること全てに不満があるかのような口調で続いた。「甘えてるんじゃないわよ。あなたがしっかりしないと、これから先どうするつもりなの?」


その言葉が里紗の心に重くのしかかる。どうしてこんなにも厳しいのだろう?里紗にはわからなかった。姉がかつてどれだけ苦しんで、家族を守ろうと頑張ってきたのか。その裏側にある思いは理解できるが、それでも胸の中でどうしても反発してしまう自分がいた。


「あんたがちゃんとしないと、私はどうしたらいいのよ…。」妹に向ける姉の涙が、里紗をさらに悩ませた。姉の厳しさの裏には、孤独と責任が隠れていたことを、里紗は徐々に理解し始めていた。でも、それでも、どうしてもその言葉を受け入れられずにいた。


「わかってる…けど、私だって…」里紗は思わず声を震わせながら呟いたが、その声は姉には届かないようだった。何度も反発し、何度も同じように説教を受け続ける。お互いの距離は、どんどん開いていく気がして、里紗は心のどこかで恐れていた。


姉が求めるものは、単なる「できる子」ではないはずだ。里紗はただ、姉と心のどこかで繋がりたかっただけなのに。


だが、それは容易いことではない。


里紗はその夜、姉の部屋のドアの前で立ちすくんでいた。姉の厳しさにまた反発し、言い合いになってしまったばかりだ。そのまま自分の部屋に戻ったものの、胸の中のもやもやが晴れない。


「姉さんも、もっと優しくしてくれたらいいのに…」


里紗は自分のベッドに横たわり、天井を見つめた。あの日から、姉の言葉がずっと頭の中でぐるぐると回っていた。自分がどうしても姉の期待に応えられないことがつらくて、次第に自信もなくなり、どこかで姉に対して恐れさえ感じていた。


「私はどうすればいいんだろう?」


里紗は何度も自問自答した。姉の期待に応えようとすればするほど、逆にそのプレッシャーに押しつぶされそうになる。だが、姉が心配しているのも分かるのだ。姉は、里紗にとっては唯一の家族であり、今やその存在がどれだけ大きくなっているかを実感していた。だからこそ、姉の言葉一つ一つがこんなにも重く響く。


その夜、姉は珍しく早く寝たようだった。いつもは遅くまで起きていることが多いが、その日は静まり返っていた。里紗はそっと自分の部屋のドアを開け、姉の部屋の前に足を進めた。何も言わずに部屋に入ることはできない。けれど、どうしても姉に話したいことがあった。


部屋のドアを軽くノックすると、姉の低い声が返ってきた。


「里紗?今、何か用?」


里紗は一瞬ためらったが、心の中で決心を固めると、少しだけ声を震わせながら言った。


「ごめんなさい、姉さん。私、言い過ぎたよね。いつもあなたの期待に応えられなくて、反発しちゃって。でも、私は…私だって、姉さんを助けたいんだ。」


姉はしばらく沈黙していたが、やがてゆっくりと振り返った。里紗の顔に見せることはなかったが、その目には少しの驚きと、わずかな痛みが浮かんでいた。


「里紗…」


姉の声には、普段の厳しさを超えた、どこか柔らかい響きがあった。


「ごめん、あなたにこんなに厳しくして。でも、私だって…不安なんだよ。あなたがこれからどう生きていくのか、心配でたまらない。」


里紗はその言葉に胸が締め付けられるような気持ちになった。姉の厳しさが、実は深い愛情から来ているのだと、今になってようやく分かる気がした。姉もまた、自分と同じように不安で、苦しんでいたのだ。


「姉さん、私…もっとちゃんとしなきゃって思ってる。でも、どうしても上手くできなくて。」


里紗の目には、涙がにじんでいた。その涙は、今まで抑えてきた気持ちが一気に溢れ出したからだった。姉はしばらく黙って里紗の姿を見つめていたが、次に発した言葉は、思いのほか優しかった。


「大丈夫だよ、里紗。完璧じゃなくてもいい。私だって完璧じゃない。私がやってきたこと、全部あなたに押し付けるつもりはない。ただ…これから先、あなたが少しでも自分の道を見つけられるようにと思ってる。それが、私の一番の願いだから。」


その言葉を聞いて、里紗は初めて姉がどれほど自分を思ってくれているのか、心から感じた。そして、今までの反発心が少しずつ溶けていくのを感じた。


「ありがとう、姉さん。私、もう少し頑張るね。」


姉はゆっくりと立ち上がり、里紗に向かって軽く微笑んだ。


「それでいいんだよ、里紗。焦らず、少しずつ。」


その言葉は、里紗にとって一番大きな力になった。そして、姉との距離が、少しずつ近づいたような気がした。




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