第5話
少なくて月二回、夢香は僕のアパートに転がり込む生活が続いている。その生活が、一年を迎えようとしていた。
夢香の口から聞く、所謂彼氏の名前は、都度変化する。
だが、僕らの関係は、なんら変わりがなかった。
「そうちゃん、聞いてよ。今日たろくんに」
シャワーを勝手に浴びた夢香は、これまた勝手に僕のスウェットを着て、僕の横で煙草を蒸しながら、話し始める。
夢香の左腕には、新しい切り傷が。伸びたスウェットの下、胸元には、煙草の火を押し付けた跡が。
僕は、ビールを傾けた。
「なあ、夢香」
僕は、ビールがないことを確認すると、口を開く。
「夢香は、どうしたいの」
僕の問いに、夢香は目を丸くした。
「どうしたいの、って。寂しいの。幸せになりたいだけだよ」
夢香は、少し考えると、そう答える。
「僕が幸せにする、って言ったらどうするのさ」
僕は咄嗟に言ってしまった。口を塞いだ。遅かった。もう夢香に尋ねた後だった。
「夢香ね、きっと夢香がクズだから、周りの人を怒らせちゃうの。不幸にさせちゃうの」
夢香は、視線を落とした。僕の灰皿で、煙草の火を消した。スリムタイプの、ポッキーみたいなその煙草の火を消して、オリーブ色の髪をかき上げた。
「そうちゃんのことが大事だから、そういうのは嫌。そうちゃんでも、夢香のこと幸せにできないよ」
視線を合わせずして、夢香。
「……。そうか」
夢香なりの、気遣いなのだろう。僕は何も言えなかった。
「でも、そうちゃんは夢香のことを思って言ってくれたんだよね。ありがとう。夢香、嬉しい」
そう言うと、パッと顔を上げて、にいっと夢香は笑った。
「夢香ね、昔お母さんから教えてもらったの。優しくしてくれた人には、恩返しをしなさいって」
夢香はそう言うと、僕の手から空き缶を奪った。空いた手で、僕の手を掴むと、室内に僕を引き摺り込む。
缶をシンクに投げ込んだ夢香は、僕の前に居直る。そして、僕の薄い体を、優しく抱きしめた。
「あ、意外と大きいね。そうちゃん」
「なにするの」
僕は、たじろぐ。
「お礼」
夢香は、密着したまま、上目遣いに僕を見た。
一呼吸おくと、夢香は僕のスウェットを脱いだ。
「待って、なにするのさ」
色白の肌が顕になる。乳房には、無数の煙草の火。左腕には、赤いラインが。
それ以外で言えば、不謹慎だが体を売っているだけある。やや痩せた体躯、豊満な胸。
「そうちゃんに、恩を返したいの」
やや赤らめた頬。
「僕たちは、そんな関係ではないだろ」
「それとこれとは、別だよ」
夢香は、僕の手を取ると、そっと胸に触れさせた。
「夢香のお礼の仕方は、これしかないの」
温かい。柔らかい。
夢香は、僕のベッドに誘う。
僕の背を、トンと押した。
「夢香、上手だから。そうちゃんは夢香のこと、信じて」
そう一言だけ添えると、夢香はシーリングのスイッチを切った。
時刻はすでに、2時を回っていた。
明日も仕事だ。それなのに、僕は。
僕は、半分意識が飛んだまま、のそり、と、起き上がる。それに呼応するように、夢香も起きてくる。
夢香は、乱れたオリーブのロングヘアをかきあげると、僕を見つめていた。
僕は、これまたのそりとスウェットを着直した。
「煙草吸ってくる」
僕は、夢香の顔を見てそう言う。が、直視はできずにいた。
あの夢のような微睡の時間が、頭をよぎる。
「あ、夢香も行く」
夢香は布団を蹴り上げると、僕と同じようにスウェットを着直した。
冬の夜空。隣人たちは寝静まり、電気一つついていなかった。
今年の冬は例年より寒いらしく、今夜は雪がちらちらと、舞っていた。
「夢香」
息を吐くように、僕は名前を呼んだ。
「そうちゃん、どしたの」
夢香は煙草に火をつけた。
「夢香の中では、これが普通なの」
僕は、空を眺めながら尋ねる。白い煙が、庇に吸い込まれる。
「うん。そうだよ。みんなこうすると、喜んでくれるの」
夢香は、自慢げに言う。
「みんな家に泊まらせてくれるし、みんな優しくしてくれる」
僕はその、あっけらかんとした物言いに、虫の居所が悪くなる。
「夢香は、もっと自分のこと大切にした方がいいよ」
煙と共に、僕はそう吐いた。
「だって夢香、馬鹿だからわかんないもん。これ以外、わかんない」
夢香は、強気にそう言う。
「それで男たちから酷い目に遭わされてるじゃあないか。本末転倒だろ」
声を、荒げてしまう。深夜のベランダに、僕の声が響いた。
「わかんない、わかんかいよ。みんないい人だもん、わかんない」
夢香も、呼応してベランダに声を響かせる。
夢香は、鼻を啜らせた。煙草の灰が、落ちた。
「夢香の幸せは、みんなが幸せになること。それなら、夢香はなんだってするし、みんな幸せにする」
涙声。
夢香はそれだけ言うと、煙草の火を消した。
夢香は、スッと僕を見据えた。僕の、動揺する目を、捉えた。
「夢香は、みんないい人だと信じてるよ」
そう言いながら、目から溢れる一雫を、小さな手で拭っていた。
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