第3話 ニゲラ

 僕はかつて駆け落ちを経験した。

 結果は失敗に終わり、それからしばらく経った後に違う女性と付き合いを経て結婚した。

 だからというわけでもないが、たまに当時の彼女と一緒に居た時の事を夢に見る。

 彼女は気が強くて、いつも気弱な僕の背中を押してくれた。


「……あぁ、これも夢だな」

「何、いきなり」


 僕の隣で当時の彼女が怪訝な顔をしていた。


「いいや、何でもない。それより何か欲しい物はない?」


 罪悪感から来る後ろめたさで僕は彼女の希望を叶えたくなった。


「今度はどうしたの? 急に欲しいものって」

「何でも良い。今度買って置くから何でも」


 高いバックや靴でも……この際、奮発して高級なアクセサリーでも贈る覚悟だ。


「なぁ〜に、まさか浮気でもしてるとか?」


 ジトリと、後ろめたい言動を誤解された僕は訝しむ彼女に心底焦った。


「そ、そんな、僕は別に……」


 付き合っていた頃、僕は彼女一筋だった。浮気なんて絶対にしない。


「ふっ、ふふ……嘘よ、冗談。あんたにそんな度胸ないって私が一番知ってるし」


 彼女はイタズラが成功した子どものように、ニッと歯を見せて笑った。

 それもそれで男としてどうなのだろう。


「うん、だからね。無理しなくて良いの。あんたの事は私がちゃあんと守ってあげるから」


 僕はいつの間にか彼女に抱きしめられて、よしよしとあやされていた。


「あ、で、でも、……そうだ! 花は? 好きだったよね」


 考えた末に僕は最後の悪あがきとして、彼女へ尋ねた。

 もうすぐ目が覚める感覚がしたからだ。


「それ、リアルね。ん〜じゃあ、ニゲラ」

「えぇと、ごめん、どんな花?」


 植物に詳しくない僕には想像もできない。

 一般的な花の名前を言われると思っていたから。


「それくらい自分で調べなさい。男でしょう!」


 相変わらずのスパルタだ。

 でも酷く懐かしくて僕は困ったような笑顔で頷くしかなかった。


「うん、必ず贈るから」


 僕の返答を最後に夢から覚めた。

 起きてすぐ、ぼんやりする頭で近くのスマホを手繰り寄せ、液晶画面からの明かりに耐えながらも検索をかける。

 それはすぐに出てきて、僕は一緒に載っていた花言葉も読み、――泣いた。


『ニゲラ・クロタネソウ属。学名は黒いという意味のラテン語Nigerが語源となっている。花言葉・夢の中の恋』

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ニゲラ 朱雪 @sawaki_yuka

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