第4話
どれだけ願ったとしても、時間は決して止まらないし、もどることはなくて、人類の叡智を集結させてみても、現代科学の力ではどうすることもできないという結論が出ている。
あの日私が下した決断は正しかったのか、間違っていたのか、今になってもわからない。
事実として、雪歌を泣かせる結果になってしまったのは、他でもない私のせいであって、現在置かれている状況についても、話を掘り下げていってみれば、根本的な原因を生み出したのは私だ。
嘆こうとも巻き戻せない過去の行いについて、自らを呪うほかない。
遮光カーテンの向こう側からは小さな子ども達の楽しげな歓声が聞こえてくるというのに、私はこの暗い部屋の中で、なにをするでもなく、膝を抱えて座りむ。
本当に色々なことがあった。楽しかった日々もそうだし、かつての友人からの、二重の意味での告白も。もちろん、卒業後も多くの出来事があった。その後社会に出た私を待っていたのは『
『世間』といものの、想像を超える強大さ。愛憎模様に生存競争、そういった物事が当たり前に溢れかえる世界において、私は非常に小さく弱く、だけど一丁前に責任感を持っていたと思う。
だから、きっとそれもよくなかったのだろう。
今の私はどうだろうか。二十代前半にして何かを失い、外に出ることでさえ実行できない。
かといって、この部屋で何かを生産することもなく、1日の多くを、今の様に座り込んで過ごす。
当たり前だが外部との接触というのは殆どなくて、こういう状態に陥って半年が経過した今、一人暮らし私の家への来訪者は、母と、あの雪歌だけだ。母はともかく、雪歌に関しては、最後まで答えを出さなかった相手だと言うのに、よくもまあ執着できるものである。
感心というか、半ば呆れているといった方がおそらくは正しい。もちろん、なにものでもない存在に成り果てようとしている私にとって、それは嬉しいことだし、正直に白状すると楽しみだ。
できることなら、私とて以前のように外に出ていきたい。でも、外は恐ろしい。正しくは外に存在する世間というものが恐ろしい。直接的に何か危害を加えてくるということではないのだけれど、空気感というか、世間という名の個体が、桁違いに強い意志を働かせているように捉えてもらえたら、その恐ろしさを理解してもらえるだろうか。
お医者さんによると、私はがんばりすぎすぎてしまったそうだ。本当に頑張れていたのかはわからないが、専門家がそういうのなら、一理はあるのだろう。敵に回したつもりがなくとも敵意を向けられるように感じるのは、一種の強迫観念らしい。
その強迫観念を呼び覚ましてしまった要因が「頑張り過ぎ」だった、という論理構造になっていて、それを踏まえて私に必要だったのは「頑張らないこと」という結論が下され、今に至る。
こんな暗闇の中でこうしているのは、それでもきっと一番マシだ。怖いものに怯えずに済むし、触れることもなくて済む。
問題は、とめどなく溢れる孤独感と、考えに考えた末の希死念慮。
実のところ、私のこの状況が発覚したのは、私が自死を失敗し、母にバレてしまったからなのだ。当然、母は安心できないので、私に割くリソース割合が大きくなる。
そうなってくると、私としても、ある程度の不自由を受け入れるべきだと考え、余計に引き止めて話を長引かせたりすることはできない。だから孤独感は解消されにくいし、本来なら自立しているはずの自分がいることで迷惑をかけているのなら、いっそ消えてしまいたいとも思う。
母も雪歌も、きっとそれをしてほしいとは思っていないし、だからこそ二人とも私を気にかけて来訪してくれるのだろうが、嬉しい反面、良心の呵責もあって、こうして一人で塞ぎ込んでいる間は、結構な割合でせめぎ合う感情と戦っていることが多い。
実のことをいうと、今だってそうだ。今日は母と雪歌が同時にここにやってくる。
はじめてのことだが、アプリケーションを通して聞いた話では、どうしても今日以外に時間をとることができなくてブッキングしてしまうらしい。以前の件から二人の仲が悪いものでないことは察していたが、連絡先の交換もしていることには驚かされた。今となってはグループというものが作られていて、今回の件もそこで決定したことである。
経緯はともかく、先にも述べた通り、そういった事情があることを知っていると、やはり気にしてしまうのが私だ。どう考えたところで、二人が来てくれるのは嬉しく、同時に申し訳ない。
おそらく二人はもうすぐここに来るだろう。先ほどからPCから通知オンが流れてくるので、その間隔からして、多分合流直前といったところだろうか。
もう殆ど意識することはなくなったが、私のアパートは立地が良く、駅から徒歩三分ほどで辿り着くはずだ。したがって、合流から合わせて数えたとしても、一〇分はかからないと予想できる。だからといって何か準備をするほどの気力はないのだが、チェーンだけは外しておく必要がある。まったく動かなくなった私にとって、玄関へ歩き、チェーンを外すという、ただそれだけのはずの行為は、ひどく苦痛を伴う行動のように思え、なかなか行動に移せない。
じわりじわりと這うようにそちらの方へと向かっていき、すべてのやるべきことを済ませるのにかかった時間は、何秒とかではなく、何分と表現した方が正確なようだ。
その証拠に、元の位置にもどってほんの少し体勢を整えたくらいにチャイムがなる。
これはいつものことで、母も雪歌も必ずチャイムをならし、それから入室してくる。
今日もそれは同様で、数秒後には小さな声で「入るね」「おじゃまします」と断りの文句を唱えて、二人が私のいる—リビングだった場所へとやってきた。
無気力ゆえに必要最低限の生命維持活動しか行えないのが私の現状だ。おかげでゴミの類はそうそう簡単には溜め込まれず、家に引きこもっているイメージからすると綺麗である。
それに関しては、一度雪歌に「部屋って自分で片付けてるの?」と問われたこともあるほどで、わざわざ座る場所の確保のために掃除を行なったりする必要はなく、二人とも適当な場所にそのまま腰をおろして荷物を取り出し始めた。
「今日はなまものがあるから、これはあたしが調理しておいた方がいいね。牡蠣、あんた好きだったでしょう?」色々なものを机上にだしながら問うのは母で、その手には殻に入ったままの牡蠣が握られている。
相当にチャレンジャーなことをする母。どうやら牡蠣は結構な数があるらしく、両手でなくては持つことができない程大きな発泡スチロールの中に戻された。
いくら紐のようなものが取り付けられているとはいえ、あれをもって電車で移動してくるのだから、我が母ながら豪快だなと思う。父がいないことによって、そうなっていく必要があったのだろうけれど、母の隣の雪歌も、少しびっくりしているようだ。
しかし当の本人は私たちの様子などは気にもかけず「結構高かったから、みんなで食べたいって思うんだけど……。」なんて言いながら、これでもかこれでもかといろいろな品が並ぶ。
わずか数年の間に、まるで孫にお菓子を勧めるおばあちゃんのようだと思うと、そのおかしさから、ほんの少し頬がゆるむことを自覚できた。
嵐と呼ぶのは少し言葉が悪く、あまり乗り気にはなれないのだが、母の勢いはそれぐらいは凄まじく、細い体のどこにそんなパワーが余っているのか、知れるものならぜひ知りたいと思う。
一人でおしゃべりしながら作業をしていたこと、絶対的な物量が多かったこと、それら要素が重なって、結局すべの荷物を出し終わるころには、雪歌が三人分のお茶を淹れて席に着いていた。
これもまた誰かが来た時にきまって起こることだが、基本的に私は口を開かない。
会話にしようとすると、どうしてもエネルギーを消費してしまい、数分もすると具合が悪くなって、布団に潜り込まざるを得ないからである。
はじめてそうなった時の相手は雪歌で、心配と不安から狼狽える彼女に対し、文面で事情を伝えたのは、そんなに昔のことではなかったように思う。
それからは母にも情報を共有した様子で、私のご機嫌をとるような態度だった二人のそれも、幾分遠慮のないものに変化していき、個人的にだが、当時よりは今みたいな接し方の方が嬉しい。
故に、お茶を啜りながらも話に花を咲かせているのは二人だけで、私はその様子を見て楽しむ。
楽しむとはいっても、きっと外野からみると楽しそうにはみえないのだろうが。
一方の雪歌と母は、牡蠣の話で盛り上がっているらしい。「あんなに大きいの、重くなかったんですか?」という問いには「重いけど、親子揃って好きなのよね〜」なんて答えてみたり、本当に当たり障りないというか、日常的な会話内容だ。
牡蠣といえば、私は焼き牡蠣が好きで、母は生牡蠣がすきだったような記憶がある。口論などは少ない方だったと自負しているが、数はゼロではなくて、数回あったうちの一回は牡蠣の調理方法が発端で、今思い返すと、馬鹿馬鹿しいことであれだけ言い合えるのは、すこしシュールですらある。
病んでしまったひとの中には、食欲が減退する人もいると聞く。幸か不幸か、私はそうではなくて、心の状態以外と運動不足を除外すればそれほど不健康でもないし、空腹感も失っていない。ましてや好物とくれば、俄然食欲が刺激される。
私はしゃべっていないが、二人は私の方を驚いたような顔で見ていて、それもそのはず、大きな音で私のお腹が唸ったのだ。途端に羞恥心が湧き上がり、反射的に頷く私。衣擦れの音と気配から、二人ともこちらの方にやってくるのがわかる。下を向いていても当然二人を遠ざけることはできないのだが、近くにやってきて揶揄うのかと思うと、気持ちとしては暴れてやりたい。
でも、どうやらそういうつもりではなかったようだ。鼻を啜るような独特の音が聞こえたことで、私は雪歌か母のどちらかが涙を流しているのだと察知する。
単なる羞恥への抵抗から落としていた視線は、異なった意味でもとに戻せない。私が泣かせてしまったのだと思うと、どんな顔をしていいのかわからないのだ。
だから、二つの違った種類の温もりが私を抱いても、反応を示すことができなかった。三度目のそれを見せる母、二度目の雪歌。この二人はやはり強くて、だからこそ涙の意味が大きくなる。
状況から見ても、きっとこれは悪い意味でのそれではないのだろうけれど、少し前に明かしたように、自責の念を捨て去れるかどうかはまた別の話であり、少なくとも今は捨て去れない。
どうすることもできない私の耳元では、母が声にならない声で何かを囁く。聞き取ることが困難なほどに乱れているが、私の体を捉えた腕は、赤子をあやすかのように優しく背中を叩いていて、きっと安堵とか、そういった言葉を口にしていることが推測できる。
別に記憶に残っているわけではないのだけれど、取り乱しているといっても過言ではないこの状態で、これだけの優しさと温かさを伴った行為をなせるこの人は、やはり私の母であって、幼い頃から私を見つめてきていたという事実を、言葉なくして語りかけていて、母と私が親子として本能に近い何かで通じ合っていることを実感させてくれる。
こう感じると、不思議なことに私の視界はちょうど雨に濡れたガラスから外を見るようにぼやけていき、同時に吸った息を逃してやることが難しくなって、自分自身がないてしまっていることをようやく理解できた。自死に失敗したあのときだって涙はでてこなかったというのに、こんなところで溢れてくるのは全くの想定外だ。必死で冷静さを取り戻そうとしても、もがけばもがくほど感情がうねり、あるいは渦巻いて、どうすることも出来ない。
自分の耳で自分の声を聞くのも久しぶりだというのに、母には、雪歌にはどれだけ聞かせていなかったのだろうか。ここに来てもらって話すといっても、私は基本的に文章で意思疎通をはかっていた。だから、本当にひさしぶりに声を出していて、それが泣き声だなんて、格好がつかない。
しかし、きっとこれでいいのだとも思う。だって、みんな泣いている。
母は私の生きたいという本能に安堵して、私はそれに呼応し、雪歌もまたおそらくは安堵から。
ならばこれは恥じることではあるまい。むしろ、こうなって当然であるとさえ言えるだろう。
依然としてこの部屋の外の世界への恐怖心は除去できずにいるけれど、でも、それでもこういった温もりがゼロでないのなら、私の希死念慮も少しは和らぐ。
それからしばらく一つの塊になっていた私たちは、誰からともなく離れて向き合う。今度は私も顔をあげて、うまく表情をつくれているかはわからないが、それでも顔をあげて目を合わせた。来訪のたびに見ていた二人の顔だけれど、わずかとはいえ外に露出した己に変化した今見つめてみれば、母も、雪歌も、昔とは違った見た目をしているように感じられる。
「お腹、すいたよね。今つくるから、焼き牡蠣。」
僅かな沈黙の後にそう告げたのは母で、未だ震える声の中でありながら、しっかりと私のことを思ってくれており、故に私も娘として「ありがとう、おかあさん」と感謝を述べた。
私の礼を聞いた母は、ひらひらと手を振って応じると、キッチンの方に消えていく。
ここに残ったのは私と雪歌で、彼女の方を見やれば、綺麗な顔が台無しになってしまうほどに顔を歪ませ再びその頬を濡らしていて、目が合うや否や、飛びつくようにして私に抱きつく。
あまりの勢いは今の私では受け止めきることができず、そのまま倒れ込んでしまい、雪歌の腕が首あたりになかったら、おそらく頭を打ちつけていたに違いない。
衝撃に備え反射的に目を瞑っていた私は、ゆっくりと目を開き、きらきらと光る雪歌の双眸を捉えた。
学生時代の三年間をともに過ごした仲だけれど、こうして目を合わせることは少なかったし、ましてや感情を露わにした状態も条件に含むと、全くなかったように思う。
彼女の目は真っ直ぐに私を見つめて、否、認めているというべきか。一切の迷いがなく、一切の澱みのないその眼差しに見据えられた私は、その瞳に吸い込まれるような、呑み込まれるような感覚に侵食されてしまい、硬直する。
無論、この胸中にあるものは恐怖や戸惑いではない。ただただ、その圧倒的な美しさに見惚れてしまって、一時的に思考が停止してしまっただけのことだ。
その雪歌は私の上で微動だにせず、流れ出る涙もそのままに口だけを動かし始める。
「……ずっと怖かった」「葉月がいなくなるんじゃないかって。」「諦めることもできないまま、残されちゃうのかなって。」
矢継ぎ早に、というのは大袈裟か。でも、私が何かを言うことは許してくれないかのごとく、間を置かずに、きっと溜まっていたであろう言葉を、気持ちを私にぶつけた。
本人にそんなつもりがあったのかは定かではないが、少なくとも私の目には、まるで小さなこどもがお気に入りの道具を奪われるのを拒むように見えてしまって、急速に何かが呼び起こされることを感じ取る。とめどなく吐露される彼女の感情を聞かない訳ではないのだけれど、正体不明な感覚が私を操っているのだろうか。唯一自由な右手がゆっくりと伸びていく。
抗えないというより、抗うことを却下したという方が正確だろうか。
この右手は、緩慢でありながらも確実に持ち上がり、雪歌の顔の頬あたりに触れた。
私の手が冷え切っていたのか、それとも彼女の肉体が熱を帯びていたのか、指先を通して感じる雪歌の体温は、その名とは対照的に高く熱い。
特段意識はしていなかったのだが、触れた手を握り返されると、この口が何かに操られているのではないかと思うほどスムーズに「ごめん、ね?こわかった?」と、彼女に問いかける。
短い単語ではなくて、文章。こんなふうに話せることにはもちろん動揺したけれど、今大切なのはそんなことではなくて、私を想い続けてくれたこの子の心だ。
「こわかったよ、そんなの決まってるじゃん……!」掠れそうな声になりながらも、この子はこうして私を見つめていて、嘘偽りないな気持ちが私に突き立てられていることを実感する。
彼女の気持ちに応えることは出来なかったし、今も出来ていないけれど、少なくとも、こんな風に泣かせてはいけない。
人が何かに気がついた際の衝撃を、『電流が走る』と表現することがあるが、この時の私の衝撃のような何かは、そういう激しさは伴っておらず、どちらかといえばじんわりと滲み出す様で、同じ形式で喩えるのであれば、それはさながら朝日が昇るがごとく暖かなものだった。
故に私は雪歌の震える背中に手を回し、ゆっくりと抱きしめる。いくらなんでも、お腹の音がきっかけで今に至るのは格好がつかないにも程がある。しかし、そんなことはどうでもいい。
すぐさま社会復帰なんてわけにはいかないし、この胸のどこかに確実に存在している希死念慮を、そう容易く撲滅できるわけでもない。
往々にして、決心という現象は状況が悪化しないと発現しないものなのだろう。
簡単な物事に対して、強い気持ちを以て挑むことなんて、一般論としてはありえないことだ。
困難な状況、物事に打ち込むからこそ、気持ちというものの影響力が強くなる。おそらくは、揺らぎそうになる自身を支えるために不可欠なのもの。それが決心なのだ。
そしてこの決心が形を成した結果がこの抱擁である。
私はたった今心を決めた。「死にたい」「消えたい」「迷惑をかけたくない」この三つの考えを、捨てることは叶わなくとも、雪歌の前でだけは、言葉にも表情にも出さないことを。
強がる、頼らないとか、そんなばかげた考え方ではなく、ただ雪歌に泣いてほしくないからだ。
乱れた感情で震える雪歌の躯を、より強く抱きしめる。ずっと引きこもって、ろくに運動もしておらず、痩せこけたこの腕では、きっとその力なんて大したものではなかったことだろう。
それでも彼女は私に縋り付くようにして呼吸を整えてくれるのだから、きっと気もちは伝わった。
短くない時間をそうして過ごした私と雪歌は、しばらくすると、ようやく互いに身を起こして見つめ合う。その目は赤く充血しているけれど、やはりあの時から変わらない煌めきを孕んでいて、見惚れてしまうほどだ。彼女は照れくさそうに笑いながら「泣き顔みられちゃった」と目を擦り、軽く私の胸を叩く。
何を言えばいいのか、私にはわからない。ただ、少なくとも涙が止まってくれたのは安心するし、勝手な話しなことは百も承知だが、罪悪感も多少和らいだ。
私の様子から、言葉が見つからないことを雪歌は察したのだろう。細く貧相なこの手を、彼女が手に取り、その指でそっとなぞる様に撫でる。
母もそうだが、雪歌も、どうしてこんなに温かい手をしているのか不思議でならない。あるいは私の手が冷たすぎるだけなのか、それに対する答えは、おそらくは無いと思う。
人間という生き物の体温は、ある程度の範囲で収まる様に出来ていて、高低の差はあれど、その範囲は五度とか、そのくらいのものだ。
感覚は主観的な感覚にすぎず、即ち、全てに通ずる絶対的なものというよりは、個々が持ち得る差を以てはかる、相対的なものである。
私は雪歌の手を温かいと感じるが、雪歌が私の手を冷たいと感じているかどうかはわからない。
雪歌は私を好いているというが、私はそれが本当のことかわからず、雪歌もまた、私がどんな気持ちを持っているかはわからないだろう。故に、答えはわからない。
そう結論づけるほかないし、もし答え合わせができるというのなら、その方法を教えて欲しいくらいである。形容しがたい感覚は、流砂のように深く私の思考を侵す。
この目にとらえているのは、優しく動く雪歌の指先。繋がるものを辿っていくと、微笑む雪歌。
淀みのない微笑みを浮かべる雪歌を、私はただただ見つめ続けていた。
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