第5話
「おれが『護民卿』を殺す」とカミルがいった。
「は?」
アロイスは、友人が口にした言葉の意味を図りかねて、ただその顔を見つめるしかできなかった──カミルのその顔は、特段、普段となにも変わりがないように見えた。
年賀競鳥の前夜、二人は私室で酒を酌み交わしていた。薬草を漬けた蒸留酒はアロイスのお気に入りで、カミルもそれを嫌ってはいない。アロイスがカミルを部屋に呼び込んで、二人でちびちびやるのはいつものことだった。この部屋の中で、これまで二人は数えきれないほどの話をしてきた。大鳥のこと、いけ好かない先輩のこと、空から見下ろした帝都の様子のこと、幼かった時のこと、そして将来のこと──
官舎の一室に、しばらくの沈黙があった。
「おいおい、カミル」アロイスは自分の声が震えていることに気がついた。「……そういう冗談はよせ。誰かに聞かれたらどうするんだ。笑えないよ」
「冗談じゃない。本気だ」
「じゃあ、酒の飲みすぎだ。酔っ払って頭がおかしくなってんだよ。いまのおまえはわけがわからなくなって、混乱しているんだ」
「それは違う。自分なりに、ずっと考えていたんだ。『護民卿』、あいつは殺されなくてはならない──そしてそれを実行できるのは、おれだけだ」
「おまえ、自分がなにを言っているのかわかっているのか」
「競鳥で優勝したら、『護民卿』が直々に賞杯を授与するというだろう。だからそこで、おれはあいつを殺す」
「──」
アロイスの中に恐怖と困惑が湧き上がってくる。肺のあたりが苦しくなり、息をすることが困難になった。
カミルは、淡々とした調子でつづけた。
「おれだけなんだ、それを実行できるのは。──『護民卿』は普段、裏切り者の軍と恩知らずの呪い師どもに守られている。手を出そうにも隙が無い。だから明日の表彰だけが、唯一の機会なんだ。わかるだろ?」
「馬鹿いうなよ」アロイスはなんとか声を絞り出す。「そんなこと、うまくいくとおもうのか」
「そうだな。うまくいかないかもしれない。けれど、うまくいくかもしれない。そのあたりは確率の問題だ。試してみる価値はある」
価値なんてない、とアロイスは思った。カミルの命を賭してまでやらなければいけないものなんて、この世にあるわけがない。
「……どうして、いまになって、そんなことを」
「おれがやろうとしていることは、全部自分自身の意思によってすることだ。誰かに脅されたり、操られているわけじゃない。それを、アロイスにはわかっていてほしかったんだ。その結果どうなろうが──」
「──やめろ!」
友人の言葉を遮るように、アロイスは思わず声を上げた。
アロイスの脳裏に浮かんだのは、オルゴニア皇帝の最期だった。共和主義者の手によって、酸鼻を極める肉体破壊と恥ずかしめを与えられ、晒し柱に繋がれたあの姿──共和主義者たちは、容赦をしない。かつて政敵から受けた弾圧と凄惨な拷問を、そっくりそのまま返すことに、まったくの躊躇がないのだ。
暗殺計画に対して、いったいどのような恐ろしい報復を受けることになるのか──考えたくもないことだった。
アロイスは、海の中に落ちていくような気持になった。
カミルに向かい、縋りつくようにいう。
「いまのままでも、いいじゃないか。……革命後も、おれたちはおとがめなしだった。空騎士としてやることは変わらないんだ。いまさら、おまえがなにかをする必要はないだろ、カミル」
「誰かがやらなくてはならないことだ」と、カミルはにべもない。「そして、明日の競鳥の優勝者がそれを実行するのが、最も可能性が高い。だからおれがやる。──最適化の問題だ。アロイス、おまえも空騎士ならわかるだろ?」
目の前にいるのに、まるで手が届かないところにいるようだ。アロイスは絶望的な気分になった。二人の間は、越えることのできない壁で隔てられている──
カミルは酒杯を空にすると、おもむろに立ち上がった。
「じゃあな、アロイス」
このままこいつを帰してはならない、とアロイスは思った。何かを言わなければいけない。でもなにを? 必死になって、思考を巡らせる。このままでは、こいつは──
「明日の、競鳥!」アロイスの口から、この言葉が飛び出した。そして勢いに任せて続ける。
「おれが優勝したら、馬鹿なことはやめろ」
「……そうだな。もしもきみが優勝したら、どのみち機会はなくなる。計画を実行することはできないだろう」
「約束してくれ」
「いいだろう。約束する。──ただし」
カミルはじっとアロイスの目を見た。
「おれが優勝したら、おれがやろうとしていることを邪魔してくれるなよ、アロイス」
カミルの目は冷たかった。──きみはこんな簡単な問題も分からないのか、という軽蔑の目にも思えた。
ひとり取り残された部屋の中で、アロイスは愕然としていた。立ち上がることもできずに、ただ座ったまま、視線を酒杯に落とす。
このままでは、カミルの暗殺計画を実行させてしまうことになる。
この際、暗殺の成否などというのは、どうでもいいことだった。問題は、その後にカミルが受けるであろう仕打ちのことだ。良くて、その場での殺害。悪ければ、捕らえられて──
だめだ。そんなことはあってはならない。カミルを勝たせてはいけない。でも、どうやって?
共和政府に暗殺の計画を密告するのはどうだ? ──それでは結局カミルが逮捕されてしまう。カミルが企んでいる計画を、わずかでも共和政府に悟られてはいけないのだ。
なにか、小細工は? ──不可能だ。普段ならともかく、賭博の対象となる年賀競鳥においては、不正対策で乗騎や装具は厳重に管理されている。
カミルを止めるためには、競鳥という競技でカミルを負かさないといけない。アロイスはそう結論付け、そして途方もない気分になった。
時間が過ぎていく。
夜が深ける、朝が近づいている。
無力感がアロイスにのしかかっていた。思考は同じ筋道を何度も辿り、そしてその都度、悲しい結論を導き出した。
物理学というものは、なんて残酷なものなのだろう。物体は、与えられた力以上に運動することはない。大鳥の飛行が、物理運動である以上、その差は覆しがたい着順として現れる。すべてはカミルが優越している。技能、筋力、身の軽さ──
思考の堂々巡りの末、アロイスは、はたと気づいた。
──カミルに勝つ方法が、ひとつある!
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