第2話 ヘタレの僕と友人

 僕の恋人がこの世を去って数日後、出かけていた友人が帰宅した。


「ほら、行ってきてやったぞ」


 わざわざ証拠として香典返しを項垂れる僕の目の前に置く。

 ニュースを観て狂ったように嘆く僕を、寝起きなのに宥めてくれた友人には本当に面倒をかけたと反省している。しかも、僕の代わりに彼女の葬式にまで参列させた。香典は僕が用意したけど、彼女の両親や友人には僕の顔を知られてしまっているから、余計な混乱を起こしかねない。


「ごめんな、……迷惑かけた」


 ようやく口から出たのはこんな反省だけの謝罪だった。

 頭上で友人がため息を吐いたのが解る。


「……かまわねぇよ、俺とお前の仲だろ」

「…………でも」

「なんて、言うと思ったか、このヘタレがぁ!」

「う、わぁあぁ!」


 いきなり友人は僕の胸ぐらを掴んで、床に叩き付けた。

 下の階に響いたんじゃないか? と想うくらい凄い力だった。

 それでも友人は更に僕を燃えるような双眸で睨み付け、怒鳴り散らす。


「本来なら見知らぬ他人の俺じゃなくお前が行くべきなんだよ! お前の元カノの葬式なんだからなぁ!」

「けほっ、……はっ、……で、でも僕は」


 友人に言われても行動しない僕を一瞥した後、ずいっと目の前に封筒が差し出される。


「これ、は……?」

「お前の、元カノからだ。俺を見かけた母親が渡してきた」


 震える手で目の前の手紙を受け取り、恐る恐る内容を読み始めた。

 中には、僕への彼女の想いが綴られていた。

 いつも喧嘩ばかりだった事、ヘタレを治して欲しかった事、……僕が彼女の婚約者と秘密裏に会って話を進めていた事も、全部。そして最後に……。


「『さよなら、またね。……いつかまた会いましょう』……うっ、うぅう〜」


 僕は床に転がったまま泣いた。

 涙で彼女の手紙がしわくちゃになる事も構わずに。

 あの時は、彼女を婚約者に譲ることがお互いの為だと確信していた筈なのに、いざこうなってみると、僕は手放すべきじゃなかったと思い知らされた。

 時が戻るなら戻ってやり直したい。でもそんな事は普通に考えれば不可能だ。


「……手紙を寄越した母親がお前に伝えてくれって。……娘の分まで生きてくれ、ってよ」


 友人の言葉に、僕の涙腺は決壊した。



 数年後、ようやく立ち直った僕は友人と宅飲みをしていた。

 今世間では新型のウ○ルスが流行って、居酒屋で気楽に飲む事もできなくなった為だ。

 何の前触れもなく、僕は数年前の事を話題に出した。友人は酔って船を漕ぎ始めている。


「君のお陰で、僕は命拾いしたよ」

「んーー?」

「先日、元カノの母親が逮捕されたよ」


 僕の言葉に、友人はへぇ〜と返して酒を飲む。


「仕事帰りの僕を背後から刺そうとしていた所を運良く通りかかった警官に取り押さえられてね」

「そりゃ、おめぇにしたら運が良かっただろうが」


 呂律の回らない舌で返しながら、グラスに酒を注ぐ。


「違うんだ。あの時僕を刺していたら、その人は殺人犯になっていた」

「……かぁあ〜、お人好しも極まれりってか〜」


 嘆くように言った友人が、一気にグラスの酒を煽った。


「ううん。僕はその警官が居なければ、受け入れるつもりだった。…………君が手配していなければ、僕はここに居なかった」

「…………はっ、俺は確かに警察勤だが、そんな面倒ごと」

「勿論、これは僕の推測だ。警官は通りかかっただけとしか言っていなかったし、君と違って証拠もない」


 続きを言わせない為に、友人のセリフに被らせて発言したが、本当に確証はない。

 でも僕は一つだけ、確信していた。


「自分が腹を痛めて産んだ娘が死んで、憎まない母親がいる筈ないよね?」

「…………ふ〜ん。さすがお人好しだ。そこまであの母親を美化するか」


 嘲笑する友人を見て、僕はおずおずと尋ねる。


「本当はあの日、何て言われて手紙を渡されたんだ?」


 僕の問いに、友人は暫し思案した後にゆっくりと口を開いた。


「…………今はのうのうと生きれば良い。でもいずれ、必ず私がお前を娘のようにしてやる、って物凄い形相で言われたよ」


 僕は悪寒を感じて身震いした。確かにあの勢いは、それほどの殺気を帯びていた。初めて人の暗い部分を目の当たりにした気分だ。


「でも俺は何も言い返さなかったぜ。偉いだろう、大人、だからな」


 戯れるような友人の口調に、僕は少しホッとした。


「そう……だね。うん、さすがだ!」

「わっ、褒め方ざっつ〜」

「あははは!」


 僕は久しぶりに楽しくて笑った。



 ――数年前の葬式にて。


「…………やれるもんならやってみろよ。その時は一生来させねぇから」

「な、なんですってぇ!」

「じゃあな、精々頑張れよ」


 後ろでまだぎゃあぎゃあ騒いでる母親をスルーして、俺は友人の待つ自宅へ帰る。香典返しは貰ったし、手紙も受け取った。あとはさっきのセリフ……は、テキトーにいい感じにしておくか。


「そんで仕上げは……っと」


 徐ろにポケットから取り出したスマホで、先輩にL○NEを送る。


「えー、今日から暫く、ボディガードを依頼。期限は……数年っと。ボディガードの写真はこれで、送信!」


 あの様子ならそう長くは時間を置かない筈だ。念の為帰ったらあいつを引っ越しさせて、様子見をするか。


「あー、俺も彼女欲しい〜!」


 青空の下、俺は嘆いた。

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