第3話 蜘蛛

「ご馳走様でした」

 旦那さんが帰った翌日、志織は朝餉を終えると、いつものように自分の使った茶碗を台所に下げてから、新しい本を持って物置部屋に行った。

 葉子はその様子をじっと見ながら、やはり自分が志織に言って聞かせるしかないと思った。洗い物を終えると葉子は物置部屋へと向かった。


 物置部屋に近づくにつれ、襖の向うから志織の何事か囁くような声が聞こえてきた。また声を出して本を読んでいるのだろうと思ったが、いつもとは少し様子が違う気がした。葉子は襖を開ける前にそっと耳を当ててみた。


「そうなの。六助はね、私の手の上に居るのが好きみたい」

 小さな声だが志織がはっきりとそう喋っているのが聞こえた。まるで誰かと話しをしているかの様で、葉子は驚いて襖を開けた。


 長持を背にして、ひとりで座っている志織の姿があった。志織の膝の上の本は閉じられていた。

 葉子は改めて部屋を見回したが、物置部屋には志織しか居なかった。


「何と話していたの?」

 葉子が尋ねるが、志織は驚いた顔で葉子を見上げているだけだった。


 見ると志織の右手の甲に小豆くらいの大きさの蜘蛛が一匹のっていた。葉子は咄嗟に志織の手から蜘蛛を払い除けた。

 あっと、志織の悲痛な声が響いた。


「何をしてんだい!蜘蛛なんか、手にのせて汚いったら、ありゃしない!さっさと洗っておいで!」


「ごめんなさい」

 志織は今にも泣き出しそうな顔で立ち上がると物置部屋から走って出ていった。

 蜘蛛と話しをしていたなんて、薄気味の悪い。こんなところで本ばかり読んでいるからだ。葉子は志織の膝から落ちた本を拾い上げると、忌々しそうに長持の上に放り投げた。

 これでは旦那さんへの面目が立たないと葉子は思った。


 葉子が台所に行くと、志織は泣きながら手を洗っていた。

 葉子はその手をとって手拭で拭いてやると、これから本は座敷で読むようにと志織に言った。

 志織が泣きながら何度もごめんなさい、ごめんなさいと繰り返すので、葉子はさすがに哀れに思い志織を抱きしめてやった。

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