02

 そもそもおれたちがここにやってきたのは、山野奥ミツヨ(つまりミツヨちゃん)から依頼を受けたからだ。

 先月、山野奥家の長男である山野奥秋夫あきお氏が、自室の窓から転落、死亡した。一応警察の捜査が入ったようだが、事故ということで決着がついたようだ。

 ところがそれからというもの、彼の部屋に入ると時々何者かが囁きかけるような声が聞こえるというのである。実はその部屋というのが、先ほど大助氏の遺体が見つかった事件現場でもあるのだった。

 怪奇現象が起きる部屋で殺人事件が起きた……なんとも不気味な話だ。自慢じゃないがおれは臆病なので、できれば今すぐ帰りたい。

「ミツヨちゃんの依頼の件か……」

 呟きながら、先生はコーヒーカップに口をつけた。「あれならもう、大体わかったぞ」

「はい!?」

 さっき到着したばかりだぞ!?

「まぁ今日中に解決するのはちょっと難しいが……少なくとも、雪が止んでからがいいだろうな」

「えっ、雪が何か関係あるんですか?」

「うん、柳が死ぬかもしれないから」

「おれが!? どういうことですか!?」

 先生はもう一口コーヒーを飲んで、「まぁそのうち教えてやる。静かにしろ」と言った。


 ところで事前にリサーチした限り、亡くなった山野奥家の長男・山野奥秋夫は、かなり浮世離れした人物だったようだ。

 山野奥グループの次期総帥と目されていながら、本人は芸術家肌で夢見がちな性格だったらしい。三十代後半で独身なのはさほど珍しくないにしても、肝心の会社経営にはあまり熱意を見せず、もっぱらおかしな発明や変な工作に力を注いでいたようだ。生前持っていたSNSのアカウントは「リモコン内蔵こけし」だの「テルミン作ってみた」だのという写真が何件も投稿されていた。やり手の経営者という感じではない。

 反対に次男の山野奥冬彦はリアリストで行動的、山野奥グループ内では、若くしてかなりの実権を握っているようだ。

 おれには経営のことなどよくわからないが、社長を任せるなら冬彦氏の方が適任ではないか? という気がする。もっともそう考えるのはおれだけではないらしく、秋夫氏と冬彦氏に関しては不仲説が根強く囁かれているようだ。

 まぁ、自分を差し置いてボンクラ(といったら悪いかもしれないが)な兄がトップに立ったら、冬彦氏としては面白くないだろう……そう思えば不仲説もうなずける。実際に対面した冬彦氏の印象も、キツそうというか真面目そうというか、自分にも他人にも厳しそうな感じがした。

 ちなみに、このふたりの妹が末っ子長女の山野奥春子である。グループの経営にはほとんど関わっておらず、特に野心もないようで、ふわふわしたギャルっぽい女の子だ。もっともひとは見かけによらないものだから、内心はすごい野望を抱いているのかもしれないが……。

などと考えだすと、おれにはこの屋敷にいる全員が、殺人犯のように見えてきてしまうのだった。


「……で、どうしましょう」

 怪奇現象の方は解決の見込みがあるようだが、殺人事件の方はまだ何もわかっていない。仕方がないのでおれもコーヒーを飲んだ。こんなときだがうまい。

「そうだなぁ……とりあえず現場が調べられればいいんだが。ダメ元であたってみるか」

 先生はカップを置いて立ち上がり、なぜか部屋の中をうろうろし始めた。

「先生、何やってるんですか?」

「まぁちょっと静かにしろ。ああそうだ、もう秋夫さんの部屋は封鎖されてると思うんだが、一応見てきてくれ」

 というわけで先生にパシられて秋夫氏の部屋を見に行くと、確かにドアに鍵がかけられており、中に入ることができなかった。偶然通りかかった冬彦氏に交渉してみると、

「中に入ることはできません! 殺人事件の現場ですよ!?」

 叱られてしまった。まぁ、仰るとおりである。

「あ〜でもその、しかしですね、あの、祈祷の準備をですね」

「何と言われようと、警察が来るまでは現場を保存する必要があります。あなた方も捜査にご協力いただくことになるでしょうから、その間はご滞在願います」

「はぁ」

「急なことでお困りでしょうから、必要なものがあれば遠慮なくお申し付けください。祖母の大切なお客様のようですから」

 表情と口調は厳しいが、意外に親切だ。おれは冬彦氏に礼を言って、ひとまず客間に戻った。

「おう、どうだった?」

 先生がおれの方を振り返って尋ねる。

「それがかくかくしかじかでして……」

「まんま持ち帰ってくるな! ガキの使いか!」

 先生に怒られた。まぁそれはそのとおり……しかし、まさか冬彦氏をノックアウトして鍵を奪うわけにもいかないじゃないか。

「柳、そう簡単に諦めるんじゃない。天井裏から隣の部屋に抜けられそうだ」

「なんでそんなことわかるんですか?」

「音の響き方でわかる」

 マジかよ……で、案の定、作りつけのクローゼットの上に点検口があった。ここから天井裏に行けそうだ。

「やっぱりな」

先生は満足気にニヤッと笑い、おれの方に振り返った。「じゃあ柳、静かに行けよ」

「えっ、おれが行くんですか?」

「当たり前だろ。柳は身が軽いのだけが取り柄なんだから」

 まぁ、先生の言うとおりではある。役者志望時代のおれの強みは「アクションができる」ことしかなかった。ちなみに趣味はパルクールだ。

「何を見てくればいいんですか?」

「とりあえず、スマホでまんべんなく撮影してこい」

「はぁ、わかりました……」

 急に不安になってきた。なんたって隣には他殺体があるのだ。それに侵入の痕跡を残さないよう注意しないと、おれが犯人として疑われる可能性もある。

「ほら、さっさと行け!」

 文字通り尻を蹴り飛ばされて、おれはクローゼットの中に潜り込んだ。点検口の縁に手をかけて体を持ち上げ、天井裏に忍び込む。

「うわ、わかってはいたけど埃っぽいな……ん?」

 おれは前方、つまり秋夫氏の部屋の方角をスマホで照らした。そして天井裏一帯に、ところどころ埃が積もっていない箇所があることに気づいた。

 ……これって、誰かが最近天井裏を通った証拠じゃないか?

「せっ、先生! 誰かが通った跡があります!」

 おれが点検口から声をかけると、「あーそう。引き続き頼む」というつまらなさそうな声が返ってきた。いやリアクション薄! びびりちらしたこっちの身にもなってほしい。

 とはいえまたチョークスリーパーをかけられてはたまらない。文句をたれるのは心の中だけにして、おれは秋夫氏の部屋の点検口に手をかけた。このときになって「どうやって天井側から開けるか?」ということをまったく考えずにきたことに気づいたが、幸いにして蓋の縁が少し歪んでおり、そこに車の鍵を突っ込むと持ち上げることができた。ていうか、こういう痕跡があるってことは、やっぱり誰かがここから出入りしたんじゃないか……天井裏で犯人と遭遇しなくてよかった。本当によかった。

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