02
少しすると、バタバタと足音が近づいてきた。そして無精ひげの生えた、薄汚い若い男がキッチンに飛び込んできた。
雨息斎は一瞬のタイミングを狙って、男の着ているヨレヨレのTシャツの襟元を掴むと、「エイ!」と気合一発、見事な背負い投げを食らわせた。ふいを突かれた男の体は空中に弧を描き、キッチンのタイル張りの床に背中から落下した。痛みで動くどころか、声も出ない様子である。
「思った通り、生きている人間が住み着いていたんだな。この屋敷に似合わない電子レンジやケトルを使って、ちょっとした自炊までしていたと見た」
そう言いながら雨息斎がシンクの下の扉を開けると、男が買い込んだらしきカップ麺やレトルト食品がどさどさと出てきた。
「どうやってこの屋敷に忍び込んだか知らないが、なかなか快適そうな住まいじゃないか。え?」
そう言いながら倒れている男の手の甲をグリグリと踏むと、男は苦し気な息の下から「ス……スイマセン……」と声を漏らした。
「いやいや、俺に謝ることはない。君はなかなかいい管理人だね。キッチンは汚れていないし、ドアの開閉もスムーズだ。ポルターガイストを演じるときも、高価な食器や調度品が壊れることを恐れて、クッションなんかを投げていたらしいな。人が住んでいない屋敷というのは荒れるものだ。君のような自称幽霊がひとり住み着いているくらいがちょうどいい……とは思わなかったのがこの屋敷のオーナーだが」
「本当にすみません……住むとこがなくて……」
「そんなところだろうと思ったよ。しかし君、見所があるぞ。よく誰にもバレずに今日まで過ごしていたな」
「おれ、パルクールとかボルダリングが得意で……窓枠にぶら下がって隠れたり、屋根に上って屋敷の中を移動したりしてたんです……ほんっとうにすみませんでした。なんでバレたんすか?」
「俺は人より耳がいいんでね」
雨息斎は、芝居がかった仕草で自分の耳を軽く引っ張った。
「さっき屋敷に来た時、君がキッチンの窓辺に隠れて、また霊能力者が来やがった、とかなんとかボヤいていたのが聞こえたのさ。とりあえず移動させようと思ってデカい声で嘘を吐いたら、君が素直に2階に向かってくれたんでホッとしたよ」
これを聞くと、男は床に倒れたままシクシクと泣き出した。雨息斎はいかにも優しそうな声を出して、男に語り掛けた。
「なぁおい、君。名前は?」
「や、
「柳くんか。知ってるかもしれないが、俺は禅士院雨息斎という者だ」
「はぁ、見たことあります。テレビとかで……」
「そうかそうか。なぁ柳くん。この家を出て、その辺のマンションにでも引っ越したらどうだ?」
雨息斎はそう言いながら、柳祐介と名乗った男の脇にしゃがみこんだ。
「そんな金ないっすよぉ」
「何、俺が出してやるさ。家賃も払ってやろう」
「え?」
「その代わり、俺の仕事を手伝ってくれないか?」
雨息斎は整った顔に邪悪な笑みを浮かべて、「実は、俺はインチキ霊能力者なんだ」と言った。
「あ、やっぱり」
「やっぱりって……そんなに怪しいか? さっきも不動産屋の親父に、インチキ野郎だの、全身嘘臭いだのと、ボソボソ言われたところなんだが……」
「じゃあ、今までやってきた除霊や霊視は、全部ヤラセだったんすか?」
「ヤラセもあるが、ほとんどは俺の聴力とコミュニケーション能力、そしてハッタリと暴力で何とかしてきた」
「マジすか……雨息斎さん、転職した方がよくないすか? 私立探偵とかいいじゃないですか」
「それじゃ今ほど楽して稼げないだろうが!」
雨息斎は演説する革命家のように拳を握り、一際大きな声を上げた。
「とにかく我々は、さらなる利益を得るために協力すべきだ。柳くんはその身体能力を生かして適当な建物に侵入し、『心霊現象』を起こしてくれ。俺はそれを『除霊』する。その代わり俺は君に給料を払うし、住むところも提供する。win-winの関係ってやつだと思うがねぇ」
演説の間に、祐介はようやく上体を起こした。
「ほ、本当ですか?」
「本当さ。俺もこのままじゃいずれジリ貧だ。助手を雇うくらいのテコ入れをやってもいいじゃないか」
「いや、しかしあの、本当におれのこと警察に突き出したりしませんか?」
「今の提案を飲んでくれたらしないさ。俺も後ろに手が回ったら困る。ニセモノ同士、うまくやろうじゃないか」
「いや~、でも……」
などと言いながら、祐介はチラッと右上の方向を見る。「怪しいなぁ……これ詐欺じゃないですよね? 嘘ついておれをはめようって魂胆じゃ……」
「お前にそんなことしても得にならん。とりあえず、この屋敷からポルターガイストを追い払う芝居からやろう。俺が適当に祈祷をするから……君、やるよな?」
雨息斎は指の関節をポキポキと鳴らした。
「はっ、ハイ! やりますとも!」
祐介は慌てて答えながら、またチラリと右上を見た。さすがに雨息斎もその様子を不審に思ったのか、同じ方向に目をやる。立ち上がり、眉をしかめ、目を細めて……。
そして彼の顔色が突然変わったのを、私は隠しカメラのレンズ越しに見た。
・・・・・・
「バレたか。祐介のやつ、カメラの方チラチラ見るんだもんなぁ」
私は溜息をついてモニターを消した。
とはいえ録画データは、屋敷中に仕掛けた隠しカメラから、すでにクラウドに転送されている。例え雨息斎がカメラを壊し、祐介を脅して黙らせたとしても、彼がインチキ霊能力者だという自供は、この手に掴むことができたわけだ。
さっきのオーナーも不動産屋も、このために私が雇った役者だ。禅士院雨息斎、弱みさえ握っておけば、なかなか役に立ってくれるような気がする。
「さて、私も屋敷に向かうか。あとの交渉はやってやらないとな」
私は鼻歌を歌いながら隠れ家を出て、旧葛木邸に向かった。
〈禅士院雨息斎のゴーストバスター劇場・了〉
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