第3話

 その日を境に、夢香はぱったりうちへ遊びに来なくなった。


 僕は大学へ進学した。バイトも始めた。


 忙しく充実する日々に、夢香の存在は朧気になっていく。


 充実した生活にかまけていたら、遠方へ進学した麻美から、突然の電話。


「ごめん、爽太。別れて欲しい」


「どうしてだよ」


 衝撃。


 僕は、それを押さえ込む蓋を持っていなかった。


「好きな人ができた」


 なんだよそれ。


 ありがちな展開。遠距離など、物理的に打ち砕けるものもなく。


「僕はまだ麻美のことが好きだ」


 僕は、食い下がれなかった。


「そういうとこ、重い。最高にダサいよ」


 麻美は冷たくそう言うと、電話を切った。


 初めての失恋。たとえ子供のごっこ遊びだったとしても、僕にとってはかけがえのない、時間だった。


 呆然。


 僕は、苦い思いを噛み締めながら、がむしゃらに学問とアルバイトに励んだ。


 再び夢香に出会うまでは。



 僕は大学を卒業し、就職した。それを機に、独り立ちしたくて、片田舎から、都市の方へ引っ越しをした。


 僕は忙しいながらに、慌ただしい毎日を送っていた。


 冬の凍える空気が耳を刺す日。


 駅中は人で溢れていた。一方、駅の裏は治安が悪い、とはよく聞く話だ。


 僕の家は、駅の裏を通らなければならない。


 クリスマスというのに、駅の裏は立ち尽くす女性と、ホームレスの老人がまばらに見られる。


 僕はそれを横目に歩く。


 正面を見ていないから、誰かにぶつかった。


「すみません」


 と、僕。相手の女性は立ち止まってじっと僕を見ていた。蛍光ピンクに染めた髪が、夜空に目立った。


「そう……ちゃん」


「え」


 二つに結った髪が揺れた。前髪は、眉上で切り揃えられている。くりっと丸い、子犬ような目元で、ようやく誰だか判別がついた。


「あ……夢香」


 ニッと、彼女ーー夢香ーーは笑う。


「久しぶりだね、前みたいにおうちにあげてよ」



 安売りのローストレッグ。常備された缶ビール。少し奮発したローストビーフ。


「漫画、ないの」


 と、夢香。


「実家に置いてきた」


 と、僕。


「でもさ」


 と、ビールを流し込んで僕は口を開く。


「なんであそこにいたのさ」


 夢香は漫画がないとわかると、くたびれたスマートフォンを触り始めた。


「ぴと喧嘩した」


 ぴ……彼氏のことか。


 僕は考え込んで、そう思うことにした。


「ゆうくんは、普段は優しいんだよ。だけどね、夢香がご飯ちょっと、作るのが遅くて、殴られた」


 夢香は顔を上げない。


 長くて桃色の爪が、画面をスワイプする。


「へえ。災難だったね」


 僕はそれを片目に、ビールを飲んだ。


「ゆうくんの家に住んでるんだけど、夢香、喧嘩すると友達の家に泊まりに行ったりするの」


 と、夢香は続ける。


「でもね、友達もみんな離れちゃった」


「どこで知り合うのさ。夢香は友達少ないよね」


「ううん、SNSかな」


 少し図星だったのか、夢香は苦笑いをする。


「あと仕事仲間のお家に泊めてもらったりもしてた」


 夢香は顔を上げた。


 その顔には、右眼ら辺に大きなあざがあった。


「夢香、それ」


 僕は息を呑んだ。


「ああ、これだよ。ゆうくんに」


 夢香はニッと笑った。


「だから、今日、そうちゃんに泊めてもらいたいの。夢香からの、お願い」


 悪戯だった。


 僕は、断れなかった。


「……いいよ、泊まって行きなよ。行く場所、無いんだろ」


 そう言った。

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