第5話 目
次の土曜日、葉子はもしかしたら志織が旦那さんにあの事を言うのではないかと終始落ち着かないでいた。志織の手首に薄っすら赤く残っていた痕は次の日には消えていたから、もし志織が旦那さんに告げ口をしても志織が我儘を言うので躾の為にちょっとだけ懲らしめたと言えばいいと思いながらも旦那さんがあまりにも志織を可愛がっているので、逆に自分が旦那さんの怒りを買うのではないかと気が気ではなかった。
そして日曜日、旦那さんが帰るまで志織はついにそのことを言わなかった。
葉子は志織と一緒に玄関先で旦那さんを見送ると、ほっとして隣の志織を見た。
旦那さんの後ろ姿に向って手を振っていると思っていた志織は、葉子のことをじっと見上げていた。その目は今までに志織が見せたことのない、それは冷ややかなもので、葉子は唖然とした。
志織は葉子と目が合うと、さっと踵を返して家の中に入ってしまった。
葉子は慌てて志織の後を追った。
志織は旦那さんが買ってきてくれた新しい本を手に取ると物置部屋に入り、葉子の目の前で襖を閉めた。
葉子は志織を咎められなかった。
その日から志織は旦那さんがいない日はまた物置部屋で長い時間を過ごすようになり、日中は食事など用のある時以外はそこからほとんど出なくなった。物置部屋からは毎日のように楽しげに話す志織の声が聞こえてきた。
葉子は気味が悪かったが、襖を開けて志織を咎めることは躊躇われた。襖に手をかけようとすると、あの玄関先で見た志織の冷たい目を思い出す。あれ以来、志織があのような冷たい目を見せることはなかったが、葉子はいつかまた志織があの時の目で自分を見るのではないかと心のどこかで恐れていた。だが日増しに酷くなっていく志織の独り言を放っておくわけにはいかないので、また蜘蛛とでも話しているのかと、夕餉の時に聞いてみると
「六助は死んじゃったよ」
事もなげに志織は言った。
「だから、お庭にお墓を作ってあげたの。椿の下に埋めて、その上に丸い石を置いて」
私が払い落したから死んでしまったと言うのか、当てつけのように墓なんか作って。葉子は志織が自分を責めているように思え、苛立った。だが、志織の泣き疲れ憔悴しきった顔とあの冷たい目が頭に浮かび、葉子はなんとか気持ちを抑えながら言った。
「じゃあ、独り言なのね」
志織は答えない。
葉子は続けた。
「あんまり独り言が多いと、おかあさま心配だわ。おうちの中でならまだ良いけれど、もうすぐ小學校に上がるでしょう。外でもそんなに独り言が多いと、志織はおかしな子だって皆に思われてしまうかもしれないわよ」
それまで俯いて聞いていた志織が急に顔を上げた。
「だって、お話したいのだもの」
そう言った志織の目は悲しそうに見えた。
「だったら、おかあさまやおとうさまと話せば良いでしょう。これからは、お話したくなったら、まずはおかあさまとお話ししましょう。ねえ志織、約束できるわね?」
葉子は優しく言ったつもりだったが、志織の顔は戸惑うように歪んでいった。
その顔を見て、葉子はなぜだか満足だった。
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